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「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽🌱です」*ここまでで36678文字です。*文字数カウントのための通しの原稿・第1章、第2章

「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽🌱です」


人は誰でも15色の才能を持っている。
その15色を組みあわせて無限の才能を作ることができるのです。

第1章「まずは結論から」

【1−1 この本の結論を先に申し上げます】

子育ての悩みは尽きないものです。この本を手に取ってくださったあなたも、子育てに関して何かしら悩みを抱えているのではないでしょうか。子育てに関する悩みは千差万別です。例えば、お友達に暴力をふるう、意地悪をする、忘れ物が多い、集中力がない、ずっと喋っていて人の話を聞かない、挨拶ができない、反応がない、やる気がない、ゲームに夢中で勉強をしない…など、挙げればキリがありません。



子どもを育てる中で、あなたは予期しない出来事にイライラしたり、腹を立てたり、落ち込んだり、悲しくなったり、疲れ果てたりしているかもしれません。

この本の結論を、先にお伝えします。
あなたが気になっている短所の正体は、実はすべてお子さんの「才能の芽」が顔を出しているのです。才能の芽は、無理に矯正すると、逆にその短所が強化され、自己否定的になり、結果的に自分を傷つけたり、社会や他者に迷惑をかける依存行動に変わってしまうことがあります。叱ったり、怒ったり、説教したり、罰を与える行為は、お子さんが「ありのまま」でいられない状態をつくり出し、これを私は「バッドプレゼント」と呼んでいます。

一方、お子さんが「ありのまま」でいられることを許容し、経験を共に積んだり、褒めたり、認めたり、情報を共有したり、笑顔で接することで「愛されているんだ」と安心感を与える行為を「グッドプレゼント」と呼びます。グッドプレゼントを受けて育てられた才能の芽は、自己肯定感を育み、自分の軸を持った子どもへと成長し、才能が開花して人生を楽しむだけでなく、社会にも貢献できるようになります。

この世の中には、できの良い子も悪い子も存在しません。元々、すべての子どもに「15色の才能の芽」は存在し、その芽にグッドプレゼントを与えるか、バッドプレゼントを与えるかで、その成長の仕方が決まるのです。


本書では、多動性や不登校を経験した筆者自身の体験や、29年間主宰してきた造形絵画教室での親子さんたちの成長を見守ってきた経験をもとに、お子さんの短所を「火地風水4元素15色の才能の芽」に分類しました。それぞれの色の才能の芽に対して、どのようなグッドプレゼントを贈るべきか、具体的な方法をお伝えし、子育てにおける悩み解決のお手伝いをさせていただきます。

次号ではさらに詳細をお伝えします。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【1−2 グッドプレゼントとバッドプレゼントの詳細】



子育ての悩みの原因

子育ての悩みは、親御さんが想定している言動と違うことをお子さんがする時に生じます。想定内であれば悩むことはなく、想定外の出来事だからこそ悩みが生まれるのです。

親が理想とするのはポジティブな才能を育てることですが、実際にはネガティブな面が目立つことが多く、そのギャップが悩みの原因となります。

例えば、情熱やエネルギーを育てたいと願っても、実際には暴力的で怒りっぽい子に育ってしまうことがあります。他にも、以下のようなケースが見られます:

  • 自己表現力や舞台度胸を育てたいのに、恥ずかしがりで批判的な子が育つ。

  • 想像力や創造性を育てたいのに、妄想癖や現実逃避をする子が育つ。

  • 推理力や機転の力を育てたいのに、嘘つきやいい加減な子が育つ。

  • 公平さや柔軟性を育てたいのに、優柔不断さや無責任な子が育つ。

  • 冒険心や勇気を育てたいのに、臆病で泣き虫な子が育つ。

  • 理性や知性を育てたいのに、屁理屈で神経質な子が育つ。

  • 直感力や神秘性を育てたいのに、あまのじゃくで奇抜な子が育つ。

  • 愛情深さや美しさを育てたいのに、甘えん坊でちゃっかりものの子が育つ。

  • 共感力や思いやりを育てたいのに、人と関わらない内弁慶な子が育つ。

  • 経済力や篤志の力を育てたいのに、意地汚い強欲な子が育つ。

  • 包容力や辛抱強さを育てたいのに、反応の鈍い怠けものな子が育つ。

  • 地道さや社会性を育てたいのに、存在が薄い反応のない子が育つ。

  • 科学力や精神的タフさを育てたいのに、残酷な実験やゲームなどに執着をする子が育つ。

  • 博愛や慈悲の心を育てたいのに、排他的で他人に厳しい子が育つ。

なぜ、このようなことが起きてしまうのでしょうか?

