『ありがとう』と言える大切さについて
日々どんぐらい『ありがとう』を伝えられているだろう。
感謝とは別で『ありがとう』という言葉が個人的にものすごく大切だと思う。
僕はこの言葉が言えるか言えないかで人生も変わると思う。
自分は言えるようになってから少し人生が変わった。
いろんなことに挑戦し始めた19歳後半から『ありがとう』の大切さによく考えるようになった。
だから今回はそれについて発信したい。
きっかけ
いつからか何事への感謝が大事に思うようになった。
多分そう思えるようにならなきゃ変われなかったのだと思う。
自分で思う限り、きっかけは高校に入って出会った『フットサル』だ。
当時顧問だった先生が言った
『練習できることにありがたく思おう』
些細な言葉だが、僕には深く感じた。
それは以前記事に挙げた『何事も当たり前じゃない』マインドが一気に頭に浮かんで合わさった。
そこから練習できることにありがたく思うようになり、自然と何事もありがたく思えるようになった。
『ありがとう』の意味
日本語のありがとうはすごく深い意味だと思う。
どの国にも感謝を表す言葉は存在する、
"Thank you", "谢谢"、"Obrigato", ”Grazie mille"
そして当たり前のように言う。
相手への敬意の表しとして使われる。
日本語では漢字にもできる、
有難う
難が有り、 ありがとう。
これはYou Tubeで見たゴルゴ松本さんの『命の授業』を見てから意識するようになったもので、また『ありがとう』の意味であるとも思う。
-人生にはいろんな難があり、困難、災難、苦難などネガティブなことがたくさんあり経験する。しかしゴルゴ松本はこれらを経験したこののない人は『難の無い人生』つまり『無難な人生』という。
逆に言ってみれば困難、災難、苦難など有ると『難の有る人生』となる。
つまり『難』が『有る』ということは有り難いことなのだ。-
-ゴルゴ松本『あっ!命の授業』-
自分にとっての『有難う』の価値観
この動画を見てからより言葉の大切さに意識するようになった。
高校在学中から卒業後も、些細なことだがいろんな困難や壁に当たってきた。
でもその時々の状況や周りの行動にもネガティブなことを思うのではなく、
ありがとうと少しでも思ったら困難もプラスに変わっていった。
もし今誰かのことや何かに悩んでいたらまず
その人、または物に対して
『ありがとう』と思ってみるといい。
そう悩ませてくれるからこそあなたを成長させてくれる。
もしかしたらその成長は人生において大事になるかもしれない。
僕もそうしてきた、
一つ例を挙げるとしたら高校時代だ。
僕は自分で選んだ環境だが不満が多かった。
それは帰国子女という立場も影響はあった(別の記事で紹介したい)
クラスでも最初はすぐキレる方だった。
物事や言動に納得いかず、イジられたりしてイラついたり。
当時はマイナスな部分が多かったと思う。
でもゴルゴ松本さんの動画を見てとりあえず一つ一つにありがとうと思ってみるようにした。
怒るということはそれに対して本気だったんだろう、
そしてそれを気づかせてくれた友達にありがとう。
些細だがそういうことから始めた。
そしたら次第に他のことにもまず最初は感謝を忘れずに
物事を受け入れるようになった。
最初は思うだけだったのも次第に言葉にするようにもなった。
足りないかもしれない、鬱陶しいかもしれない。
でも言葉にするだけでも変わる。
伝えれる時に伝えよう!
今の時代何が起こるかわからない世の中、
友達、仲間、家族、恋人、先輩といろんな存在がいる中
どれだけ感謝を伝えられてるだろうか。
僕はまだまだだ。
なかなか言わなくて恥ずかしい時もある、
でもそこで言えるかどうかで少し変われる。
だから何かを教えてもらったり、アドバイスをもらったり、友達とご飯を食べにいったあとは必ず
『ありがとうございます』
や
『今日は楽しいかった!ありがとう!』
などと伝えるようにしている、なぜなら本当に有り難いことだからだ。
全て当たり前なことではないし、
今の自分が存在するのもそれらのおかげ。
こう考えれるようにもなった。
感謝なしに人は成長もできないし大事なことに気づくこともできないと思う。
また日々少しずつ挑戦していく中でも、
一日の終わりには全てに感謝して一日を終えたい。
そしたら次の日の朝またより良い朝を迎えて始められる。
この記事を読んでいただき誠にありがとうございました。