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2020.6.23(月) 『古い』日常に取り残されたままの男の、ある雨の一日、あるいは「新しい日常」って何?という考察

曇り時々雨、えらく寒い。5月並みとか。

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昨日できたかに思えた曲、一晩経つとまた直したくなり、ミックスとエディット。低音が気になっていろいろいじり始めたが、言ってみれば一度建てた家の土台を直すようなもので、難易度高し。先が見えないので一旦中止。

気分を変えて週末の配信に向け通しリハ。発声練習を丁寧にやったら歌がいい感じにコントロールできて気分がいい。どんよりした寒さでダルかったが盛り返す。歌うことは自分にとって健康法でもある。

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ところで、いつまで経っても「新しい日常」という言い方に馴染めない。そこで推奨されている作法の大半は「『古い』日常」から見れば「潔癖」とも言うべき行動規範に埋め尽くされている。

この日記を始めた3月、マガジンのキャプションに「2020年の非日常を記録する日誌」と記した。この2020の非日常は6月に至り、「新しい日常」として小骨が刺さったような違和感とともに飲み込まざるを得ない状況になっている。傍目にはどんどん以前に戻りつつある街を歩く人の中に、自分と同じような違和感を感じている人はどのくらいいるのだろうか?

子どもたちがじゃれ合えない生活、透明カーテン越しの接客、無観客のスポーツ、ライブの動員規制は未来永劫つづくものではなく、いつかは以前のようにおおらかに人と人とが交流できる「日常」に戻る。来年オリンピックの頃にはそうなっている...とは残念ながらまだ僕には思えないが、いつの日かこのウイルスと人類が和解すれば、今の「新しい日常」が「古い日常」に更新される時が、自然とやってくる。

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高野寛のnote
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