それは、前号でも申し上げた通り、才能の芽に「バッドプレゼント」を与えて育ててしまうからなのです。





バッドプレゼントがもたらす影響

いくら叱ったり、説教したりしても改善されないどころか、言えば言うほどその短所が強化されてしまい、ネガティブな方向に成長してしまうことがあります。これが、才能の芽なのです。

すべての人は15色の才能を持っています。最初は短所として現れる才能の芽ですが、愛と理性という「グッドプレゼント」を与えれば、成長とともに才能の芽は開花し、自信を持って自己肯定的に生き、社会に貢献する力を持つようになります。

それに対して、悪感情の「バッドプレゼント」を送ってしまうと、成長とともに短所がそのまま強化されてしまい、自信を失って自己否定的になり、自分を傷つけたり、他人や社会に依存し迷惑をかけるようになるのです。




才能の芽に「バッドプレゼント」ではなく、「グッドプレゼント」を贈ることの重要性をご理解いただけたでしょうか?


次号予告

次回は、才能の芽を15種類に分類したオリジナルメソッド「火地風水4元素15色の才能」が、どのように子育ての悩み解決に役立つかを詳しくご紹介します。


【1−3 火地風水4元素15色の才能について】

今回は、「短所として現れる才能の芽」を筆者の経験に基づき、4つの元素と15色に分類したものをご紹介します。


「人は誰でも火・地・風・水の4元素と15色の才能を持っており、これらの組み合わせによって無限の才能を生み出すことができるのです。」
それでは、4元素15色の内容を1つずつ見ていきましょう。
古代ギリシャ哲学に基づく西洋思想の「火・地・風・水」の元素と、色相環を組み合わせました。

  • 火元素には、運動や自己表現、創造的な情熱が反映される才能として、

    • 🔥赤色

    • 🌞オレンジ色

    • 🌻黄色
      の3色を当てはめています。

  • 地元素には、安定や基礎、経済など、社会的側面が反映される才能として、

    • 💰黄土色

    • 🐴茶色

    • 🛠️灰色
      の3色を当てはめています。

  • 風元素には、友愛や情報、コミュニケーションなど、知性が反映される才能として、

    • 🌲緑色

    • 🌿黄緑色

    • 🐦水色

    • 🐟青色
      の4色を当てはめています。

  • 水元素には、愛や情、直感力など、精神性が反映される才能として、

    • 🔮紫色

    • 🌸ピンク色

    • 🥞薄橙色
      の3色を当てはめています。

また、古代中国の陰陽思想と色相環以外の色を組み合わせ、

  • には、物質世界の科学の才能として💻黒色、

  • には、精神世界の霊性の才能として❄️白色
    を当てはめています。

これで、初めは短所として現れる才能の芽が「火・地・風・水」の4元素と「陰・陽」に分類され、それぞれ15色に体系化されていることがご理解いただけたでしょうか?



次号予告
次回は、「古代バビロニアに起源を持つ西洋占星術の12星座と10天体、古代インドのチャクラを、それぞれ才能に対応させ体系化」した図を、もう少し詳しくご紹介します。

【1−4 火地風水4元素15色の才能について(続き)】

前回は、筆者の経験に基づいて「短所として現れる才能の芽」を、4つの元素と15色に分類しました。今回はさらに、「誰もが持つ15色の才能」を明確にお伝えするため、古代バビロニアに起源を持つ西洋占星術の12星座と10天体、そして古代インドのチャクラを用いて、それぞれの才能に対応させたものをご紹介します。



火元素:[情熱・自尊心・想像力・行動力]
🔥赤色:第1チャクラ・牡羊座・火星 → スピード・運動
🌞オレンジ色:第2チャクラ・獅子座・太陽 → 自己表現・主役
🌻黄色:第3チャクラ・射手座・木星 → 学術・創作・出版
地元素:[安定・基礎・社会性・経済]
💰黄土色:牡牛座・金星 → 財産・所得・伝統
🐴茶色:山羊座・土星 → 公共・社会・秩序
🛠️灰色:乙女座・水星 → 計画・分析・労働
風元素:[知性・コミュニケーション・論理]
🌲緑色:第4チャクラ・天秤座・金星 → 公平・対人関係
🌿黄緑色:双子座・水星 → 言語・サプライズ
🐦水色:第5チャクラ・双子座・水星 → 旅行・知性
🐟青色:第6チャクラ・水瓶座・天王星 → テクノロジー・革新
水元素:[感性・共感・情緒・霊性]
🔮紫色:第7チャクラ・蠍座・冥王星 → 哲学・直感・芸術
🌸ピンク色:蟹座・月 → 家族愛・母性・保護
🥞薄橙色:魚座・海王星 → 夢・希望・癒し
陰と陽の才能
💻黒色(陰):科学・IT・実験
❄️白色(陽):博愛・奉仕・光・霊性



