見出し画像

副業と家庭の両立について

私は平日は正社員としてフルタイムで働いており、休日に写真のお仕事や趣味の作品撮りをしています。
2年前に、持続可能な働き方と写真を仕事にできる環境を目指して国家公務員を退職し、晴れて副業として写真のお仕事に取り組めるようになりました。
本業と副業の両立は今でも自分にとっては大きな課題であり、主に時間的な制約を感じてしまう場面が多々あるのが正直なところです。
それでも、平日に写真の仕事を受けることができないのは分かりきっていたことですし、限られた時間の中でしか副業に従事できないということについて、ある程度は覚悟ができていました。
今の私は、転職時にはここまで頭を悩ませることになるとは思っていなかった問題に直面しています。
その問題というのが、写真活動と家庭生活の両立です。

この記事を公開することで、夫婦関係の問題というプライベートな部分を晒すことになってしまいますし、この記事を読んだ方が私に写真の仕事を依頼するのを躊躇ってしまうのではないか、という不安もあります。
それでも、この記事が同じような問題に悩む方の目に触れることを願って、この記事を公開することにします。

現状について

まず、私が写真活動に費やしている時間などの実情と、家庭生活への影響についてお話しします。
写真を仕事にできる環境が整ってから2年が経ちますが、最初の1年はライフイベントが立て続いたこともあり、本格的に写真を副業として動き始めたのは今年の1月からです。
去年は企業様からのお仕事をメインでお受けしていましたが、直近のスケジュールを空けることや平日に撮影を行うことが難しいため、今は個人の方からの依頼と、納期にゆとりを持って取り組める企業案件をお受けしています。
有難いことに様々な方からのご依頼をいただいており、ほぼ毎週末、幸せな気持ちで撮影をしています。

私は夫と2人暮らしで、夫も私と同様、フルタイムで働く正社員です。
なので、原理的には平日の夜と休日が、2人が一緒に過ごせる時間になります。
実際は、私のカレンダーには3~4ヶ月先の予定が書き込まれており、こういった現状に対して私の夫は不満を漏らしています。
「夫の言い分」の項目で詳しく記載しますが、私が副業をしていることで家事などの面で夫に負担がかかっていると訴えられたり、夫婦で過ごせる時間が少なく、これでは結婚した意味がないのではないか、といった趣旨の言葉をこぼされたこともあります。
写真活動と家庭生活の両立が原因となって喧嘩をしたことは結婚してから何度もあり、夫婦関係におけるしこりとして残り続けています。

私の言い分

確かに私は撮影の予定を入れすぎていると自覚しており、その分夫に精神的・物理的な皺寄せがいっている事実について否定するつもりはありません。
夫と一緒に過ごす時間を確保するためには、撮影頻度を下げることが最も簡単な選択肢のように思えます。
ただ、いきなり大きな言葉で言い訳をしてしまうのですが、写真家は、今しか撮れない瞬間を形に残す、という使命を負っていると思います。
これまでウェディング、マタニティー、家族写真などの写真を撮らせていただく中で、一瞬一瞬の光景を形に残すことの大切さを改めて実感するようになりました。
少し前には、癌の治療をされている方から、遺影用の写真を撮って欲しいとの依頼を受けて撮影したこともあります。
そういった方々からの依頼に対し、「スケジュールが埋まっているので無理です。4ヶ月後なら撮影できます」と返すことは、極力したくありません。
全ての依頼に応えることは現実的ではないと分かってはいるのですが、世の中に溢れるほど写真家がいる中で私のことを見つけてくれ、更にはかけがえのない瞬間を写真に残すお手伝いをさせていただけるという事実は、とても重いものだと思います。

撮影させていただいた写真の一部


また、同じクライアントから何度かご依頼をいただいておきながら、どうしてもスケジュールの空きがなくお断りし続けてしてしまい、その方からの連絡が途絶えてしまったこともあります。
写真を仕事にしてから時が浅いうちにこういったことを繰り返してしまうと、お仕事をいただけなくなってしまうのではないかという不安から、少し自分が無理をしてでも、依頼をお受けしたいと思ってしまいます。
写真を仕事にすることができる環境は、国家公務員という職を手放してまで手に入れたものです。
失ったものに見合うだけの写真の仕事をこなさないといけない、という気持ちが、私の焦りに拍車をかけている気がします。

