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兵庫県知事選挙とゲッベルス

兵庫県知事選挙の最終日。私から一つ警告をしておきたい。皆さんはナチスの「ゲッベルス」をご存知だろうか。アイヒマン、ヒムラー、メンゲレは過去紹介したが、ゲッベルスに関してはまだかもしれない。私は、実はゲッベルスこそがドイツの悲劇の元凶だと考えている。ユダヤ人を唯一の悪と設定し、ありとあらゆるメディアを駆使してプロパガンダを行った。「宣伝省」などという国家の行政機関を聞いたことはないだろう。宣伝省の大臣がゲッベルスである。他の幹部と異なり、ヒトラーに従ったというより、ヒトラーを巧みに利用することで自分の想いを成就させたといってもいいかもしれない。ゲッべルス自身も演説の天才と言われている。マーケティングの才も際立っている。

『ニーメラーの詩』にあるとおり、彼の最初のターゲットは共産党だった。次は社会主義者、次は教育者、次はマスコミ、次は聖職者と標的を変えて行った。ジプシーも犯罪者も障害者も同性愛者も標的となる。また、ありとあらゆる世俗的な既得権益層にも、国民の矛先を向かわせることを正当化した。デマを何度も何度も吹聴する。「嘘も100回言えば、真実になる」は、ヒトラーではなく、実はゲッペルスの言葉である。これ以降は、皆さんがご存知のとおりである。”Final Solution”としてユダヤ人が大量虐殺され、ドイツは滅んだ。

最近似たような不安を抱いている。1120日に初公判の日を迎えるつばさの党による選挙妨害、都知事選、米大統領選、そして特に今回の兵庫県知事選挙でその不安は決定的となった。あの時、私は生きていなかったが、書物を読み、映像を見て、アウシュビッツや米ホロコースト資料館を実際に訪れ、目を閉じ、耳を研ぎ澄ませ、想像を張り巡らせ、目を見開き、その惨劇を直視することで追体験してきた。あの時の空気を感じるのである。

ある人が今回の一連の流れを右傾化のように論じているが、それは明らかに本質を見誤る。今回の矛先も、兵庫県知事選挙の構図上、そう見えているだけで、イデオロギーは関係ないのである。共産党でも、社会主義でも、権威主義者でも、王でも、90年代の通貨危機の時の華僑でも、マスコミなどの既得権益でも、他の民族でもなんでもいいのである。何か日頃から不満を感じ、ブラックボックスになっているものであれば、どこでも、ある日何かの引き金で爆発する。米大統領選でも見られるが、私は局地においては、日本のそれの方がより深刻だと感じた。兵庫県知事選が、沸点を超えた。群衆がいったいなんなのか分析しきれず理解不能に陥った時点で、沸点を超えた。誰が先導し扇動しているかはわかるが、あの群衆がいったいその何に火がついたのか、振り子の論理がなぜ働いたのか、働いていないのか、それさえもわからない。

つばさの党の時はまだ良かった。ネットとリアルがつながりきっていなかったからだ。4月の東京15区衆院補欠選挙は、あくまでリアルに存在する演者は、つばさの党であり、彼らが配信する先に多くの視聴者がいた。あのリアルの場に来てしまったわずかな聴衆でも私が体験し、供述し、新聞のインタビューでも語った暴動が、わずかな着火点ですら爆発した。ただあの時は多くが傍観者であり、見物人だった。兵庫県知事選挙では、ネットで騒いでいた人間がリアルまで飛び出てきてしまった。それは、Youtubeで儲かるからという資本主義の仕組みがわかる人々が起こした石丸現象とは全く異質な何かである。有象無象の何かである。その何かがまだわからない。「ハイルヒトラー!」と熱狂したドイツ国民への事後のインタビューでもそれは「空気」と答えていた。その空気が何なのかまだわからない。ただ、その何かがわかった時には手遅れかもしれないという恐怖感がある。

もう一度いうが、これはイデオロギーの問題ではない。イデオロギーの問題だと考えれば必ず先を誤る。なんとも言えない全国の人々の不安、不満が兵庫に向かわせているのかもしれない。排斥主義なのか、反ワクチンなのか、反マスコミなのか、そしてその根本にあるものがまだわからない。

一つ確かなことは、これは兵庫県知事選挙の結果がどうなろうと終わりそうにない。あくまで人々の見えない不安や不満の発露の先として、たまたま兵庫県知事選が存在したということでしかない。ミュンヘン一揆も、アルトナ血の日曜日も、クリスタルナハトも発露の先でしかなかったからだ。それらは、必然のための偶然であった。

ただ、終わりの始まりになることは防がなければならない。政治の役目である。ネットにだけ存在していた住人が大挙して押しかけたのか。はたまた別の群衆なのか。わからない。

高野はやと@江東区