これらの分類によって、才能の芽は「火・地・風・水」の4元素と「陰・陽」の2つに大別され、それぞれが15色に体系化されていることが理解できるでしょう。
さらに、「誰もが15色の才能を持っている」ということを、古代バビロニアの12星座と10天体、そしてインド哲学のチャクラに対応させて体系化したことで、才能をより具体的に捉えることができるのです。

[1−4 火地風水4元素15色の才能についての続き]は以上です。



次号予告
次回は、今回紹介した火地風水4元素15色の才能に「グッドプレゼント」と「バッドプレゼント」を与えた場合、才能がどう花開くのか、または萎れるのかについての表をご紹介します。

【1−5 火地風水4元素15色の才能にあげる2つのプレゼント】

前回は「誰もが持つ15色の才能」を明確にお伝えするため、古代バビロニアに起源を持つ西洋占星術の12星座と10天体、そして古代インドのチャクラを用いて、それぞれの才能に対応させたものをご紹介しました。
今回はより明確になった15色の才能の芽がグッドプレゼントを贈られることで自己肯定感として成長し、花開いてマネタイズや社会貢献になるか、バッドプレゼントを贈られることで自己否定感として成長し、萎れて自己喪失し依存行動になるかをまとめた表をご説明します。



火元素:[情熱・自尊心・想像力・行動力]

🔥 赤色:情熱の才能

ポジティブな成長
才能の芽「激しい」にグッドプレゼントを贈ると、→エネルギーを力に変え、自己肯定的になります。→自己肯定感が高まると、自己鍛錬を重ね、アスリートや武道家として成功する可能性があります。→最終的に自己受容が進むと、消防士や救急救命士として人命を救ったり、運動選手として多くの人に勇気を与え、社会に貢献します。

ネガティブな成長
才能の芽「激しい」にバッドプレゼントを贈ると、→暴力的になり、自己否定的になります。→自己否定感が強くなると、暴飲暴食や自傷行為などで自分を傷つける傾向があります。→最終的には、暴力団や暴走族などの組織に依存し、他人や社会に迷惑をかける行動を取るようになることがあります。


🌞 オレンジ色:自己表現の才能
ポジティブな成長
才能の芽「自己中心的」にグッドプレゼントを贈ると、→自己表現へと成長し、自己肯定感が育まれます。→自己肯定感が強まると、歌や演奏、ダンス、演技といったパフォーマンスを通して自分を表現できるようになります。→さらに、自己を受け入れると、役者や歌手、演奏者、タレントとして人々に感動や夢を与え、社会に貢献する力を持つようになります。

ネガティブな成長
才能の芽「自己中心的」にバッドプレゼントを贈ると、→意地悪さが現れ、自己否定的な感情が強まります。→自己否定感が続くと、無意味なプライドや極度の恥ずかしがりなど、自分を傷つける行動に繋がります。→最終的に自己を喪失すると、いじめや噂話、酷評やマウンティングなど、他人や社会に迷惑をかける依存的な行動へと発展してしまいます。


🌻 黄色:創造力の才能
ポジティブな成長
才能の芽「集中力がない」にグッドプレゼントを贈ると、→それが創造力へと変わり、自己肯定的になります。→自己肯定感が育つことで、描いたり作ったりする創作活動ができるようになります。→自己受容が進むと、画家や作家、クリエイターやデザイナーとして、人に感動や夢を与え、社会に貢献します。

ネガティブな成長
才能の芽「集中力がない」にバッドプレゼントを贈ると、→自己逃避が始まり、自己否定的になります。→自己否定感が芽生えると、妄想と現実の区別がつきにくくなり、自分を傷つける結果に。→自己喪失が進むと、被害妄想などに陥り、他人や社会に迷惑な依存行動を引き起こします。



地元素:[安定・基礎・社会性・経済]


