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優美な死骸#1「色は匂えどアンドロイド」


もうすぐ夏がおわるね、台風が来ると季節がひとつ進むらしい。

この時期はじさつを志願する者が増えるときくけど、気持ちはけっして分からないでもない。今日を生き抜いた奇跡に乾杯、さて、三日月ブログのおじかんです。

ふと思い出したこと。あさのあつこ著の『No.6』という小説を中学生のある時期にわりと熱中して読んでいた。

それをクラスの男子(だんし!)に勝手に読まれて、天才同士の子をつくるために性交をしましょう?みたいな文を見つけられて、わ〜!!!三日月えろいの読んでる〜!!!と騒がれたことがある。

ぜんぜん、そういうのじゃなかったのにな。あの話はエロもラブも記憶にない。

私は、たまにそういう理不尽な目に遭う。いや、誰しもがたまに遭遇する、避けられない不幸なのかもしれないな。言い返すのもだるいし反応に困るよ、と思った。なにより、いまだに腑に落ちない。

思い出したらもやもやする。とけない飴玉が、口の中で邪魔だ。噛み砕くも捨てるもできずに、ころころころころ、舐めたくもない糖を舐める。そういう気分といったら、伝わるだろうか?これは伝わらないのでボツ。

言うまでもない腑に落ちなさって、永久に覚えているような気がする。〝腑に落ちなかったこと〟と〝恥ずかしかったこと〟だけで走馬灯ができあがりそうだな。さいあくだ。

死に片足を突っ込んだ時点で、地獄はもうはじまっているらしい。

だからね、死なないほうがいいかもよ。







毎週水曜日の放課後。

わたしは、とあるマンションの一室を訪れる。

そのマンションは5階建てで、灰色で四角くて、それなりに綺麗で新しい。鍵を持っていないので、オートロック式のエントランスから507号室に呼び鈴を鳴らした。

学校を出てすぐに連絡をいれておいたし、わたしが訪ねて来ることはどうせ分かっているはずだ。

『はーい、あけまーす』

期待通りにオートロックの装置からゆるい男声が聞こえてきて、ガラスの自動ドアが開いた。わたしは何も言葉を返さずモニターのカメラを一瞥して、エレベーターに向かう。

このエレベーターの良いところは、全身の映る鏡が貼られていること。悪いところは、元気な虫が入り込んでしまうとなかなか出て行ってくれないこと。

さりげない挨拶が苦手なので、誰にも出会わずに507号室まで辿り着きたいと思う。HPぎりぎりでダンジョンから抜け出すべく、モンスターに会わないことを祈る緊張感。あれがわたしの人生だ。

すれ違いざまの挨拶って、要か不要かいまだに分からない。されたら誰でも嬉しいもの?えええ、それ、ほんとかな。疑わしい。

とくに、夜が難しいな。なんとなくだけど朝は基本的に挨拶したほうがよくて、夜の挨拶は人による、ような気がする。

昼はみんな忙しいので、あまり出会わずに済む。なんの疑問も抱かずに「朝だから起きよ!昼だから出かけよ!夜だから寝よ!」ってなるのは、原始から進化していないと思います。


わたしがここを訪ねるのは、放課後になってまっすぐの午後4時あたりが多い。高校生の放課後、夏のおわりの空はまだ青い。

したがって他人に出会すこともなく、HPに余裕をもってエレベーターに乗り込むことができた。[5]と[閉]のボタンを光らせると、わたしを乗せた箱が動き出す。

全身鏡には、学生服姿の自分が映っていた。スカートのプリーツを整えて、首筋が見えるショートボブを手櫛で梳かしてみる。

日焼け知らずの肌は夏を感じさせないし、なんとなく生気が足りなくておもしろい。じんわりと汗ばむ額には、36度付近の生命があるから大丈夫。

ごかいでございます、とエレベーター内の女性アナウンスが教えてくれた。誤解でございます、と何かを弁明しているように聞こえるので「いいよいいよ」と心の中で許してあげた。

エレベーターの扉が開くと、すぐ正面に妙齢の女性があらわれた。野生の魔女だ。降りるわたしとすれ違うように、彼女は空き箱に乗り込んでいく。挨拶はせずに、軽く頭を下げるだけにとどめた。

お互いを凝視することもない2秒間で、品のない茶髪と安っぽいサンダルと剥げたペディキュア。それと、見た目からは予想もつかないような無臭を纏っていたことだけが、鮮明に記憶される。

よく知った、虚無の匂いだ。



無事に辿り着いた507号室。ベルを鳴らすと、玄関のドアがこちら側に開かれる。

「ごめん、さっきまで人が来てた」

「でしょうね」

「すれ違った?」

「茶髪の女性から、ソーダさんの匂いがしました」

ドアを手でおさえて開けてくれているソーダさんは、わたしを部屋の中に通しながら、じぶんのTシャツの襟元を引っ張ってくんくん嗅ぎはじめた。それを無視してわたしは、お邪魔しますと部屋にあがる。

脱いだばかりのわたしのローファー以外、靴が一足も置かれていない玄関は、男子大学生の一人暮らしにしては〝生活〟が無い。未開封のAmazonの箱だけが不気味に笑っている。その他はよく片付けられていて、跡形もないからこそ、むせかえるような女性の存在が匂いたっていた。

「おれ、匂いする?くさい?」

「しませんよ。しないから、分かるんです」


ソーダさんからは、実在的な匂いがしない。そのかわり、つねにうっすらと〝死〟が香る。これはちょうど、さっき見上げた雲ひとつない青すぎる空と同じような感覚だ。完璧な快晴からは、死の香りがする。

一週間ぶりのこの部屋は、相変わらず虚無そのものだった。外では最後の蝉が鳴いている。儚いながらも力強い生命を感じる騒音みたいなはずなのに、この部屋で聞くと、水分の抜けて軽くなった蝉の死骸を思い出す。

綺麗好きなミニマリストが、こだわりぬいた部屋じゃない。物欲のない空っぽな人間が、他人に片付けてもらっただけの部屋。それも、ソーダさんに濃度の高い興味を持った人間が、ぺたぺたと触れた怨念の部屋だ。さっきの茶髪の女性、ひとりぶんの手垢ではないだろう。