周りのフリーランスの方々からは、写真家として安定してお仕事をいただけるようになるためには、初動が肝心だという言葉をよく聞きます。
私は、せめてこの先3年間は特に写真を頑張りたい。大好きな写真を通じて、できるだけ多くの方の期待に応えたい、と考えています。
その間、決して夫を蔑ろにするわけではありませんが、夫とはこの先何十年も一緒にいるのだから、長期的な目で見守っていてほしいな、というのが、我儘ながらも切実な私の願いなのです。

なお、写真を本業にすれば今抱えている問題のうち大部分は解決するのでは?という意見もあるかと思います。ただ、私は写真一本で生きていくつもりはありません。この件については過去の記事で何度か言及しておりますので、興味のある方はご一読ください。

それに、私が副業に従事することで夫に負担をかけていることは重々承知しているつもりですが、私だって家庭を蔑ろにしてきたつもりはありません。
平日の夜は夫と過ごす時間を大切にしたいため、早朝5時に起床して写真の編集を進めたり、MacBook Pro(結構重い)を職場に持って行って昼休み中に機材レビュー等の記事の執筆を進めたりすることで、平日夜の時間をできるだけ空けるように努めています。
どうしても平日夜に編集を進めなければいけない時は、食事が終わって落ち着いたタイミングで「編集するね」と一声かけてから、夫がいるリビングで編集に取り掛かるようにしています。
また、副業をやっているせいで家事が疎かになっていると思われたくないという意地もあり、目に見え辛い細々とした家事を積極的にこなしているのは私の方だと自負しています。
起床すると、家事(朝食をとるテーブルをアルコール消毒する、ポットに水を入れてお茶を作る、床に掃除機をかける、家中の使用済みタオルを綺麗なタオルに変えて回る、ガスコンロの汚れを拭き取る、新しいゴミ袋をゴミ箱にセットする、食器を食洗機に入れて稼働させる等)の合間に化粧や髪のセットを済ませてバタバタと家を出るのが、私の朝の日常です。

夫の言い分

ここまで文章を読んで、「高埜は頑張っているじゃないか。夫の寛容さや理解が足りない」と思ってくださった方もいらっしゃると思います。
それは有難いことなのですが、夫の立場から物事を見つめると、また違った側面が浮き彫りになってくるのも事実です。

私は写真を仕事にする前、更に言えば結婚する前から、趣味である撮影に没頭していました。
頻度としては、今と対して変わらないくらい撮影に出掛けていたのではないかと思います。
そんな私は夫と結婚する時、「月に2日は夫婦で過ごすために空けておく」ことを約束しました。
結婚して4年が経った今、その約束を守ることができた月は、恥ずかしながら年に数えるほどしかありません。
結婚しても撮影のペースを変えようとしない私に約束を破られ続けている夫は、私に約束を守る気があるのか甚だ疑問と腹を立てていますし、自分という存在が軽んじられたかのように感じると主張しています。

そして、夫の価値観として、夫婦のうち片方が休日のほとんどの時間において家を空けているのであれば、それは別居しているのと同じなのではないか、結婚した意味がないのではないか、という考えがあるようです。
また、夫の理想の休日の過ごし方は、「今日は晴れたから、ちょっと近くを散歩してみない?」「今週末に面白そうなイベントがあるから行ってみない?」といったように、その時の気分に応じて直近の予定を柔軟に決めるといったようなものだそうです。
折角晴れてどこかに出掛けたい気分なのに私は撮影に出掛けてしまう、という休日が続く状況が、夫の理想からほど遠いであろうことは想像に難くありません。
夫は頻繁に「志保さんが好きそうなカフェ見つけた」「この居酒屋一緒に行ってみたい」「この旅館気になる」等の情報を共有してくれます。
普段から私のことを考えてくれているのがすごく嬉しいので、私も「一緒に行きたい!」と返信するのですが、実際に一緒に行ける日がなかなか見つかりません。
「志保さんとどこか行きたいと思っても、どうせ数ヶ月先まで予定が埋まってるからな」と夫からチクリと言われてしまうこともあります。

それから、実生活における夫への負担の増加という問題も生じています。
生活に必要な食品や備品を買いに行くには、一緒に話し合いながら買い物をした方が効率的なのですが、私が空いている時間が少ないため、まとまった物の買い足しは夫が担うことが多いです。
前の項目で、私は細々とした家事を率先してやっていると書きましたが、夫は料理や家計簿の記録、洗濯槽や排水溝の掃除、観葉植物の世話等の家事を積極的にしてくれています。
つい先日も、大地震に備えて防災セットの見直しをしようということになり、夫は家にある防災用品を洗い出し、不足しているものの購入候補を挙げてくれたのですが、私は調べる時間が取れず、夫に丸投げする形になってしまいました。
半年前に家を購入する際にも、インターネットやテレビ、電気屋ガスなどのインフラ周りの手配を含め、大部分のタスクを夫がこなしてくれていました。

