#10
「背番号10」
サッカーでは誰もが認めるエースナンバーである。
攻撃の中心となりチームの勝利を左右する、まさにキープレイヤー。
日本代表だと中村俊輔や香川真司、世界ではメッシなんかに代表される
スーパースターにのみ付けられることが許された番号。
サッカー始めたての小学校3年生の頃、もちろん俺自身もこの番号に憧れていた。
ただ、すぐに諦めた。
どうやったって勝てない黄金の5人がいたからだ。
(彼らの詳細は#4で)
サッカーは大体7~11番までがエース級の選手がつける背番号として通っている。もちろんその番号は黄金の5人の特等席だ。
俺といえば、試合中にボールが来たら、近くにいる彼らの眩い光りを頼りに一番近くにある輝きに向かってパスを出し、おとりの動きをする、そんな感じだった。それ位、圧倒的な差があった。
だからといって、日々の努力を放棄したわけじゃない。
なんとか食らいつこうと必死に個人練習したし、試合を見て研究もした。
それでも、そこには10歳そこらでも明らかにわかる、とてつもなく厚く高い壁
があった。
当時は本当に悔しかった。
でも、今、大人になって思うとそれでよかったと思う。
理由は大きく2つある。
①彼らのおかげで「勝者のメンタリティ」を学べたこと。
ずば抜けた才能を持つ5人がいたことで、市内ではほぼ負けなし。地区を超え県内でも1.2を争う強さだったので、めちゃくちゃ優勝した。
俺自身、試合自体には出ていたので、優勝の喜びや勝つためには、どんなプロセスやメンタルが必要なのか、体に染み込んで理解できた。
これは、バンドでも仕事でも活かされてる部分があるなと、時々感じる。
特に達成する喜びや、それまでの苦しみや葛藤をサッカーという競技を通しで学べたのは社会に出てから本当に役に立っている。
②自分で考える力がついた。
・試合に出るためには何が必要なのか。
・彼らに無い自分の良さって?そしてそれを発揮するには?
これをひたすら考えた。
その結果、自分にしか出来ないプレースタイルを見つけることができて
生き残ることができた。
これって、現代社会を生き抜く上ですごく重要なことだったって
今思うと感じる。
にんじん、じゃがいも、玉ねぎ渡されてうまいものを作れって言われて
みんながカレーの旨さを競う中、俺は肉じゃがにした、みたいな。
うまいっていう結果になれば、形はなんだって良いんだなって。
これらの考えを持てた事で中3では不動のレギュラー。
中学では彼ら5人とは別のチームになったので、背番号8をもらい、地区大会準優勝という結果も手に入れた。持たざる物だった俺らが手に入れた功績。
最近、自分の生き方、あり方っていうのをすごく考える中で
大体のヒントは学生時代のサッカーに詰め込まれていたことに気づいて
結構な発見だった。
SNS、めちゃくちゃ見てるけど、みんな正義の名の下にマウンティングして言葉でボコボコ殴ってる。自粛警察やアメリカの警官と何が違うんですかね。あれ。
みんな、FC社会の「背番号10」にでもなってるつもりなんだろうか。
そんな奴のいるチームならさっさと辞めて、お家でFIFAするよ。
社会というチームなら別に何番だろうが構わない。
なんなら今は補欠でも良い。
ただ、「FC自分」では常にエースでいたい。
人生という大会でいかに優勝するか。その鍵を握る「背番号10」として、自分と向き合って行きたい。
P.S
おい!かつてアーセナル所属の「ウィリアム・ギャラス」は背番号10だけど
DFで攻撃にほとんど絡んでなかったぞwww
とかいうクソリプは受け付けておりません。