手を洗わせてもらったとき、洗面台に置かれていた化粧水が先週とは別のものだった。ソーダさんは、そんなことに気付かないし興味が無い。

彼は、絶妙な「してあげたい」を煽るのが本当にじょうずだ。私がいなきゃだめなのね、と思わせてくる男は、相手を肯定するのが上手いのだと思う。


たとえば、よくある遊び人の洗面台みたいに、化粧水や歯ブラシがいくつも並ぶことはない。他のは捨てていいよ、と微笑むソーダさんを安易に想像できてしまう。そこにはまるで〝きみしかいらない〟という温かな愛を含んでいるようでいて、実際は〝どれもいらない〟という冷酷さが沈澱しているのだ。

「ジュースと、サンドイッチ買ってきました」

「あーさいこう、いくらだった?」

「レシートもそこに入ってる」

わたしがエコバッグとして使用している、半透明なプラスチックっぽいトートバッグ。そこから、ツナとたまごのサンドイッチ、爽健美茶、おやつのチロルチョコを取り出す。緑のお茶は飲めなくて、茶色のお茶が好きだってことを知っている。

わたしもしっかり毒されているので、うっかり食事を忘れる彼のためにコンビニに寄ってきてしまったのだ。


「なにこの、キレートレモンは?」

「あ、それはわたしが飲むやつなので、ノーマネーです」

「ほおん、三日月ってキレートレモン飲むんだね」

ソーダさんは、わたしのことを〝三日月(みかづき)〟と呼ぶ。これは、いわゆるハンドルネームだ。ソーダさんだって、本名はソーダさんじゃない。

もう、3年程の付き合いで、お互いに本名を知っているのだけど、初めて呼んだときの呼び名をそのまま使っている。ソーダさんは、ソーダさん。


「ビタミンCの摂取は国民の義務ですから」

「健康とか気にしてんの?長生きするつもり?」

「まさか!やめてくださいよ、はずかしい」

「はずかしくねーだろ、長生きにしろよ」

自分の財布をがさごそ探っているソーダさんは、こちらを見ずに話している。彼は20歳の大学生、わたしよりも3年ほど長く生きている。

都内に実家があり、都内の大学に通っているのに、都内のマンションで一人暮らしをしているが、これは防音設備の整った部屋で、ひとり、真夜中に作曲するためだ。いうなれば、ソーダさんは音楽家。インターネットの宇宙に、いくつもの楽曲という星屑をぽいぽい放り投げている。そして、めちゃくちゃ支持されている。

インターネットにある情報の数は、ちょうど、宇宙にある星の数と同じらしい。そこから好みの音楽を見つけ出すのは、夜空に手を伸ばして星屑を漁るような愚鈍な行為だ。


「べつに、健康に生きるつもりですけど、生(セイ)にしがみついて生きるのはダサくないですか?」

「まったく、セブンティーンだなあ」

「まあそうですけど───あ、お金多いです」

手渡された小銭が、レシートの表示額と同じになっている。これだと、わたしのキレートレモンまで加算されている。なんならそれでもお釣りがくる。過分を返そうとすると、しっしっと綺麗な手に振り払われた。

「おれの買ったビタミンCで、まだまだ生きなさい」


ソーダさんは、こういうひとだ。宇宙でふわふわ漂っていた星屑のわたしを見つけ出して、地球上に広めてくれた人。彼のおかげで、三日月という存在は、インターネットの宇宙でそこそこ名前が知られるようになった。

そうやって無責任に、三日月の寿命を延ばしている。

三日月と宇宙の喩えがややこしかったので、わたしたちの出会いについて軽く触れておく。


[三日月]というハンドルネームで毎日ひたすらブログを書いて投稿していただけの、当時中学生だったわたしを、当時高校生ですでに有名人だった[ソーダ]が発見して、SNSで広めてくれたことがきっかけだ。

ソーダさんは当時からほとんど変わらず、思いつくままに色んな楽曲を生み出して、たまに演奏してみたりして、ふざけた音楽の動画を投稿している。才能をぽいぽい放り出しているだけなので、だれも彼の正体や人格は知らない。それでも夢中になってしまう。

そんな彼が中学生だったわたしに、ダイレクトメッセージを飛ばしてきた。内容は「歌詞、書いてくれない?」というものだ。なんやかんやでそれを承諾したわたしとソーダさんは、2人で1つの音楽を作るユニットを組んでもう3年近くなる。

お互いのハンドルネームや顔を明かすどころか、一切の情報を出すことなく、作り上げた楽曲を淡々と毎月1日の0時に動画サイトへと投稿し続けてきた。その打ち合わせみたいなことをするために、わたしは毎週ここを訪れてきている。彼のお世話をするためでもなければ、当然、それ以上の関係もない。

「来月の歌詞、確認してくれました?」

「うん、すごい、よかった」

わたしから話を振ると、力強い返事をくれたので、すこし照れ臭くなってしまう。「どうも」とだけ返すと、追い討ちをかけるようにソーダさんが語り出した。

「よすぎて泣きたくなったな。三日月の言葉に触れるたび、出会えてよかった〜と本気で思うよ」

「そ、そんなに?」

「まるごと飲み込みたい言葉に出会ってしまうと、ほんと、どうしようもできないね。無力になるしかない。愛ってそういうことよ、しらないけど」

「空虚な感想をよくもまあ、饒舌にべらべらと」

「俺の安っぽい感想で、オマエの言葉の価値を下げたくないの」


ソーダさんは、わたしの価値を高く見積もりすぎている。いまだに彼はわたしが個人的に続けているブログの読者であり、たぶん、いちばんの三日月のファンだ。


「それにしても、ソーダさんの口から愛(・)って、似合わなすぎてウケますね」

「愛は目に見えないから、なんとでも言えるよな」

「たしかに見えないけど、この部屋は、他人の愛が染み付いていて気分が悪くなりません?」


最低限の家具しか置かれていない部屋に、家主を求める仄暗い情がべったりと染み付いている。これは、執着という呪いの一種なのかもしれない。彼の私生活に干渉するつもりはないけれど、賃貸マンションを事故物件にするのはさすがに良くない。

