マヌ50周年を迎えて Ⅱ.再開発篇 人・街・建築 〜草の根をさまよう〜 その1
まちづくり家・高野のコラボレーションによる取り組み。
マヌの仕事が軌道に乗り、高野は建築設計のみならず再開発・都市防災などの業務にも携わることとなります。
人間味のある都市や建築を作り出すことをめざした高野にとって、再開発事業での取り組みは、転機の一つとなりました。
(本稿は、2014年のマヌ都市建築研究所50周年にあたり故・髙野公男が書き溜めていた原稿をまとめたものです。)
1.商店街のまちづくり
マヌ創設6年目、昭和45年(1970年)は転機の年だった。再開発や都市防災のプロジェクトに関わるようになったこと。新しく松島正幸君がスタッフに加わったことなどである。建築の設計は氏家君を担当スタッフにして続けていたが事務所の主たる業務は昭和45年以降、次第に都市計画分野の仕事にシフトしていく。
(1)松島正幸君
松島君は千葉大で建築学および同大学院小原二郎研究室でインテリアデザインを学び、院修了と同時にマヌに入所した。小原先生は京大農学部出身の木材工芸の研究者であったが昭和40年頃から人間工学の研究を始められ、人体計測等に基づく学校家具の標準設計や国鉄列車車両の座席デザインの研究に取り組んでおられた。
松島君は量産・工業化に限定・専門特化したデザイン研究の風潮になじめず、人々の日常の暮らしや風土に適合したもっと幅の広い家具・インテリア・建築デザインを目指すべきだという問題意識を持っていた。快適性や利便性、経済性のみを追求する家具デザインに対して、そのアンチテーゼとして、人間の生活世界には岡本太郎の「坐ることを拒否する椅子」という視点もあってもいいのではないかというのが彼の主張であった。
千葉大建築学科の前身は剣持勇、渡邊力などの優れたインテリアデザイナーを輩出した東京高等工芸専門学校・木材工芸学科である。時代の潮流に適応し、「木材工芸」という伝統から乖離していく小原研のデザイン研究の方向に対してかなり批判的な意見を持っていたようである。岡本太郎とインテリアデザイン、面白いことを言うやつだと思って仲間になってもらった。松島君は都市や社会風俗にも興味を持ち建築デザインの枠を越えた反骨的な社会派の新聞記者のようなセンスを持ち合わせていた。
(2)津田沼駅北口商店街再開発事業計画調査
昭和45年(1970)5月、千葉大研究室の恩師・小泉正太郎先生(後述)から「津田沼駅北口の再開発事業の研究調査プロジェクトがあるので参加しないか」という電話がかかってきた。都市計画や街のデザインにも興味を持ち始めていた頃なので喜んで引き受けた。
この研究調査は千葉県が施行者として進めている事業で、「津田沼駅北口土地区画整理事業に関して土地の立体的高度利用、商業機能の高度化を目途とし、商業診断をはじめ各種の都市計画的調査を行い土地利用計画や市街地像の提案を行う」という内容のものだった。調査研究の概要は以下の通りである。
○調査研究主旨
「津田沼駅北口土地区画整理事業の施行にあたり、本事業の面的整備に加えて、今後土地の立体的高度利用を図る必要がある。特に駅前周辺密集地区については、主要な公共用地を確保すると共に既存の商業経営の近代化を促進するためには、土地の高度利用を図る高層施設建築物の建設は不可欠のものと考える。本研究調査は駅前周辺密集地区の商店の経営診断を行い、これの近代化経営への接近を試みると共に、駅前十字路付近における商業ビルの立地の検討および基本設計を行うことにより、津田沼駅北口の再開発を助長することを目的とする」。
○研究受託機関
・全国市街地再開発協会(会長:水野重雄)
○津田沼駅前商店街再開発事業の特徴
・土地区画整理事業
・駅前広場造成事業
・国鉄複々線工事実施による歩道デッキ造成事業
○組織体制
①指導機関
・津田沼駅前再開発事務所
・建設省住宅局市街地建築課
・千葉県中小企業指導所
②協力機関
・船橋市役所、習志野市役所、津田沼駅前商店街近代化研究会、日本エコノミストセンター、商店建築社
○調査研究組織
委員長 小泉正太郎(千葉大学工学部教授)
委員 酒井麿嵯峨雄(山梨学院大学教授)
高瀬三郎(建設省市街地住宅課長)
米沢幸夫(千葉県津田沼駅前再開発事務所長)
中島政弘(千葉県中小企業指導所所長)
高野公男(マヌ設計連合所長)
石田綽男(石田建築設計研究所所長)
太田芳郎(商業近代化研究室・中小企業診断士)
高橋敏夫(マネージメントビューロー代表・中小企業診断士)
小林輝一郎(商業施設近代化研究所代表)
菅谷良夫(商店建築社)
手島清治(千葉大学大学院)
ほか
○調査期間
昭和45年9月〜46年3月
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この調査研究を市街地再開発協会が受託した時点では、すでに土地区画整理事業や駅前広場造成事業の基本プランは決まっていた。このため調査研究委員会は市街地再開発並びに商業計画関連の専門家を中心とした編成となっていた。研究作業は商業開発計画、都市再開発計画、商業ビル計画、商店街近代化計画の4つの部会によって構成され、私は都市再開発部会を担当した。
都市再会開発部会の作業を担当したのはマヌの松島君と千葉大大学院の手島清治君、それに千葉県の担当者は荏原敏彦氏だった。荏原氏は事務系の若手プランナーで千葉県の発展に寄与するこの事業に意欲を燃やしていた。都市再開発部会の作業は私を含めてこの4人で取り組むことになる。