家の購入と引越しのために夫と使用していたタスク管理アプリ。
「ST」というアイコンのある項目は夫が担当してくれたタスク。


私が撮影で使う小道具が配達されてきても、置き配不可の場合、受け取ることになるのは大抵の場合夫です。
あまり頻度は高くないものの、セールスや近所の人からの訪問などに対応するのも夫です。

私が撮影や写真の編集に追われている間、実生活においても精神的にも夫に少なからず負荷がかかっています。
このことに私があまり自覚的ではないという事実が、夫が腹立たしく感じる要因となっているようです。

他の人からの意見やアドバイス

以前、Instagramのストーリーに以下のようなアンケートを掲載しました。

「結婚している方々へアンケートです。
もし、自分の配偶者が
・休みの日は趣味や副業で家にいない
・数ヶ月先まで予定が埋まっている
ような状況だったら、どう感じますか?」

といった内容で、結果は、
「別にいいんじゃない?」が42%
「それは嫌だな」が58%
でした。

私のIntragramのフォロワーは、副業をしている方含め比較的アクティブに活動をされている方が多く、この結果が世間一般の感覚を必ずしも反映しているとは思いません。
であるにも関わらず、過半数の方が「それは嫌だな」と回答したことに対し、私は自分の感覚が世間からずれていることを自覚させられ、ショックを受けました。

アンケートに回答してくださった方からは、同時に様々な意見・アドバイスをいただきました。
どの意見・アドバイスも私や夫のことを真摯に考えてくれていることが伝わるもので、今でも何度も読み返しています。
その中でも特に印象に残ったのが、
「高埜さんが今は写真を頑張りたいと思っていることを、旦那さんにしっかり伝えるべき。旦那さんの存在のせいでやりたいことを我慢してしまうとしたら、将来的に旦那さんとの関係が悪化してしまいそう」
といった内容の言葉でした。
確かに、私が今は特に写真を頑張りたいと思っているということを、はっきりと夫に言葉にして伝えたことがなかったとハッとさせられました。
夫との時間を確保することを優先しすぎて写真が思うように撮れなくなった結果、後々夫に「あの時は辛かった」「夫のせいで我慢させられた」と恨みを募らせてしまうことは想像に難くありません。

また、写真ではないのですがとある副業をしている方からは、副業で得た収入のうち幾らかの額を家庭に入れているとの話を聞きました。
副業で家を空けることでパートナーに負担をかけているため、その分を金銭的に補填する、といった考えのようです。
私は、副業で得た収入は自分の努力と才能の賜物とクライアントの気持ちが込められた対価だと考えているため、その収入を家庭に入れるということに対しては強い拒絶感がありました。
ただ、最近この点について思いを巡らせていると、今私が写真を仕事にできる環境の醸成には、夫の努力、気遣い、そして寛容さが寄与しているのだという考えが生まれてきました。
地方での撮影に出かける私を空港まで送り迎えしてくれたり、撮影のために車を出してくれたり、撮影から帰ってきた私のために夕食を用意してくれたり。
また、夫も学生時代には何度も展示をするほど熱心に写真を撮っていたこともあり、写真を撮影する上での技術的な助言を求めることや、夫の機材を借りて写真を撮りに行くこともあります。
副業の収入を家庭に入れる件について考えたことを契機に、夫の存在が私の活動を支えてくれているのだということを意識するようになりました。

それから、先日友人にこの問題についての悩みを打ち明けた時に、私が宗教2世として育った自分の生い立ちや想いについて書いたnoteの内容に話が及びました。
子供の頃の私は、神様を信じている母親と私の間には常に神様という壁が存在しているかのように感じて虚しさを募らせていた、という内容です。
友人は慎重に言葉を選びながら、今の私は当時の母親と同じようなことを夫に対してしているのではないか、といった趣旨の指摘をしてくれました。
家にいても写真のことで頭がいっぱいな私は、夫に話しかけられても撮影の準備や納品作業に追われており、どこか上の空で受け答えしてしまいがちです。
できるだけ迅速にクライアントに返信したいため、夫が話しかけてきても「今忙しいから本当に待って」ときつい言葉でシャットアウトしてしまうこともあります(この点は私の母親とは全く異なりますが)。
また、撮影中の出来事や撮影の準備で苦労したことなど、写真関係のことばかりを話してしまうことが多くあります。
友人から指摘されたことで、夫は、私と夫の間には写真という壁があるように感じているのではないか、と考えるようになりました。