だらしない色の事情を咎めるように目を細めて睨んで見せると、サンドイッチを頬張るソーダさんが、薄いくちびるでにやりと笑った。


「そ、わかる?最高だよね」


彼がインターネット内で〝悪童〟と揶揄われているのは、こういう性質によるものだろう。姿形こそ綺麗なものの、他者を弄ぶことへの膨大な享楽が、彼および彼の作るコンテンツの背後にはどっぷりと横たわっている。


「いろんな音が浮かぶのよ、この部屋」


最後の大きなひとくちを口の中に放り込んで、わざとらしく親指についたたまごを赤い舌でぺろりと舐めとった。汚らしさがなく、艶やかさと茶目っ気だけが誇張される。さりげない仕草にも計算が見え透いているので、憎たらしい。


完食して「うめかったー!!!」と幸せそうに笑うソーダさんだけど、「このメシ超まじー!!」のときもまったく同じテンションで幸せそうに笑って言うことを知っている。舌も感情も表情も、感覚がぶっ壊れているのだ。ソーダさんをそばで見ていると、自分は天才になりたくないなと思う。人間をやめるにはまだ早い。

「さっきの発言、音楽家っぽいですね」

「三日月は、いつも物書きっぽいよ」

「皮肉ですか?」

「いいえ?しいていうなら、愛ですが」

息を吐くように、愛を告ぐ。三日月という半透明な存在に向けられたそれは、わたしにまで響かない。自分の一部である三日月にたいして、ずっと、淡い嫉妬を抱いている。

サンドイッチの包み紙をゴミ箱にシュートしたソーダさんが、ぱちん!と指を鳴らして「そーいえばっ」とご機嫌に歌った。男性にしては高めの声は、中性的な容姿によく似合っている。

「シニエルの新曲、いろんなランキングで今週1位だったよ。見た?」

「見てないです、いろんなってなんですか」

「見てない奴には教えませーん」

「うわあ、やなかんじ」

シニエルとは、わたしが歌詞を書き、ソーダさんが曲を作っている音楽ユニットの名前だ。好きなカタカナをそれぞれ2つずつ、相手が何を出すのか知らない状態で選び、その4語を組み合わせたものが〝シニエル〟だった。つまり、適当である。

そもそもシニエルが2人組だと知られていないので、歌っている男の子(ソーダさん単体)の名前がシニエルだと思われていることが多い。べつに、いいけど。

実際、歌詞以外の製作のほとんどをソーダさんが手掛けているので、わたしは、シニエルをソーダさんの作品だと思っている。だからこそ、順位とか視聴数とかを気にせずにいられるのだ。数字のひとけためなんて、知らないほうがいい。そして、ソーダワールドの主人公はソーダさんだけなので、わたしはしょせん脇役に過ぎない。

「テレビのオファーもめっちゃきてる」

「出演しないんですか?」

「するわけないだろ、俺らはミステリアスで売ってるんだぞ」

「それを言っちゃうとダサいですねえ」

「謎めいた存在、なりたいよねえ」

自分で言うのもあれだけど、シニエルはこの数年でだいぶ名前が売れてきた。ていうか、いわゆるバズっている状態だ。毎月同じ時間に新曲を披露するというアーティストはおそらく前例を見なかったし、匿名性が非常に高いのも魅力的。だと、いわれている。らしい。

すべては生粋のエンターテイナー、ソーダさんの描いたとおりに進んでいる。雲の上からふわふわと笑って地上の民を見下ろしているのがソーダさんなので、もはや神様だ。

わたしのブログを好きだと公言してくれているのも、彼による自己プロデュースのひとつなのだろうと思ってしまう。三日月ブログを読んでる奴はイケてる、という現代のサブカル的な風潮が生まれたのは、彼の功績かもしれない。


「どうぞ、おれと三日月だけの楽園へ」

「おじゃまします」

それからいつもの自然な流れで部屋を移動して、ソーダさんはもうひとつのドアを開けた。

「ふたりっきりだね?」

「うわ、ソーダのASMR」

こしょこしょと耳もとで囁いてくるソーダさんに白い目を向けながら、部屋に入る。そこは、パソコンやら電子楽器やらが置かれた、彼の趣味兼仕事部屋だ。彼とわたし以外の何者も、立ち入ることができないらしい。

カーテン代わりにマグリットの『個人的価値』という有名な絵画で、西日が遮光されている。わたしが、美術館のお土産で買ってきたポスターだ。そんな芸術とは不似合いな、日常アニメのお転婆ツッコミ女子高生のフィギュアと、YouTubeがくれた銀の盾と、ピンク髪の魔法少女のフィギュアが机の端っこに置かれていた。好みの分かりやすいオタクだな。

幅広いジャンルのCDがきちんと棚に収納されているあたりは、几帳面なところが垣間見える。洋楽、クラシック、いにしえのアニソンまで並んでいて、多趣味と無趣味が共存していた。

2つ並んだ大きさの異なる液晶画面、こだわりのキーボード、こだわりのないゲーミングチェア、アロマオイルが入っていない無臭の加湿器。507号室という部屋で、この6畳空間だけはソーダさんの鼓動が聞こえる。


「新曲、歌ってもいい?」

「ああ、はい、聴きますよ」

「ほんとは聴きたくない?」

「いや、だいじょうぶです、聴きたいです」


こういう、無駄なやり取りをしたがるのは、ほんとうに何?と思うけど。

ソーダの生歌を聴けるのは、この世でわたしひとりだ。ソーダとして活動している彼は音声を加工しているし、シニエルでの彼は歌っているけれど、あれは〝シニエル〟なのであって〝ソーダ〟じゃない気がする。ましてや彼は、生演奏や他の媒体に出演させてもらうことをひどく嫌うので、すべて自分の手によって完成させたステージにしかあがらない。

したがって、未完成な生歌を聴くことができるのは三日月だけの特権だ。

さいきん購入したらしいギターを抱えて、ゲーミングチェアに座ったソーダさん。わたしは、淡いブルーのYogiboに腰をおろした。これに座るにはコツがあって、角をひゅっと持ち上げながらゆっくり腰を下ろさなければいけない。いまでは上手にできるようになった。人がダメになる瞬間って、こういうことだな。

