4月1日「草花にとっての死神」
こんにちは、改めまして高野麦です。
いきなり高野麦を名乗り出してからそれなりの時間が経過して、わたしでさえ、じんわりと染み出すかのように大人帝国へと侵食してまいりました。
シワになりやすい服をおしゃれ着洗いしたり、植物に水をあげたり、チョコラBBでつらい疲れを乗り越えたりできるようになった。
いや、植物に関しては疑わしいところがある。
わたしは植物を育てるのに不向きだ。「もとに戻す/欠けているものを補う/指令通りに遂行する」という作業は比較的得意なので家事はそれなりにこなせるのだけど、「なんらかの成長を促す」という作業は微妙にそれらに当てはまらない。
動物の飼育なんてことは絶対的に不可能だけど、植物でさえ水や日光の量には絶対的な決まりがなくてよくわからない。だから、うちには生命の管理に関するものを何ひとつ置かないことにしている。
そんな無責任であることの責任をもつわたしですが、ごくまれに「職場の草花に水やりする」という超重要な任務を命じられることがある。
「あとで手が空いてるとき、ちょっとおねがいね」という軽さで頼まれるけど、了承しながら手汗を握っていることに気づいてほしい。快諾ではない。
わたしは、草花にとっての死神だ。わたしが現れる、それすなわち草花にとっての“死”を意味するのだ。これまで幾つの光合成をこの手で潰してきただろうか。地球温暖化の根源はわたしかもしれない。わたしがいなければ、もっと酸素が生まれていた。
だからその日わたしが水やりを担当したせいで、職場の憩いのみどりを枯らしてしまうかもしれない。本気で毎回、おおきな不安を抱くのだ。
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