借り物ではない、自分の言葉で語りたい
秋と冬のはざまの、穏やかな休日。
約1ヶ月間に渡って苦しめられてきた後頭神経痛がだいぶ和らいだため、東京の一番西のあたりまで、カメラを持ってお出かけした。
約9か月前に訪れたお気に入りの場所、もともと旅館だった場所が美術館として生まれ変わった「河鹿園」。
この季節に足を踏み入れるのは初めてだったのだが、建物に入った私を出迎えてくれた光景に息を呑んだ。
窓の向こう側で風に揺れる紅葉、畳に落ちる木漏れ日、光と影が織りなす模様が広がるカーテン。
「美しい」では言い表せないほど、視界に入る何もかもが心に沁み入り、感受性を激しく揺さぶってくる。
同じ場所に遅れてやってくる予定の夫に、この空間の素晴らしさを伝えようとLINEをしようとして、ただ、その場で撮った写真だけを送った。
私には、この時の気持ちの高まりを表す言葉が見つからなかったのだ。
もどかしさと共に、こういった感情や目の前の光景の素晴らしさを、自分の言葉で表現できるようになりたいと強く思った。
私は幼い頃から、文章を書くのが好きだった。
小学校低学年の頃から童話を書き始め、それからは短編小説や歌詞という形で、頭の中にあるものを綴るようになった。
次々と頭の中に浮かんでくる思考に追いつかれないよう、必死で筆を走らせていたあの頃は、純粋に自分の言葉で表現することができていたのだと思う。
年齢を重ねるにつれて、他の人が書いた小説や歌に触れるようになった。
本屋でとある詩人の詩集を立ち読みし、その言葉の編み出すリズムの美しさに呆然と立ち尽くしてしまうほどの衝撃を受けることもあった。
私が前から感じていて、それでいて上手く言葉では言い表せなかった感覚を巧みに言語化できる彼らがとても羨ましく、同時に自分の限界を垣間見た気がしてショックを受けた。
それからは文章を書いていても、「この作家だったらもっと上手い表現を見つけるんだろうな」と落ち込み、「じゃあ自分が言葉を綴る意味って何だろう」とまで考え込んで、筆が進まないことが多くなった。
大学に進学すると、これまでとは異なった方法で文章と向き合うことが増えた。
偉い人が残した難しい言葉や考え方の枠組みについて、前提となる知識を理解しているか、更に自分なりに解釈・考察しているかを証明するために、自分の考えを文章にして書き起こす必要があった。
そこで私は、自分の綴る言葉への自信の無さと、文章を書かなければならないテーマに関する知識の乏しさを埋める方法を考えた。
それは、同テーマにおける、優れた他人の生み出した言葉に少しでも多く触れることだった。
私は文系の学部生にしては比較的多くの論文を読んでいたと思うのだが、だからこそ、他の人の書いた言葉に引きずられてしまったのかもしれない。
ある日、授業の後に教授に呼び止められ、先日提出したレポートの内容についての話になった。
レポートの内容について満足しているかと聞かれ、私は、考えていることを概ね書き切ることができたので満足だ、と答えた。
するとその教授は、心底心外だとでも言いたげな顔をしてこう言った。
「そう?でもシホ、あの文章は君自身の言葉ではなかったよね(not your own words.)」
いつもなら優しく私の耳に響いていたブリティッシュ・アクセントが、まるで私を断罪するかのように低く響いた。本当に図星だったのだ。
勿論、他人の書いた文章を丸々引用するなんてことはしていない。けれど、稚拙な文章だと思われたくないがあまりに、英語ネイティヴが使うような(自分の英語レベルにはそぐわない)単語や言い回しを文中で多用してしまっていた。
この出来事によって、私の中で「自分の言葉で語れるようになること」は憧れであると同時に、卑屈な感情を引き起こすトリガーのようなものになってしまった。
本当は自分の中から生まれた言葉を使いたい、でも、能力も知識も足りないために、他人の言葉を拝借しなければ表現できない。
ジレンマに陥った時にはもう進路を決めなければならない時期が近づいており、私は公務員試験に向けた勉強に没頭することで、この問題について考えるのを放棄してしまった。
社会人になると、言葉で表現するようなことは徐々になくなり、休日に写真を撮るようになった。
それは、私が言葉に対する自信を約10年かけて徐々に失っていたからだけではなく、言葉と対峙するのは私にとってはかなりしんどい作業で、社会人になってからは言葉に割く時間的・精神的な余裕が無くなってしまったというのも理由だ。