じゃんじゃんとギターが鳴り出して、それを追いかけるようにわたしの書いた歌詞が音に乗せられる。途中で上手すぎる口笛が挟まれたのは、彼が歌詞をうろ覚えなせいだ。これはソーダさんの手癖。短い吐息、切り揃えられた桜色の爪、踊る指先。脱力して歌う姿は彼特有の残酷な色気と柔和な空気感に包まれていて、つくりものみたいに綺麗だった。

ソーダさんの歌声は、曲によって変わるのだけど、すべてに通じてやっぱり儚い。でも、けっして弱々しいわけじゃない。にこにこ笑って「またね」と手を振って、なんなら「気をつけて帰るんだよ」などと相手を気遣う言葉を添えて、当然お互いまたすぐ会えるつもりでそれぞれの家路に着く。それなのに、背を向けた直後にふわっと消えてしまいそうな、そんな危うい儚さを孕んでいる。

しかも、それこそが彼の魅力の大部分となっているのでおそろしい。私がいなきゃこのひとは消えてしまう。そんなはずないのに、彼に関わる全ての人がそうやって、手を伸ばさずにはいられなくなる。

じゃー、じゃん。ギターが終着点を示したので、わたしは、ぱちぱちぱちと3回手を叩いた。観客は、特等席のわたしひとり。

「どうだった?」

「よかったです、すごく」

「途中、ちょっと歌詞てきとうにしちゃった」

「いつも、うろ覚えで披露しますよね」

「おかげで口笛めっちゃ上手くなった」 

最高で最低なビジネスパートナーは、恥ずかしそうに笑ってギターを肩から下ろした。実際は、恥ずかしいふりをしただけのアンドロイド。涼しげな視線をこちらに流して、薄く笑う。普段あまり意識しないけど、こういうさりげない瞬間に、うつくしいひとだなあと思わされるのだ。

 
「歌も、どんどん上手くなりますね」

彼の歌声を初めて聴いたのは、彼がセブンティーンだったときだ。ちょうど、いまのわたしの年の頃。そのときだってあまりの美しさに感動したけれど、技術的には今のほうが圧倒的に成長している。シニエルの発展は、ソーダさんの発展でもあるらしい。

なにかのランキングで1位獲得だなんて、そんなの、ソーダさんからすれば通過点だ。彼はまだまだたくさんの可能性を、花束とナイフといっしょにして、背中に隠し持っている。


「おまえが、おれのぜんぶを知っていると思うなよ」

「思って、ませんけど」

「でもおれは、おまえのことなら何だって知っている」


王座みたいなゲーミングチェアで、腕を組んでふんぞり返ったソーダさん。特大のビーズクッションの上で三角座りをしていたわたしは、王様を見上げてため息を吐いた。

「パワーバランスが不公平ですね」

「しかたない、何故ならおれは大人だから。三日月はまだお子ちゃまだろ」

ゆったりと白い歯を見せて、意地悪そうに笑う。わたしと出会ったときはソーダさんも、お子ちゃまの少年だった。学生服を着ていたし、今以上にやんちゃっぽくて悪童だった。

永遠に縮まらない歳の差のせいか、わたしは永遠に彼を追いかけているような感覚でいる。数段上から優雅に見下ろしてくるソーダさんは、次に〝チヨコレイト〟と〝パイナツプル〟で連勝しても追い越せない。

ていうか、チヨコレイト、パイナツプル、グリコ、の三竦みって改めて意味が不明だな。強さ弱さもさることながら、こういうときって同じ文字数にしなくない?ふつう。帰りは、エレベーターじゃなくて非常階段を使おうかしら。ソーダさんとグリコで遊びながら、階段を降りたい。

わたしたちは、それなりに仲が良い。ふたりでグリコをしてもいいくらいの仲。

現実での、深月流音(みつきるね)と苑田彗(そのだすい)。インターネットでの、三日月とソーダ。

お互いの顔や本名を知っていて、ある程度のプロフィールも共有されている。そういう関係でありながら、わたしたちは、ビジネスパートナーの領域をあえて超えずにいる。ビジネスの親友、みたいな。

実際のところ、文字から受けとるほど冷徹な印象もない。いっしょにごはんを食べたりもするし、たまには水曜日以外にふたりで遊んだりもする。そういう仲だ。

だけど、ソーダさんがわたしに心を開いてくれたことはまだ一度もないように思う。人見知りなわたしのほうは、もう、わりと開いているつもりだけど、人当たりの良いソーダさんは決して心の核を見せてくれない。その不公平なパワーバランスが、彼にとっての居心地の良さなのだろう。

「三日月って、どんな家に住んでるの」

毎週わたしを自宅に招いているけれど、わたしの家にソーダさんは訪れたことがない。こういう側面だと、わたしのほうがクローズに思えるから不思議。

「ひろーいですよ」

「ひろーい?あとは?」

「絵がたくさん飾ってあります」

「そっか、三日月ってすげー金持ちなんだっけ。社長の娘で、しかも母親は有名な画家」

裕福な家庭で育ったわたしは、否定せずに頷いた。彼の言う通り母親は画家なので、流音というわたしの本名は芸術家のルネ・マグリットに因んでいる。

ゲーミングチェアごとくるくる回りながら、なんとなく雑談のモードになるソーダさん。自分で勝手にくるくるしているくせに「目がまわる〜!」とはしゃぐ彼は、20歳にしては言動が幼すぎる。こんな20歳は嫌だ。


「うち、来てみたいですか?」

「んー!えー!いいの?」

絶対に嫌ですが、ときっぱり返すと、「めそー、めそー」と声に出しながら泣き真似を始めた。えーんえーんってする赤ちゃん泣き声のリズムで、めそめそするな。ほんとに最悪だな、この20歳。

すぐ泣き真似に飽きたソーダさんはそばにあったギターをぼろんと弾いて、システム的に話を仕切り直した。


「家に、学校の友だち呼んだりする?」

「初等部からずっと仲良しの子とか、呼んだことありますね」

「あ、それ、本の貸し借りしてた子でしょ」

「わ!正解です、よく覚えていましたね」



ソーダさんのなかには経験値からなる面倒見の良い兄感と、精神に根付くクソガキ感が同居している。わたしの学校の話を聞いてくれたりするし、意外にも覚えてくれているらしい。これは、ほんとに意外だ。失礼ながら、自分自身にしか興味がないと思っていた。

「覚えてるよ、三日月が中等部のときに本を借りてさ、俺に電話してきたことあったよね」

「そう!わたしが借りた本の裏表紙に、お茶をこぼしちゃったんですよ。どうすればいいか困り果ててソーダさんに電話で相談しましたよね」

「そして俺は解決策として、お詫びのプレゼントを提案し、その作家の新作をいっしょに買いに行った」

「ソーダ兄貴〜!と思いましたよ、はじめて」

わたしの言葉に鼻の下を掻いたえらそうなソーダさんは、ひゅ~るり~と口笛を吹く。音程が完璧なアメイジング・グレイスなのは、なぜ? 