同じ友人とは、こんな話もしました。
私の胸の内では、「夫が言うほど私は夫に迷惑をかけているのか?1日のうち夫婦で過ごす時間がそこまで少ないのか?私は印象や感情論で責められているのではないか?」という反発心があること。
そこで、実際にお互いが負担している家事の割合や、1日のうち私が写真関係に費やしている時間の割合を算出し、具体的な数字を提示して夫を論破しようと思っていること。
私の提案は、友人によって即座に「それはやめた方がいい」と一蹴されてしまいました。
いくら理で説得したとしても旦那さんは納得するとは思えない、そういうことじゃないだろう、と。
(ちなみに、この後夫にも「数字を示そうと思ってた」と伝えてみたら、「そういうことじゃない!」と同じ反応でした)
友人は続けてこう言いました。
「旦那さんは寂しいんだよ。志保にもっと自分を見てほしいと思ってるの。口にはしないかもしれないけど、それが全てだと思う」
私はその言葉を聞きながら、私は何か間違っていたのではないか、という気持ちが強くなっていくのを感じていました。

では私はどうするか

ここまで筆を進めてきたことで、自分の頭の中が整理されてきたような気がしています。
では、これから私はどうするべきなのか、現時点での私の考えを残しておきたいと思います。

好き放題に写真が撮りたい、でも夫との関係を良好に保ちたい、更には正社員・フルタイムの仕事もして比較的安定した身分・収入を確保していたい・・・
これが、一切の建前を取り払った私が望む生き方ではあるのですが、都合の良すぎる話であることは、私でも痛いほど自覚しています。

人生における優先順位というものを落ち着いて考えてみた時に、やはり私は一番近くにいる人、つまり夫を一番に大切にしていきたいという気持ちが自然と湧き出てきます。
長いこと写真を撮っていると嫌でも意識させられるのですが、写真家には旬というものがあります。
要は自分の写真が多くの人間に好かれて脚光を浴びる時期もあれば、逆に時代の求める写真に合致していないため、光が当たらなくなってしまう時期もあります。
私も今では多くの撮影依頼をいただいていますが、今後数十年も同じような状況が続くとは思えません。
そんな移ろいやすい世界に部分的であれど身を置くようになり、病める時も健やかなる時も、普遍的な愛情をもって側にいてくれる人の大切さを身に沁みて感じるようになりました。

この大前提を元に、今後私がどのようにすべきなのかについて考えてみました。

・撮影頻度を下げる

撮影頻度を下げることが最も根本的な解決に繋がるであろうということは、結婚当初から頭では分かっていましたが、受け入れ難い感情がありました。
先にも記載したのですが、今この瞬間にしか撮れないものを撮りたいという気持ちと、依頼を断ってしまうことで依頼をいただける機会が減ってしまうという不安が強かったためです。

それでも、改めてこれまでお引き受けしてきた写真のお仕事を書き出してみた時に、全ての依頼が急を要する性質のものではなく、約半分のご依頼は撮影時期を柔軟に決められる可能性があったことに気がつきました。
そもそも、現状の撮影頻度が高すぎるため身体的な疲労が蓄積してきていることや、今後は写真以外の事のスキルアップにも力を入れていきたいという思いが強くなってきたことから、撮影頻度を下げることに対する必要性を痛感しつつあるのも事実です。

撮影頻度を下げることで、やりたかった撮影の機会を手放してしまう結果に繋がることは確かにあると思います。
このことについてモヤモヤと考えていた時に、私の好きなアーティストである宇多田ヒカルさんが最近のライブで口にしたという言葉に出会いました。

「(前略)・・・何かを失ったりしても、失ったってことは与えられてたんだなって気付かされたり、失ったものはずっと心の一部になるって知ったり、与えられなかったものも自分をすごく豊かにしてくれるなってことも分かったし、与える喜びとか満たされる気持ちも分かった」

引用元:音楽ナタリー(https://natalie.mu/music/news/589143)