写真を撮っている時は、気持ちがとても楽だということに気がついた。
まず、小説を書いていた時のようにゼロから何かを生み出す行為とは異なり、写真を撮ることは、既存のものに自分なりの色を足していく行為に近い。
それから、撮影・編集・発表という表現活動の一環では、被写体を写そうとした意図やその時の感情を、無理に言語化する必要がない。
そして、言葉よりも写真で構成された作品の方が、公開したときに鑑賞者の解釈の幅が残されているようにも感じる。
この語りすぎない、余白(逃げ場ともいう)のある表現方法が自分には合っているのだと思う。
それでも、自分の言葉で語れるようになりたいと願う気持ちは、写真を撮るようになった今、文章を書いていた時よりも切実かもしれない。
冒頭で紹介したエピソードのように、感動した光景を写真には残せても言葉にはできない時、もどかしい思いをすることもある。
それから、SNSでは連日、写真や写真に添えられたキャプションが大量に流れてくる。
その中で自分を見つけてもらうには、他の人の投稿と差別化をする必要がある。
写真そのものの魅力を高めることが重要なのは勿論だが、その写真に込めた想いを自分の言葉でかつ簡潔にキャプション化するのは、センスと技量がいることだ。
また、自分の言葉で満足に語ることができない劣等感と向き合わざるを得ない時もある。
例えば、写真展に出展するためのステートメントを考える時。写真雑誌のインタビューで、ある作品に込めた想いを説明する時。
語る内容は本心から生まれたもので、嘘はついていない。
けれど、どこかで読んだ他人の言葉を借りてきてはパッチワークのように縫い合わせ、あたかも自分の力でこしらえたかのような顔をしていることもある。
そんなんで良いのかなあ、とモヤモヤしていたある夜、友人と久しぶりに会って小洒落たバルで飲んだ。
その友人は、私が写真を撮り始めた頃の写真を知っており、タイミングが許した時は写真展にも足を運んでくれている。
その夜は、私が作品撮りで撮影した写真の解釈について話が盛り上がっていた。
「志保ちゃんの撮る写真は、何というか」
突然、友人が言った。そこで言葉を切り、数秒間の沈黙の後、「う〜〜〜〜〜ん」と言って頭を抱え込んでしまった。
私は何を言われるのか内心どきどきしながら待っていると、顔を上げた友人は、
「上手く言えないけど、すごく、好きなんだよね」
と、口にした内容にはそぐわない苦渋の表情を浮かべて言った。
友人は、写真に詳しければ上手いこと言えたのに、良い言葉が出てこないのが悔しい、と悶絶していたが、あれは紛れもない、彼女の内側から生まれた、彼女だけの言葉だった。
そして、実感した。「自分の言葉」をかけられた側は、こんなにも嬉しいんだ。
薄暗い店内で、パエリアの皿にこびりついた米粒を意味もなく見つめながら、そうか、そういうことか、と、私は静かに感動していた。
自分の言葉には、責任が伴う。
自分の言葉で語ったことを否定されると、自分自身が否定されたように感じてしまうこともある。
その責任を引き受け、恐怖を乗り越えて他者にはたらきかける姿は、勇ましくて美しい。
つい先日、8月末にnoteで書いた記事「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」が、note×マイナビ主催のコンテスト「#あの選択をしたから」で、光栄にもマイナビ賞をいただくことができた。
人生における大きな決断をしたからには、自分の体験談を転職サクセスストーリーとして美化したいという気持ちもなくはなかったのだが、現実を自分の言葉でありのままに書いた。
その文章を評価していただいたことは、大きな自信に繋がった。
今でも私は、文章を書く時や人と話す時、誰かの言葉を引用して気取ったり、無理して背伸びした言葉を使ったりしたくなる。
そんな時はどこか虚しい気持ちが残るし、言葉を生み出す努力を怠っていると、いざ素晴らしい光景を目の前にした時に自分の言葉が出てこなくなってしまう。
そして、結局のところ人の胸を打つのは、借り物ではない、自分の言葉で語られた言葉なのだろう。
あの夜、バルの片隅で私が友人の言葉に感激したように、私も「自分の言葉」で誰かの心を動かせるようになりたいと思う。
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