「わたしがソーダさんを頼りにするのは、そういうときです」

「三日月はアホの子なのでそういう凡ミスをしまくっているし、その積み重ねでいつか死ぬ」

そうなのだ。わたしは不器用で、いろんなことをうまくやれない。何でもうまくやれすぎるソーダさんには分からないだろうけど。

「ダサく死ぬのだけは、嫌です」

「死ぬのはいいのかよ」

「うん、それはいい」

「おまえもおれも、長生きしないだろうなー」

間延びした自虐を吐きながら、なぜかいきなり大画面でエゴサーチを始めたソーダさんが笑う。〝シニエルの中の人って○○なのでは?〟という憶測が、SNSで飛び交っている。中の人なんて探ろうとしなくていいのに。しょせん全てはフィクションだ。

そういえば、出会った当初に「ソーダと三日月でシニエルをやっているって、時が来たら明かしたい」とソーダさんは言っていた。まだ、時は来ていない。

ソーダさんは、通りすがりの天才だ。ふらっと適当な音楽を作っては、インターネットのそこらへんに落としていく。歌詞はめちゃくちゃにふざけていて、ソーダさんの音楽からは得るものも失うものもない。

ただ、胃もたれするほど濃密なセンスとユーモアの波が、ぶわあっと押し寄せてくるだけだ。わたしたち凡人は避けることもできずに受け止めて、その才能にひれ伏すことしかできなくなる。

それでいてシニエルは、まったく方向性が違うのだ。良く言えば大衆向け、悪く言えば、天才ソーダが凡人のところに降りてきたような分かり易さが透けている。三日月の歌詞が、正しい意味で飲みやすいようにソーダの才能を薄めている。しょせんわたしはソーダさんになれないし、溶け合うことすらできないらしい。


「ソーダさんは、まちがいなく短命でしょうね」

「えええ、おれだけ?おれらは一連托生だろうよ」

「いっしょに死んでくれるんですか」

「しぬしぬ、それでさ、同じ墓に入ろうな」

欠如した倫理観が、孤独なセブンティーンをなぐさめる。そんなことを簡単に口にしてはいけません。だって、わたしが信じちゃったらどうするつもりだ。

どうせ、彼にとってはなんともないのだ。しぬことも、容易に吐きだす愛っぽい言葉も、わたしたちの運命も。どれもこれも、空っぽな彼を満たせない。


不眠症だし、生きることに執着がないし、美人と天才は薄命っていうし。何拍子もそろっているのだから、短命なのは間違いないだろう。でも、さすがにそれは口に出さなかった。失礼にあたるとか気を遣ったわけじゃなくて、なんていうか、本質を突きすぎているからだ。


エゴサーチの結果が、わざわざスクリーンと化した白い壁に投映された。あらゆる意味で無駄が多いが、ソーダさんは人生の無駄を楽しんでいる。おそらく、彼にとっては生きることそのものが暇つぶしなのだろう。

大きく映されているのでいやでも目に入ってくるが、肯定的な意見のみだったので安心した。わたしが知るよりも、シニエルは万人から抱きしめてもらっているらしい。その事実を、無感情に受け止める。そうか、すごいな。よかった。ソーダさんの足を引っ張っていないなら、もうそれでいい。承認欲求がたいして満たされることもなく、他人事として眺めていた。自分も携わっていることなので醜い嫉妬はしないで済むけど、とくに感情が揺さぶられることもない。


「シニエル、どこまでいけるのかなあ」

「どこまでだっていけますよ」

「ほんと?」


この愚行を日課としているはずのソーダさんも、あんまり気分が高揚しては見えなかった。彼ほどになると、もう、他者からの肯定に慣れきっているのかもしれない。そんなの、もう、エゴサーチなんてやめてしまえ。

それでもわたしはあなたを見上げて、そっと告ぐ。


「ほんとです、ソーダさんは天才ですから」

まっすぐな本音をぶつけられた天才は、一瞬ぽかんと口を開けてかたまった。その直後、我に返っていきなり近くにあったハーモニカをふひゅうと吹いた。なぜ近くにある?そして、なぜ吹いた?

でもね、わたしは、こういう意味が不明の行為をソーダさんの照れ隠しだと知っている。


「三日月も、いっしょに来てくれるんだね?」

「まあ、はい、がんばります」

「ついてこれるの?どこまでも?」

「お供しますよ、どこまでも」

17歳のわたしは、深く頷いて、すこし笑った。20歳のソーダさんは椅子からぴよーんと軽快に飛び降りて、わたしの頭をよしよしと撫でた。飼い主と、それに忠実な犬みたいな構図だな。

至近距離のソーダさんからはやっぱり匂いがぜんぜんしなくて、だけどそこには、やさしい体温が確かに存在していた。




私が[三日月]という名前でブログを始めたのは、拗らせたチュウニビョウの成れの果てだ。吐いても吐いても吐き足りない、有り余ってどうしようもない言葉たちを放り投げておくだけの場所。


本名や素性を一切明かすことなく、淡々と更新を続けたことは不幸中の幸いだった。中の人、背景、状況、ぜんぶぜんぶ雑音だ。ただそこにある言葉だけを、それ以上でもそれ以下でもなくありのままの威力で受け取ってほしい。だから、インターネットの宇宙には[三日月]というユーザーを作りだした。性別も顔もないし、親の収入も関係ない。ただの細い月と、退屈な文字の羅列。


ブログには、いろんなことを書いた。もういいけどやっぱり腑に落ちない思い出、ふと創作してみた詩や短編小説、架空のヒトやモノへの手紙、今日のニュース番組をみて思ったこと。ほかにも、たくさんのこと。


