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日々有権者の声を聴くことの重要性は今後も益々高まる

大事なことを書きます。選挙権を得て早22年。東京から函館への不在者投票、インドネシアから日本への在外投票などさまざま困難を乗り越えて来ました。昔は、期日前投票する際にも、なぜ当日投票できないのか、その理由を選ばせてました。レジャーなのか、仕事なのかなど。とにかく投票率をなんとしても上げないように、上げないようにしていたのです。「選挙に関心のない国民は寝ててくれればよい」と組織票のある政党は思っているのです。今夏の参議院選挙を三連休の中日に設定する計画などは、まさに「どうぞどうぞ選挙に行かず旅行に行ってください」というようなものです。

投票率を上げる即効性のある施策は、やはり期日前投票という概念を止めることです。「毎日が投票日」にすること。そして「どこでも投票できる」ようにすること。「巡回バスで家の前で投票できるようにすること」です。ネットより確実ですし、納得感があります。物理的な投票という行政サービスを、アウトリーチ化していくということです。

こうなると候補者の選挙への取り組みも変わります。選挙期間というのは、個別訪問が投票呼びかけにダイレクトになるため禁止。ネット広告も線引きがあいまいなため禁止。電話も固定回線減少。新聞折り込みも新聞購読者激減。ハガキも個人情報秘匿と到着が遅い。ポスターのローラーも政党所属の候補者で国政選挙以外NG。

こう考えていくと、やれることはひたすら街宣車で回るか街頭演説ぐらいしかないのです。それと連動したネットマーケティングぐらい。もう一度いいますが、それぐらいなのです。冗談抜きで。本気で。コロナ禍はこれらの行為ですら完全に奪われたのです。

さらに戦略的な話をします。期日前投票という概念がなくなれば、告示日から投票できるようになるでしょう。どんどん有権者が投票を完了します。「ごめん、もう投票済ませたから」というあの声が今まで以上にどんどん増えます。

ということは、街宣車も街頭演説も意味をなさなくなってきます。一度投票完了したら、もう変更することはできません。絶対に。

だから日々やるのです。毎日。未来を見据えて。日々やる内容というのは、お願いすることでも、訴えることでもないのです。聴くことなのです。「私は活動は嫌い。政策を考えるのが好き」と言っている人がいます。前から言いたかったのですが、舐めてる以前に、本質を理解していません。やりたいこと、興味関心があることを訴えるだけが、政治ではないのです。古代ギリシアの政治、日本が100人の村だったらとブレークダウンして考えるべきます。有権者の代わりをするのが現代の政治のはずです。自分が当事者でない人の声を意識的に聴くことこそ大事であり、それは時代とともに、場所ごとに変わります。「広報」以上に「広聴」こそが大事なのです。そのために、ラジオのようにチューニングして最も声がクリアに聞こえる位置にいる必要があるのです。

日々の活動は単調だ、辛いと言う人がいます。政策のための視察の方が楽しい。資料を読む方が楽しい。職員がちやほやしてくれるし。でも街頭に立つと怒られる。と。単調の日々の生活だって、変化を見出すことはできるのです。そうした考えで、嫌々やってるからです。

好きだから続けられるというのは間違ってます。続けるから、好きになるのです。今まで見えてこなかったものが見えてくるし、わかってくるし、受け入れられてくるからです。単調と思えることも、実は徐々に変化しています。一つとして同じ日はありません。同じ場所でも四季折々の変化以上のものを見出すことができるのです。そこで聴いた声こそが政策につながるのです。人の痛みへの想像力、人の痛みに対する共感力とともに政策になっていくのです。

話を戻します。これから投票率を上げる施策が提示されるでしょう。それは選挙期間、毎日が投票日ということです。告示日に勝負決まるのです。

毎日同じことを発信していますが、日々、人々の声を聴き、そして届けることに勝る方策はありませんし、さらに有効になってゆきます。これからも変わりません。皆さまが、皆さまだけが、歴史の証人です。今後ともよろしくお願いいたします。

高野はやと@江東区