この言葉を目にした時、とても素敵な考え方だと心を動かされました。
仮にとある撮影案件を受けられなかったとしても、それで何かを失ったのではなく、長期的な目で見れば逆に何かを得たのだというように発想を転換できれば、穏やかな気持ちで生きることができそうです。

撮影依頼をしていただける方には申し訳ないのですが、今後は月における撮影件数を制限させていただき、急ぎではない依頼については長い目で撮影日の調整をさせていただければ嬉しいです。
(もちろん、撮影の依頼をいただけることは変わらずとっても幸せです!お声がけをお待ちしています。)

・夫に自分の気持ちをはっきり伝える

このnoteを公開する前に、夫には一通り目を通してもらったのですが、「今後3年間は写真を頑張りたい時期」という私の考えを初めて知ったとのことでした。
夫からは、「そういった考えがあるのであれば共有してもらえれば、志保さんが家を空けがちになる状況があとどれくらい続くのか見通しが立てられる。今の志保さんは、ただ撮りたいものを好きに撮っているように見えてしまうし、いつまでこの状況が続くのか見えなくてしんどかった」といった趣旨のことを言われました。
仕事では、中長期的な目標を設定し、その目標を達成するためのロードマップを設定して同僚や上司に共有するのが一般的な感覚のように思えます。
一方、家族という近い存在に対しては、基本的な意識の共有ができているつもりでもできていなかった、ということが往々にしてあるのだなと反省しました。

また、私が夜に夫と一緒に過ごすために朝早くに起きて写真を編集していることも、夫は知らなかったようです。
そういったことは今後話してほしい、言ってくれないと分からないと言われ、いかに私が自分の考えていることを頭の中だけに留めていたかを痛感しました。

撮影頻度を下げるとはいえ、今後約3年間は写真に力を入れたい時期であるという自分の考えは変わりません。
撮りたい気持ちを押し殺してまで夫との時間を作ることを優先してしまうと、後々夫に対する不満が爆発してしまいそうなので、どうしてもやりたい写真の仕事が舞い込んできた時には正直に自分の気持ちを伝えたいと思います。

そして何より、言葉にするのは恥ずかしいのですが、いつも私の活動を支えてくれる夫に対する感謝の気持ちと、夫と過ごす時間を大切に思っているということ伝える努力を続けていきたいです。

・副業と本業の両立が更に叶えられる環境を手に入れる

有難いことに、今の職場では副業を認めていただいています。
写真展の開催やお仕事の撮影のために本業を休ませていただくこともあり、理解のある職場には心から感謝しています。

とはいえ、私の職種では余程の理由がない限り、在宅勤務をすることができません。
在宅勤務ができるようになれば、通勤のための身支度と通勤の実質的な時間を合わせて、1日あたり2時間半もの時間が生まれることになります。
その時間を使って写真の編集や記事の執筆、クライアントとの連絡調整ができれば、夜にゆとりのある気持ちで夫と過ごすことができるのではないかと思っています。
撮影頻度を下げることである程度は解決できる面もあるのかもしれませんが、朝早く起きて編集をし、通勤前にバタバタと家事をしている疲れや眠気のせいでイライラして夫に当たってしまうこともあるので・・・。

個展の開催予定や業務の状況などを見つつ、将来的にはより理想に近い働き方を叶えていきたいと思っています。

・夫婦で過ごす時間に関する取り決め内容を再検討し、約束したからには守り抜く

「月に2日は夫婦で過ごすために空けておく」という約束が守られていないという事実はできるだけ早く是正しないといけない、という意識を夫と共有しています。
そして、今更ですが「本当に月に2日という約束だったっけ?」とお互いの認識にも齟齬があったことが今になって判明しました。
夫と落とし所を話し合いながら、お互いが納得できる形で約束の内容を再検討していきたいです。
そして、約束を守るという行為の積み重ねにより、夫の信頼を取り戻していきたいと思っています。


私には、写真を仕事にできているのは自分の努力と才能の賜物だという驕った気持ちがあったことは確かです。
それでも、この環境は私一人の努力で手に入れたものではなく、周りの人からの支えにより写真を撮ることができているのだと、今になって強く感じています。
このことに気づかせてくれた夫や友人、SNSのフォロワー達には本当に感謝しています。

これから、撮影頻度の低下を含め写真との向き合い方は変わっていくかもしれませんが、一番近くにいる人を大切にしつつ、引き続き楽しく写真を撮っていければと思います。

夫と撮影したセルフポートレート。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?