さいしょの1ヶ月は画面の向こう側の反応なんて、ひとつも気にしていなかったと思う。PV数はほとんど無に近かったし、ほんとうに、ただ、言葉を吐き出しているだけだった。


ずっと、そのままでいればよかったのかもしれない。趣味との正しい向き合い方なんて、もうすっかり忘れてしまった。


このことは明確に覚えているのだけど、ある日を境にして、毎日必ずPV数が1以上になるようになった。そして、2か月ほど経ったとき、初めてコメントを残してもらったのだ。


その日のブログは、中学2年生のわたしが、魔法少女になった場合に起こりうることを箇条書きにしたものだった。いいでしょう、中2っぽくて。はじめは悪者だけど2期からは主人公の仲間になるパープル担当の美少女で、使い魔はもこもこした白い猫。そんなことをひたすら3千文字くらい書いた日のブログに、記念すべき初のコメントがついたのだ。


〝ぼくも!!!魔法少女に!!!なりたい!!!です!!! そして、三日月さんのブログ毎日読んでます。今日もあいかわらず最高の最高でした、明日も楽しみにしています。〟


これを初読した瞬間の壮大な感動は、引き出し手前側にしまってある。いつでも取り出して、すぐに触れられるようにしてあるのだ。

しかし、初めての嬉しい動揺で、どうすればいいのか分からなかったので、何も反応はしなかった。その日いちにちは何度も何度も見返して、どきどきして、はやく明日のぶんを更新したいなって、そわそわしていた。

あしたのぶんも、このコメント主の方は楽しんでくれるだろうか。何を書こうか、どういう話がこの人は好きなのだろうか。でも、その人に寄せ過ぎてもおかしいかな、どうだろう。この瞬間のわたしは、最も純粋なエンターテイナーであったと思う。たったひとりの観客を喜ばせたくて、そのことが自分の楽しみの最大値でもあったのだ。

だけど、そんな日々は続かなかった。いや、むしろ状況はかなり良くなったのかもしれない。数日後、ブログのPV数が跳ね上がり、複数のコメントまで寄せられていたのだ。

後ほど調べて分かったこととして、初めてコメントをくれた[ソーダ]というひとは、インターネットの人気者であった。そして、その彼が、[三日月のブログ]を彼のSNSで控えめにお勧めしてくれていたらしい。

ソーダのファンを輪の中心にして、三日月という存在はインターネットに広がっていき、やがて浸透していった。わたしが中学3年生になったあたりのタイミングで、設置しておいたダイレクトメッセージのボックスに熱烈なファンレターが届いた。

〝はじめまして、ソーダと申します。三日月さんの言葉がとてつもなく好きです。よろしければ、僕の音楽に歌詞を書いてくれませんか?興味を持ってくださったら、こちらのアドレスにメールください。〟

あとになって最も不思議に思うのは、単独で完全犯罪をしたがる人間がよくもまあ知らない他人を共犯者に誘おうなどと考えたな、ということだ。そのようなことが書かれたメッセージを受け取ったわたしは、とりあえず[ソーダ]という得体の知れないインターネットユーザーを検索した。炭酸飲料でしか知らない名詞だ。

検索結果はたくさん引っ掛かって、とにかくふざけた天才の狂気をユーモアと音楽に包んで提供している存在だということだけは理解した。それ以外は何も分からなかった。


インターネットで知り合ったひとと現実の世界で会うなんて、よろしくない。しかも、当時のわたしは中学生だ。危険にも程がある。そう思いながらも14歳のわたしは、猫をも殺す好奇心にあっさり負けて、ソーダと会う約束をした。


向こうが待ち合わせ場所に選んだのは、渋谷ヒカリエ内のスターバックスだ。放課後の16時。中学生にとってのヒカリエはちょっと背伸びが必要だったけど、そこで殺されることはなさそうなので安心する。おねえさん向けのデパート、しかも人気のコーヒーショップは、まちがいなく殺人に不向きだ。

事前情報のひとつに、ソーダさんは男子高校生であるというものがあった。想像よりもはるかに若くて驚いたけど、彼も彼で三日月が女子中学生であることに驚愕していた。たしかに、どっちもどっちである。

だけど、実際に顔を合わせてみたときは、やっぱりとっても驚いた。ソーダこと、苑田彗(そのだすい)はやや高くて柔らかい声を持つ、中性的な美少年だったのだ。涼しげに整ったきれいな容姿に私立高校の制服を着こなしていて、なんだか、まるで、ふつうのイケメンみたいだった。これは、にわかには信じがたい。

だけど、演奏する機会のないフルートとトライアングルを何故か持参してきていたので、この人は完全にソーダさんだと確信した。


「ねね、敬語やめてもいいですか?」

「かまいませんよ、わたしのほうが年下ですし」

「あと、三日月って呼んでもいい?」

「はい、なんでもいいです」

「じゃあ、おれとユニット組んでくれる?」

「それはいったん、要検討ですね」

流されないように踏みとどまると、彼は口をへの字に曲げて肩を落とした。比喩ではなく、まじでやっていた。落ち込んでいたかと思えば、すぐに回復して、こんどは三角形のケースを持ち上げて見せてくる。

「あ!みてみて、トライアングルもってきてみたよ」

「なぜです?」

「ち〜んって鳴るの、おもしろいから。店員さん、これで呼んじゃおっかな〜」

「スターバックスの注文システム、ご存知ないですか?」

「知らないふりして席まで呼びつけて注文したら、怒られる?」

「オーケイ、責任もってわたしが怒ります」

さすがに鳴らすことはせず、ソーダさんはトライアングルをリュックにしまった。使われたら困るけど、使われないとそれはそれで「じゃあなんで持ってきたの?」とハテナが浮かぶ。

「無秩序なスターバックスだったら大丈夫かな」

「どこにあるんですか、そのスタバ」

「うーんと、スタバ火星店とか?宇宙も法律ってあるの?」


法律に従って購入したフラペチーノをずずずと吸いながら、にこにこしている少年を眺めた。インターネットでも彼の狂人ぶりは伝わっていたつもりだけど、いざ目にすると、容姿が麗しいぶん余計に脳内でバグが起こる。


