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『ディリリとパリの時間旅行』から本気で考える平等と自由について

『ディリリとパリの時間旅行』パリの街並みや雰囲気をインプットするため視聴しはじめたが、とてつもないほどの気づきを得た作品。あくまで私の考察だが、これを日本の子どもに見せて良いものだろうかと後半で少し心配になったほど。現代では、LGBTQ、特にトランスジェンダーに対する権利や移民をはじめとした外国人への権利などに対ししばしばバックラッシュが起こっているが、19世紀後半から20世紀初頭のベルエポックの時代といわれるほど繁栄したパリでは、女性の権利に対するバックラッシュが起きていた。家父長主義的な側面を、もっというと女性を男性の奴隷として扱うシーンをアニメでもごまかすことなく描写する。ふと、中国の「纏足」を思い出したほど。

フランスという国が何を大事にし、次の世代に何を伝えたいかがはっきりと理解できる。平等そして自由というのは、フランスにおいては、外圧ではなく、市民みずから勝ち取った権利であり、それを命賭けで獲得し、獲得したものを命賭けで守っていくというフランス人の気概すら感じる。ジェンダーだけではなく、人種や国籍の違いを示す描写もあり、自由と平等の尊さこそ作者が最も伝えたいものであろう。この映画も、美術、音楽、文学などの過去の偉人が登場し、パリの美しい街並みを描写しているが、何よりメッセージをしっかりと持った映画。日本なら子どもの教育上をみせないようにしてしまうようなこともフランスではしっかりと理解させる。それはすべて自分事として考えさせるため。そして、自分の異なる人の立場になって考えさせるため。素晴らしい作品。  

権利に対するバックラッシュにも、すべての人間が生まれた時に持っている人権を歴史の経緯と歴史への敬意から理解できれば何も恐れることはない。現代において、いったい誰が奴隷制度を、女性の権利のはく奪を主張しているのか。ゼロである。そんな時代があったことすら今の人達はよく知らない。前を向き、毅然と対応するのみ。

冒頭50分は、子ども向けパリの映画と思わせるが、後半は日本人にとっては、比較文化論。それにしても、第二外国語はフランス語なのに、まったく理解できないのが悔しい。猛省。

高野はやと@江東区