(3)北総台地の沿線文化
津田沼駅地区は国鉄総武線と新京成電鉄の交通結節点であり、商業機能が集積する拠点地区でもあるので地区スタディに先立ち沿線地域の状況を調べることから始めた。
大阪万博が開催された昭和45年当時、首都大都市圏においては中心地域の人口減少と周辺近郊地域の人口増加、いわゆる人口のドーナツ化現象が進展していた。都心から25キロの船橋、習志野両市の人口も今後大幅にな増加が予想され、船橋市は昭和50年には41万人、同60年60万人(平成25年現在61.7万人)、習志野市では昭和50年10.5万人、60年14.5万人(平成25年現在16.5万人)と推計され、津田沼駅の乗降客(昭和45年現在15万人)も昭和60年に32万人になると想定されていた。津田沼駅は新京成電鉄沿線地域の玄関口になることから駅利用圏を4つのエリアに分け現地踏査を重ねて地域特性を調べた。
新京成電鉄はかつて旧日本陸軍鉄道連隊が演習用に施設した鉄道で、戦後(昭和22年)京成電鉄に払い下げられ、常磐線松戸駅と京成津田沼駅を結ぶ鉄道路線である。新京成線は標高20〜30メートルの北総台地の分水嶺を蛇行して走る。厚いローム層の表土に覆われた沖積台地はところどころに樹枝状に発達した谷津田と呼ばれる浸食谷を除いて、その大部分は畑作地帯だった。雑木林などのどかな田園風景も残り、そのため沿線地域は住宅地開発の好適地として住宅公団などの大規模団地(常盤平団地、前原団地、高根台団地など)が次々に建設され、それがまた呼び水となって民間の住宅地開発がスプロール状(虫食い状)に展開していた。
このあたりの地域空間を特色づけていたのはやはり公団の住宅団地であろう。リッチな緑地計画(常盤平団地けやき並木など)、広々としたオープンスペースにポイントハウスなどがリズミカルに配置された中層住宅群(高根台団地)など、公団団地のモダンな空間秩序と住民の生活スタイルは地域イメージに品格とステータスを与えていた。
団地周辺に広がる戸建て住宅地にしてもその多くは敷地にゆとりのある庭付きのマイホームであり、周囲に残る畑地や果樹園、農家の屋敷林などが郊外住宅地の風景に彩りを添えていた。沿線地域は新中間層と言われる都心から流入した新しい住民の住むホームタウンとしての性格を強めていたのである。
一方、総武線沿線及び東京湾岸地域では様々な都市開発の事業が展開されていた。鉄道・道路事業では総武線複々線化、成田新幹線計画、京葉線(貨物線)の客線化、道路事業では第二京葉道路(現在の首都高湾岸線)、東京湾環状道路などの建設計画や事業が進められ、東京湾臨海部では千葉県企業庁による公水面埋め立て事業が進展し、流通基地をはじめ海浜ニュータウンやオリエンタルランド(後のディズニーランド)などのレジャー施設の開発計画や事業が賑やかに展開されていた。
かつて潮干がりで賑わった干潟は殆ど消滅し、船橋ヘルスセンター(跡地は後に船橋ららぽーと)、谷津遊園、船橋競馬場、船橋競艇場などが市民のレジャースポットとして生き残っていた。臨海部は第2次首都圏基本計画(1968年)、千葉県総合計画に基づくアクションエリアだったのである。
(4)商業塗りかえ現象
高度経済成長に伴う都市変貌、社会変化の中で商業地も大きな変貌を遂げ、総武線沿線駅地区では「商業塗りかえ現象」と呼べる状況が顕著に展開されていた。「商業塗りかえ現象」とは人口動向の変化や鉄道事業、再開発事業、大型商業施設の進出等により地区の商業構造や立地的態様が大きく変貌する現象を表現した造語である。調査した千葉県内の主な塗替現象を以下に示す。
a 千葉市の商業塗りかえ現象
①国鉄千葉駅・京成千葉駅移転による中心商店街の移動
②千葉そごうの進出およびステーションビル建設に伴う新中心街の形成
③千葉駅前地下街の構想
④京成千葉駅西口にダイエー、西友ストア
④海浜ニュータウン35万人に対応するショッピングセンター構想…ほか
b 船橋市の商業塗替現象
①船橋駅前通り、本町通りに大型店舗15店進出
②中央通り商店街の再開発事業
③駅前通りと本町通りの角地に松屋百貨店進出
④総武線複々線化による対策として西武デパートの70%の増床
⑤地元商店会連合会加盟800店による共同ショッピンゲセンターの建設計画
⑥新京成駅前習志野台に西友ストアと赤札堂が共同で大型店舗を開設…など。
c 市川市での商業塗替現象
①国鉄市川駅、本八幡駅北口に既存商店街があるが、本八幡駅南口に長崎屋、西友ストアが開店
②京成八幡地区に扇屋、十字屋、丸興が、ハタビルに東芝ストアが進出、本八幡駅前再開発(予定昭和48年)
③市川・本八幡駅の高架化に伴うショッピングモール(現在のシャポー)の計画
dその他千葉県内の商業塗替現象
・松戸市 柏市、鎌ヶ谷市、佐倉市などの商業塗替現象(詳細省略)
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商業地は個々の商業者にとって経営の生死をかけた戦場である。変化する購買動向、消費者ニーズに対応して販売競合対策を講じていかねばならない。経営の合理化、事業形態の改善、出店や撤退など、その自律的、集団的営みが塗りかえ現象として現れる。都市の郊外化により、千葉県の大都市圏近郊地域の商店街は大きな変貌を遂げていたのである。
(つづく)