なんでなん? その5、なんで広告嫌いなん?
アプリやWEBサイトで表示される広告って、個人的に嫌いなんですが、なんで嫌いなのか考えてみました。
広告を出す側、つくる側の方に役立つように考えてみます。
なんで広告嫌いなん?
広告といってもいろいろあります。嫌われるものもあれば、評価されるものもありますし、多くの場合は無視されるものです。
そこでまずは、どんな広告が嫌われるのかについて考えてみましょう。
どんな広告が嫌われるのか
自分が嫌いな広告を考えてみると、以下の通りになりました。
・自分のやりたい操作を妨害するもの
・勘違いさせたりするもの
・表現が不快なもの
それぞれについて、もう少し深く考えてみましょう。
自分のやりたい操作を妨害するもの
アプリやWEBサイトに蔓延る広告のほとんどはこのタイプな気がします。ニュースサイトで記事を読んでいて、次の記事に移動しようとしたら広告が表示されて遷移を邪魔されたり、YouTubeで見たい動画の前に表示されたり。
これらは、そのサイト本来のサービスを利用を利用しようとした場合に、その操作を妨害する広告です。
嫌われる理由はとてもシンプルで、やりたいこと、やろうとしていることを邪魔する行為が嫌われます。
勘違いさせたりするもの
ファイル共有サービスやアフィリエイト系のサイトなどでたまに見かけます。そのサイトのボタンに擬態していたり、記事に擬態していたりする広告です。
こちらも先に説明した操作妨害系の広告と同様、やりたいこと、やろうとしていることを邪魔する行為が嫌われます。
さらには、その行為に勘違いさせようとする悪意を感じるため、より嫌われる理由が増えます。
表現が不快なもの
出会い系やアダルトサイトなどの広告の多くは、閲覧するサービスやWEBサイトの趣旨と異なっていたとしても、わりと直接的な表現で表示されます。
エロは世界にとって必要な要素であり僕も大好きですが、電車の中でAVを見ることが憚られるように、公共の場所(サイトやアプリ、それを使う環境も含む)では、直接的な表現を避け、もっとクールにやってくれたらいいなと思います。
もしくは、電車の中でAVを見れるくらいに、社会のイメージを変革する必要があります。
アダルト中心の話題になってますが、差別的な表現や、ニッチな趣向の表現についても同様です。TPOを意識しましょう。
嫌われない広告をつくるために
そもそも広告とは、コンテンツに対する認知や共感を得るために行う行為です。認知を広げる意味で、興味をもたれないことよりも、嫌われた方がまだいいという話もあります。
ですが、それは表現の好き嫌いの話であり、内容にかかわらず受け手に不利益を与える広告は、内容については無関心、でも嫌いという結果を招くと思います。
前提として、そういった媒体の使用を避けるように注意したいところです。さらにいうと、評価される広告は、広告だと思われていなかったり、それ自体がコンテンツ化していることが多いです。
なにかしら受け手にとってのメリットを提供すること、社会問題の解決に寄与したり提案を行うものを考えるのが良さそうです。