第七 偉人
この章は,青年の修養にとって「偉人から学ぶ」ことが非常に重要であることが述べられている.また,その際の注意点も記載されている.
で,まとめに入る前に,この章は嘉納治五郎大系でいうと8ページ程度であるが,情報量が多く,前提となる知識と経験がないと,正確に理解することはできない.咀嚼するのが大変だけど,頑張る.
第七の嘉納の主張まとめ
私たちがいる現在の文明は,偉人を離れて解釈することはできないし,彼らが人類に及ぼした影響は不滅不朽である.
古来の偉人が青少年の時にどのような経路で発達したかを尋ねると,多くは前代の偉人を景仰(けいこう)して感憤興起したのに基づいている.
(感憤は感奮と同じ)偉人を景仰するのは,青年の自然の情であって,この情の生じないものは,その志の多くは低劣で,その行また多くは鄙陋(ひろう)である.
古来の偉人を師として青年の修養に資する場合,種々の注意すべきことが多い.注意点をざくっとまとめると,偉人の善行を学ぶには,その「精神」をとって,現在の境遇に適応するように心がけねばならない.
慎重なる注意を加えて偉人伝を研究したならば,その青年の修養に資するに多大の効力を有することは,疑いのないことである.
景仰:徳を慕い仰ぐこと.人格の高い人をあおぎ慕うこと.
鄙陋:品性・言動などがいやしいこと.見識などが浅はかであること.
この章の言いたいことは以上にまとまっている.先ほども述べたが,この章は偉人の話や偉人の言葉がたくさん出てくる.「すんごい」情報量である.まずは,『春秋左氏伝』の襄公二十四年にある三不朽(立徳・立功・立言)が出てくる.その解釈は,一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)のブログから拝借する.
嘉納は,上記の原文を引用し「徳にもあれ功にもあれ言にもあれ,彼らが人類に及ぼした影響は不滅不朽である」と述べている.
だから,偉人から学びましょう!と,そんな単純な論理では進まない.ゴリッと,前提を出してくる.時代的に,嘉納が大きな影響を受けたところだと思うが,明治維新の三傑の木戸松菊(孝允),大久保甲東(利通),西郷南洲(隆盛)と勝海舟の話が出てくる.
前提の知識がなければどれほど難しいことを成し遂げたのかがわからない.私も知識不足なので,勉強し直さないとダメみたい.
これに合わせて,「最も強く吾人の注意を惹く」ものとして,吉田松陰と橋本景岳が出てくる.そして,西郷南洲の言葉を用いて
と,偉人たちを挙げていき,凝縮して我が国への貢献について記載している.すでに,頭がパンパンで,自身の浅学を痛感するが,とどめを刺される.嘉納は,偉人を学んでその先蹤(せんしょう|先人の足跡)を継ぐことを努めねばならぬとし,頼山陽の十四歳の時の歌を引用する.
上記の意解は,関西吟詩文化協会より
そして,まとめに記載したとおり,古来の偉人が青少年の時にどのような経路で発達したかを尋ねると,多くは前代の偉人を景仰(けいこう)して感憤興起したのに基づいている,と述べている.しかし,偉人を学ぶものが,誰でも偉人になれるということではない.その点についても記載し,それぞれがそれぞれで最高度の発展をなし得るとしている.
この後に孟子の言葉を引用するが,ここでは省略する.
で,ここまでに示した維新前後の六偉人について,嘉納は非常に興味深いことを述べている.
つまり,後天的な影響が大きく,先天的に決まらない可能性を示している.また,「王侯将相いずくんぞ種あらんや(世に出るのは実力次第であって,出自は無関係であるという主張)」や顔淵の「舜何人ぞや,予何人ぞ(舜も自分も同じ人間で,大志をいだいて励むならば,舜の如き人物になれるぞ)」なども引用している.これらは,現時点の科学的根拠と一致しているとも考えられる.Ericssonの「deliberate practice」でもいわれている前提条件の「意欲」に関連しているだろう.話は少し逸れてしまったが,嘉納は最後に偉人から学ぶ際の注意点をあげている.ここはとても重要だと思う.
偉人といえども欠点のないものはほとんどいない.その欠点を都合よく持ち出して,自己の欠点を弁護したり,過失を寛恕(かんじょ)したりするものがいるが,これは誤った考えである.
偉人の善行には時勢境遇,その人の性格なども影響しているため,鵜の真似をする烏のごときに失敗に陥ることもある.
偉人の善行に学ぶべきは,ただその精神であって形似(けいじ)ではない.精神を忘れて形式を模倣すると,かえって愚かなる過ちの生じることがある.
偉人を崇拝するあまり,このような猿真似をすることは,往々成長した人にもあることであるが,要するに無思慮の過ちである.
寛恕:過ちなどを咎め立てしないで許すこと
鵜の真似をする烏のごとき:自分に姿が似ている鵜のまねをして水に入った烏がおぼれる意から,自分の能力をよく考えず,みだりに人まねをすると,必ず失敗するということのたとえ
ということである.最後にもう一度この章のまとめをみるとこの章の主張は理解できると思う.
第七の嘉納の主張まとめ
私たちがいる現在の文明は,偉人を離れて解釈することはできないし,彼らが人類に及ぼした影響は不滅不朽である.
古来の偉人が青少年の時にどのような経路で発達したかを尋ねると,多くは前代の偉人を景仰(けいこう)して感憤興起したのに基づいている.
偉人を景仰するのは,青年の自然の情であって,この情の生じないものは,その志の多くは低劣で,その行また多くは鄙陋(ひろう)である.
古来の偉人を師として青年の修養に資する場合,種々の注意すべきことが多い.注意点をざくっとまとめると,偉人の善行を学ぶには,その「精神」をとって,現在の境遇に適応するように心がけねばならない.
慎重なる注意を加えて偉人伝を研究したならば,その青年の修養に資するに多大の効力を有することは,疑いのないことである.
景仰:徳を慕い仰ぐこと.人格の高い人をあおぎ慕うこと.
鄙陋:品性・言動などがいやしいこと.見識などが浅はかであること.