「どうせ、スタバ火星店には行けません」

「え、うそ?いけないの?」

「行けませんし、行ったところで、たぶん火星にはスターバックスが1軒も無いです」



いちどふざけたあと、ソーダさんは「ええ~」と拗ねる子どもみたいに項垂れた。いちいちリアクションの大きい美少年は、よくわからない文句をつけ始める。


「渋谷のそこらじゅうにあるのに、星単位で1軒もないの?そんなことある?スクランブル交差点のとこのTSUTAYAに有名なのあるし、じつは奥のモディにもあるんだよ?火星の人って、Wi-Fiどうしてんの?」


ハチ公側のスタバをやんわり把握しているあたりはいかにも都内の高校生らしくて、笑ってしまった。なんだ、ソーダさんもふつうの男子高校生をやっているのか。火星のWi-Fiは知らないけど。

当たり前の事実を知ってうれしくなったわたしに、何を思ったのかソーダさんはぱちんと指を鳴らして提案してきた。


「わかった、じゃあ、おれが火星にスターバックス建ててあげる」

「わたし、そこまでスターバックス信者でもないんですけど」

「三日月も来年には女子高生だろ、そしたらもう、フラペチーノにめろめろだよ」

「そうなんですか?だからって、わざわざ火星まで行きます?」

冷やかすように目を細めて、疑り深く訊ねてみる。こうして、彼のおふざけに乗ってあげているうちに、彼の手のひらで転がされていくのだ。

「行ったほうがいい。だって、ほら、渋谷のスタバはすげー混んでるでしょ?火星のスタバなら三日月専用のVIP席があるんだよ」

ふだん飄々としているソーダさんが、上目遣いにうかがいだしたら、それはもう、完全に彼のターンだ。勝っているように見せられて、最終的な勝ち目はない。

「しかもその席、コンセント有りだったりします?」

「するする、なんか偶然いいかんじに青い地球が見えるソファ席だし」

「うーん」

「さーらーに、銀河系のいろいろで作った火星店限定フラペ―チーノ、超うまいらしいよ」


おそらく、わたしが折れるまでこの先の説得は続くだろう。面倒なので頷いた。


「うむ、ソーダさんをスタバ火星店の店長に任命します」

「わ〜ありがたき幸せ〜」

手のひらを擦り合わせて、なむなむと感謝するソーダさん。透けるように白い肌にはニキビや肌荒れはひとつもないが、邪魔にならない程度に薄い色のホクロが点在している。黙っていれば清潔な美少年なのに、表情がつけられると無邪気な悪童ってかんじがするのでいい意味で最悪。

彼は、いかにも悪童らしくゆったり笑って、わたしの瞳をまっすぐ射抜いた。


「スタバ火星店では、店長こだわりのBGMを流したいのですが───三日月も、協力してくれませんかね?」

もう、答えは決まっていた。わたしは、ソーダという天才に魅せられた凡人の一人だ。それに、わざわざ誘ってもらえて、喜ばないわけがない。ただの中学生が、大の人気者からたったひとりの相方に選ばれたのだ。

だけど、またもすんなり頷くのは悔しいので、もったいぶって頷いた。


「そういうことなら、しょうがないですねえ。及ばずながらお力添えいたしましょう」

「よっしゃあ、宇宙エレベーターの予約、2人分いれとこ」

こんなノリでできあがったのが、シニエルだ。


14歳のわたしと、17歳のソーダさん。ドラマチックな結成秘話もなく、ほんと、ふざけた学生のテンションだけで誕生した。


後日、わたしとソーダさんはカラオケ店に集まった。

そのときは言わなかったけど、わたしは友達とふたりきりでカラオケに行くのが初めてだったので、そのうえ年上の男の子となると初めてのパレード状態だったので、だいぶ緊張していた。


一方でちっとも緊張しておらず、カラオケに慣れきっているソーダさんは、ふわふわと漂うように笑いながら完璧な計画を企てた。


以下は、ソーダによるプレゼンをわたしが簡略化したものである。


シニエルの中の人の情報は、しばらく非公開とする。匿名性を売りにするのだ。それから、よき頃合いで、三日月とソーダの二人組であったことを公表する。しょせん音楽は擦り切れるので、古参を飽きさせないのが大事。

三日月が20歳を越えたあたりで、ソーダといっしょに年齢を公表する。成功者の学生になるよりも、〝じつはあのときまだ学生だった〟というほうが価値が高い。学生という肩書きに縋っていないし、思い出バイアスもかけられる。

毎月1日0時に、音源を動画サイトに投稿する。決まった時間に投稿していけば、余計な宣伝をせずとも注目してもらえるから。顔出しは無し。映像も基本的にはソーダが担当する。


ユーモアで加工された完ぺきなプレゼンを眺めながら、生まれたばかりのシニエルだけど、すでにソーダさんの作品であると理解した。ここでの三日月はソーダさんが巧みに操る楽器のひとつみたいなものだ。なるほどね、と頷いた。ふうん、そういうこと。

初めて会ったソーダさんの第一印象は、「あ、このひとモテるだろうな」だ。掴みどころがないというよりも、掴みたいけど掴んではいけないような神秘と狂気がある。相手を必要とする甘えたがりなバランスと、そっと突き放す残酷さのバランスが絶妙で、おそらくこれは天性の人誑し。


「先に謝っておく。ごめんね、三日月」


どうしたって、わたしは、ソーダさんから死の匂いを嗅ぎとってしまうらしい。彼自身が死にそうだとか、死にたがってるとかそういうのじゃなくて、存在そのものがソレというか。

仄暗い不気味さはなく、むしろ清潔に乾いた白のような、青空に干されたタオルのような、なんていうか、こう、肯定的な死の匂いがする。


「先?これから罪を犯すのですか」

「おれはね、おまえの才能を利用する悪魔です」

「でも、きちんと報酬もあるなら搾取じゃないですし、なにより、ソーダさんはわたしの恩人でもありますし、」 

たった3つの歳の差は、永遠に埋まることがないと知る。それくらい、わたしの頭にぽふ、と置いた手が大人の落ち着きを持っていた。電源を落とすボタンを押されたみたいに言葉をしまって口を閉じたわたしに、ソーダさんはゆるりと右側だけの口角を持ち上げた。

