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「ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way」を批判する(1)

ここでは,日本サッカー協会の策定した「ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way」を勝手に批判し,考えるきっかけを勝手に作っていきたい.情報を読み解く力を高めるためにも,批判的思考(クリティカルシンキング)は非常に重要である.
批判とは,議論(結論,前提,推論)を明確にし妥当であるかを確認すること,ある意味を鵜呑みにせずによく吟味することをいう.否定とは違うので間違えないように.

「なぜJapan's Wayなのか?」を批判する

まず,プロローグでは「なぜ Japan's Wayなのか?」という問いを立てて,それに答える形からスタートする.パラっとめくって,読んでみると,あまりにも抽象的すぎる話から始まる.抽象化も適切に行えば優れている文章になるが,ここでは「曖昧」という言葉を使った方がよいかもしれない.初めて,これを読む人からすると,どこに向かう話をしているのかがわからない.「2005年宣言」の中にある最も大きな理念の話なのか,ビジョンの話なのか…
そんな中で,「弱者の論理」という言葉が出てくる.向うべきゴールがわからないので,どの尺度で弱者と捉えているのかがわからない.そうなると,"弱者の論理から脱却し,世界に打って出ていこう"という発想が,よく理解できない.
このように突っ込むと,「お前が難癖つけてるだけだろ!」と思う方もいるかもしれない.でも,その考え方はやめた方がよい.大事なことを伝えるときに,読み手に解釈を任せてはいけない.誰が読んでも同じように解釈できるように努めなければならない.それが「伝える」ということである.何かを考えさせる時や,それぞれの人生に投影させるために抽象的に伝える方法もあるが(曲の歌詞などは抽象的にすることで多くの人に共感させる),ここはそうではない.JFAの約束2015を守れなかったのにJapan's Wayという大風呂敷を広げるなら,読み手の解釈に任せていてはいけない.私がtwitterで「10人いれば10通りのコーチングが必要」や「多様性」という言葉に厳しいのは,読み手の解釈を広げていることにある.読み手の解釈を広げるということは,逃げ道を作っているだけである.「伝える」気がないのであれば,Japan's Wayを策定する意味はないと思う.
話を戻して,「弱者の論理」については,私の解釈になるが,どうにか読み取ってみる.最初の方に「自分たちを卑下する言葉がしばしば垣間見られました」や「我々が勝手にウィークポイントと思っている中にこそ強みがあるのでは」という文章があるので,自分たちを卑下するようなマインドを弱者の論理と言っているようにみえる… が,この説明に論理が見えない.もっと俯瞰してみると,プロローグとして一番最初に置いた大事な「なぜJapan's Wayなのか?」の文章が論理的でないことが日本サッカーの「脆弱な論理思考と構造」を写し出していて,「弱者の論理」とも読み取れる.これは,かなり厳しい批判ではあるが,「Japan’s Wayとは何か」そして,「なぜJapan's Wayなのか」を論理的に説明してほしいと感じてしまう.
次に気になるのは「世界の頂点がみえてきた」と述べているが,最初と同じで何を目的とした世界の頂点なのかわからない.最初に流れる動画からは,どうもワールドカップを目指しているようなので,パフォーマンススポーツだと,読み手の私が勝手に解釈してみる.でも,JFAの約束2015を破っているのに,世界の頂点がみえるという流れはしっくりこないし,論理的でもない.世界の頂点がみえる設定が低い,もしくは設定を下げたの?と感じてしまう.
文章の中で,何度も「???」が出てきたり,読み手が解釈しなければならない場面が多いと,疲弊してしまう.これは,私目線になるが,柔道でいえば,レイティング(FIFAも同じ)を用いた実力レベルでみるとトップ3に入らなければ優勝確率はかなり低くなってしまう.つまり,トップ3に入ってやっと頂点が見えてくるとデータが示している(柔道の場合).ここは,約束を守れなかったことを正直に書いて,だからこそJapan's Wayを策定することが必要だった,という流れの方がすっきり読み取れると思う.20位以下でトップが見えるのだろうか?と結局読み手は「???」になってしまう.ここはデータを用いて説明できると思うが…

と,最初のページから,読み手が解釈しなければならないところが多く,いきなりつまずくので,あまり気張らずに読んだ方がよさそうである.
さらっと読んでいくと,次のページで,ゴールがわかる.
ゴールはJFAの約束2050のようだ.2050年までに,サッカー愛する仲間を1000万人にすること,日本開催をして,その大会で優勝することである.ただ,ありたき姿はワールドカップでトロフィーを掲げている姿となっているし,そこに至る道筋が,イコールJapan’s wayと記載されているので,パフォーマンススポーツとして成果を上げるためのパスウェイが,Japan’s wayである.理念やビジョンに向けたJapan's Wayではなかったことに,ここで気づく.となると,くどくど言わずに,これを最初にはっきりいった方がよい.
私がわかりやすく,はっきりいうと

2050年までにワールドカップで優勝すること(つまりパフォーマンススポーツで世界一になること)を目的とし,それを達成するための日本オリジナルの革新的パスウェイがJapan’s Wayであり,これを指針として提示したい.
この他に,タレントプールの拡大の方策も提案する.

*革新的パスウェイ:スポーツ適性を前提に,科学的手法で才能(タレント)を識別し,組織的かつ計画的な育成期間を経て,国際レベルの大会につなげる
*タレントプール:タレントの可能性のある人材群のこと

勝手に通訳する石井孝法

ちなみに識別と選抜は違うのでそれも説明しておく.

識別の定義
あるスポーツで成功する素質のある者を識別するために,競技経験の有無を間わず、いくつかのテストにより飾(ふる)いにかけること
選抜の定義
特定のスポーツで成功すると考えられる競技者を識別するために,コーチの経験やテストにより,現在あるスポーツに参加している競技者をスクリーニングすること

勝手に説明し出す石井孝法

これが,文章の曖昧さをなくすという作業である.こういう気概がほしいとtwitterで言い続けている.
ここまでがわかると,その目的を達成するためには,その経験がある国を分析して,特徴や共通点を見出したいという流れだと思う.
だけどもだっけっど!である.解釈だけじゃなくて,日本語がわかりにくい問題が発生する.

理想の姿を考える際,すでにワールドカップで優勝を目指して争って国々とはどのような特徴があり,どのような共通点を持っているのでしょうか.

ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way

「?????????????なんじゃこれは!!!!!」である.
「すでに」はどこにかかってるんだ?優勝を目指した国?争った国々?
目指して争った国々となると,すべての国になるんだけども.「優勝経験のある国」でよくないか?
それで終わらないのが,つらい😭 次のページにいくと「先進国をプロファイル」と書いてある.意味も理由もわからない.何についての先進国なのか?サッカー先進国?スポーツ先進国?日本も先進国だけれどもと、また「???」である.
「ワールドカップ優勝経験のある国をプロファイル」でよくないか?
長いのであれば,「優勝経験国をプロファイル」でも読み手の解釈はそれほど広がらない.
で,疲れたので,サラッと読んでると中国の話が出てくる.
おっと,これはどうも優勝経験国の話じゃない!!参った💦
本当に,査読者だったら,ここで心が折れる.
リーグのインテンシティの話をするのであれば,優勝経験国のインテンシティが高いデータを示した方が圧倒的に説得力がある.
と,全体像の話に対して突っ込む前に,プロローグで心が折れてしまったので,(全部読んだけど)続きは(2)でお願いします.

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