音楽エッセイ:TOM WAITS の"BLOOD MONEY" と"ALICE"というアルバムの思い出
2020年11月29日 筆
西暦2002年5月2日の発売だった。
アメリカの酔いどれ詩人トム・ウェイツ、二枚同時発売で、店で平積みになっていた。
思い起こせば幸運だった。ネットは段々と現実に書店やレコード屋(CDショップ)を侵食し始めていたが、まだ現実の店舗も強く、日本でもすごくメジャーと言うわけではないアーティストのCDを平積みにしても、まだ売れる時代だった。
実のところ、トム・ウェイツの名前と、それまでの曲調は知っていたが、さほど興味はなかった。
アメリカの田舎を、酔っ払いながらアメリカ調に(失礼)濁声で歌う男という印象だったからだ。
それが悪いわけではなかったのだが、私の嗜好を振り返った時、自分がわざわざ金を出して買わなくてもいいだろうという位置づけの印象ではあった。
のちに遡って、トム・ウェイツの若い頃の作品もいくつか買ったが、それに関しては既知の範囲を出ない。
目を引いたのは、二枚並んでいたからだ。
赤と青の表紙は目を引くし、デザイン・センスが、これでもかというほど主張していた。
「このアルバムは一癖ある。
趣味が合うなら買って損はない。」
と。
そして次に表題に目を惹かれた。
BLOOD MONEY
そして、
ALICE
不思議の国の少女アリスのことだと思った。
(それは正解だった)
それまでのトム・ウェイツだったら、永遠の少女を題材にするだろうか?
いや、したはずもない。
私は興味を惹かれてその二枚を買った。
ライナーノーツ(以前の邦訳版には和訳歌詞と解説がついていた、今でもついているのだろうか?あれは小さな楽しみだった)には、アリスは彼に大きな変革(私が当時知らなかっただけで彼は既に80年代には素晴らしい活躍をしていたらしい)を与えてくれた妻キャスリーンのことだと書かれていた。
私はそれに違和感を持ちつつ、アルバムを聞いた。
ヘヴィメタルでもなく、ポップスとも言い難く、旋律に載せての現代詩の朗読のようなこの二枚は、私にとっては非常に印象的な二枚になった。
もちろん好悪はあると思う。
そもそもトム・ウェイツの声は非常に濁った低い男性の声なので、それが好きではないということになれば、聞く前からやめておいた方がいいというしかない。
その二枚をしばらくのローテーションにしていた私だが、ある日本屋で、これまた平積みになっていた雑誌を見掛けた。
SWITCHである。
実は私は本はよく読むが、雑誌はあまり買う方ではない。
その気になって買うと溜まりすぎて、今度はまた中々捨てられないからだ。
音楽アルバムもCDは買うが関連特集の載った雑誌を買うということもほとんどない。
その中でこれを衝動的に買ったのは、やはりアルバム二枚をその時期のヘビーローテーションにしていたのと、単純に写真が格好良かったからだ。
当時私は三十二歳。
このトム・ウェイツは五十二歳。
あと二十年経ったとき、こんな風にカッコ良く写真に収まれたら良いよなあと思った覚えがある。
さて、雑誌には、特集なので当然、トム・ウェイツのインタビュー記事が組まれていた。
読んで納得した。
トム・ウェイツは、オックスフォード大学がアリス・リデルを探し出し講演会を開いたときのことを語っていた。
人々の記憶の中にしか存在しない少女と現実の、ひっそりと生きていた老婆のアリス。
曲のアリスがキャスリーンなのは嘘ではないだろうが、曲に込めるメタファーが一つとは限らない。
人々の記憶の中だけで生きる幻想の少女アリスと、その存在。
そしてBLOOD MONEY
Misery is the River of The World
「この世は悲しみの河」で始まるこのアルバムはどこまでも現実の歌だ。
幻想と現実、詩と音楽。
アルバムのメタファーを逐一全て解説する気はないけれど、トム・ウェイツがこのアルバムを出した時、彼は五十二歳だった。
そして私は三十二歳だったと思う。
再来年。
再来年、私は当時のトム・ウェイツの歳を超す。
その歳になったら。
砂浜に椅子でも持ち出して、写真を撮ってみようか?
(了)