「三日月って、こんなにピュアなかわいー子だったんだね。わるい男に騙されるなよ?」

「それは、じゅうぶん気をつけます」

「でも、おれには騙されてくれてもいいよ」

「ソーダさんは、わるい男なんですか?」

「どうだろ、どう思う?」

「いい男だと思います」

「口説くなってば、惚れちゃうだろ」

そうやって口遊むこの人は、どうせ惚れたりしないだろう。これは、ある種の信頼だ。恋愛についてはよく知らないが、程度の差はあれ、万人を狂わせることだけは知っている。それっぽい格言をいくつか見たことがあるけれど、総じて言えることは〝恋愛をすると理不尽になる〟ということだった。かっこいいソーダさんは、そんなことしない。そんなダサいまねを、わざわざわたしに見せたりしない。

たぶん、恋愛はひとりでするものなのだ。ふたりで想い合っているとしても、けっきょくのところ独り善がりを味わうという奇妙な娯楽。


恋愛を覚えたまわりの友人は、言語を覚えた猿とそう変わらない。それを俯瞰で見下ろしたとき、わたしは思春期の青さを知った。自分だけの価値観に陶酔をおぼえる奇妙な残酷さ。うまく言葉にできないそれを、どうにかどこかで吐露したくて、わたしはブログを開設したのだ。

みんなとちがう異端な存在に憧れていながら、みんなと馴染める正統な人間として社会にうまく溶け込みたかった。ラブソングに共感なんてできないし、したくもない。それよりも、売れているラブソングに自分を重ねて聴いている滑稽なクラスメイトを歌にしたいと思ったのだ。


わたしの拗らせたチュウニビョウと、うまく扱えない思春期を、ソーダさんはブログの文章から汲み取っていたのだろう。


中学3年生のわたしが初めて書いた歌詞に、ソーダさんは少しだけ泣いた。

それはけっして感動とかじゃない、どちらかといえば笑い泣きみたいなもので、「三日月、きみはどうしてそんなに最高なんだ」と目尻のなみだを親指で拭っていた。

シニエルの処女曲は、しにたがりな男は雷を怖がるし引っ越しをするからしょうもない、みたいな歌詞だった。しにたいなーと嘆く人間が雷鳴に怯えるような矛盾。いつも嫌な気分になるし、ちょっとだけ腹が立つ。おまえぜんぜん死ぬ気ないじゃん、と思ってしまうのだ。引っ越しだって、死にたき者がすることじゃない。だってそんなの、未来の居心地にめちゃくちゃ期待してるでしょ。でも、それでいいのだと思う。じっさいに死んでしまったら大変なことだし、死ぬ覚悟もないくせにそうやってうだうだ言うくらいのほうがじつは精神って安定していたりする。


矛盾していることが正常であるという、矛盾。ひとつの矛盾も持たない整合人間は、きっと、どこかしらが異常である。こういうのは、ほんとうに神様のミスだと思う。過ちは、いつも意識の外側で起こるのだ。わたしは過ちのプロだから知っている。


「生きにくいだろ、三日月」


ソーダさんが断定的に言ってきたので、わたしは流されるように頷いた。実際、どうなんだろう。生きにくさって他人と比較できるものじゃないし、よく分からない。

じぶんは、恵まれていると思っていた。

家族仲は良好で、俗に言うお金持ちだし、心身ともに健康な状態で学校にも通えている。さらに、インターネットでの別人格もわりと多数に肯定されている。だけどどうやらソーダさんの眼には、生きにくそうなわたしが映っているらしい。ていうか15歳って、人生で最も生きにくい年頃だと思う。

わたしの努力はたまにしか報われないし、日課にした善行は慣れてしまえば褒められない。隣の芝の青さばかりが気になって、横着で枯らした自宅の芝からは目を背け続けている。

ここは地獄だ。地球の反対側で過激化する紛争、損をさせられた日本、人が死ぬ東京、遠くで吠えている政治家。ずっと工事している地下鉄のホーム、面倒だから後回しにした作業だけで埋まる週末、買ったはいいけど読めていない本、聞かなければよかった友だちの暗い過去。いまだに腑に落ちないあの出来事、いま思うと恥ずかしくて顔が熱くなる幼い言動、ここぞとばかりに燃え盛るだれかのSNSアカウント。

うまくいったりいかなかったりする高校受験、大学受験、就職活動。動画を眺めてお昼寝していたらお腹が空いてきて、それを食べたらまた眠くなっただけの休日。頑張りたいけど頑張れなくて、やるせない日曜日の16時。


地獄だな。明日があるという、地獄。明日が来ないなら、わたしはもっと生きやすい。明日が来るという絶対的な真実は、ずるいわたしを見逃してくれない。「明日が来るよ」と「気にしないほうがいいよ」で元気を出させようとする人ってときどきいるけど、悪気なくそれが言える人はどれだけ自分が幸せ者か考えたほうがいい。

まったく、幸福な愚か者め。罰として、最悪な歌にされてしまえ。


スマホを操作しているソーダさんは、こちらに視線も投げずに言う。歳下のわたしは、なんとなく、スマホは鞄にしまったままだ。


「じゃあ、今週中に歌ってみてデモ音源いったん送るわ」

「はい、わかりました」

「おれね、じつは自分の声でちゃんと歌ってるのをソーダとして誰かに聴かせるの、バージンだったりする」

「はあ、そうですか」

そういう単語を誰かの口から聞いたのは、それこそバージンであるようなお嬢様だったので、わたしはそれしか返せなかった。

ソーダさんは、下品っぽいことをさらっと言う。そのくせ、聞こえによっては歯の浮くような甘い言葉を、平然と優しい声にのせるのだ。

「すげー恥ずかしーと思ってるけど、三日月だけには聴いてほしいのよ。少なくともおれから音源が届く来週までは、なにがなんでも生きてくれ」


この日からわたしは、ソーダさんの歌を聴くためだけに寿命を延ばしているような感覚でいる。それに、ソーダさんの世界に参加できていることをものすごく光栄に思っていた。

「わたしが書いた歌詞をソーダさんの歌で聴けるの、すごく楽しみにしています」

「楽しみがある人生はよいね」

「ソーダさんも、楽しみありますか?」

「おれはね、わりと本気でシニエルのこれからを楽しみにしてる」


中学生のわたしと、高校生のソーダさん。わたしたちは、泣きたくなるようなティーンエイジが永遠に続くと信じていたのだ。



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