💰黄土色:経済力の才能

ポジティブな成長
才能の芽「欲張り」にグッドプレゼントを贈ると、→経済力へと成長し、自己肯定的な姿勢が育まれます。→自己肯定感が芽生えると、貯蓄や投資、資源の使い方に優れた力を発揮できるようになり、自分の人生を豊かにします。→自己受容が進むと、起業家や事業家、篤志家として、人々に金銭的な支援や雇用の機会を提供し、社会に貢献することができるでしょう。

ネガティブな成長
才能の芽「欲張り」にバッドプレゼントを贈ると、→守銭奴的な傾向が強まり、自己否定的な思考が生まれます。→自己否定感が形成されると、買い物依存や借金に陥り、自らを傷つける結果となります。→自己喪失が進行すると、悪徳商法やギャンブル依存などの形で、他人や社会に迷惑をかける依存行動を引き起こすことがあるでしょう。


🐴 茶色:癒しの才能
ポジティブな成長
才能の芽「怠け者」にグッドプレゼントを贈る→包容力が育まれる→自己肯定感が生まれる→穏やかに過ごせる→他者を許し幸せを感じる→伝統工芸の職人や考古学者として社会に貢献。

ネガティブな成長
才能の芽「怠け者」にバッドプレゼントを贈る→自己否定感が生じる→不潔になり遅刻を繰り返す→ニートや自己喪失が進む→ネグレクトや職責放棄、ゴミ屋敷に至る→他人や社会に迷惑。


🛠️灰色:地道さの才能
ポジティブな成長
才能の芽「反応の薄さ」にグッドプレゼントを贈る→誠実さが育まれる→自己肯定感が高まる→地道な積み重ねや根気が生まれる→人生が豊かに→事務仕事やエンジニアとして社会に貢献。

ネガティブな成長
才能の芽「反応の薄さ」にバッドプレゼントを贈る→内向的になり自己否定的になる→コミュニケーション障害が生まれる→引きこもりや自己喪失→サイレントマジョリティや全体主義に流される→他人や社会に迷惑。



風元素:[知性・コミュニケーション・論理]


🌲 緑色:友愛の才能

ポジティブな成長
才能の芽「優柔不断」にグッドプレゼントを贈ると→友好的になり自己肯定的になる→自己肯定感ができると友達をたくさん作り、自然を愛し、ガーデニングやキャンプなどを楽しむことで人生を豊かにします→自己受容すると、環境保護活動や国際交流、人道支援などを通じて社会に貢献します

ネガティブな成長
才能の芽「優柔不断」にバッドプレゼントを贈ると→無責任になり自己否定的になる→自己否定感ができると、人に流されて自分で決めることを避け、他人に頼りがちになり自分を傷つける→自己喪失すると、食品偽装や手抜き工事、点検を怠るなど、他人や社会に迷惑な依存行動を取るようになります


🌿黄緑色:軍師の才能
ポジティブな成長
才能の芽「嘘つき」にグッドプレゼントを贈る→頭の回転が早く自己肯定感が育まれる→会話力や推理力が高まり人生が豊かに→商人やマジシャン、芸人として社会に貢献。

ネガティブな成長
才能の芽「嘘つき」にバッドプレゼントを贈る→悪賢くなり自己否定感が生じる→他人を陥れたり自分を誤魔化す→学歴詐称や詐欺行為に至り→他人や社会に迷惑をかける。


🐦 水色:冒険の才能
ポジティブな成長
才能の芽「臆病」にグッドプレゼントを贈る→勇気が育まれ自己肯定感が生まれる→チャレンジ精神が高まり失敗を恐れず挑戦する→冒険家やツアーコンダクターとして社会に貢献。

ネガティブな成長
才能の芽「臆病」にバッドプレゼントを贈る→極度に怖がり自己否定的になる→安全に執着し自己を傷つける→挑戦を回避し自己喪失→意固地な態度で他人や社会に迷惑をかける。


🐟青色:知識の才能

ポジティブな成長
才能の芽である「気難しさ」にグッドプレゼントを贈ると→論理的で考え深い人になり、自己肯定感が育まれます。→自己肯定感が強くなると、知識を論理的に整理して学びを深め、ボードゲームや勉強の楽しさに気づき、充実した人生を送るようになります。→さらに自己を受け入れることで、知識を人に分かち合うことができ、先生や学者、棋士、税理士などの職業を通じて社会に貢献します。

ネガティブな成長
才能の芽「気難しさ」にバッドプレゼントを贈ると→こだわりが強くなり、自己否定感が生じます。→自己否定感が強まると、考えすぎて物事が進まず、自分を追い詰めるようになります。→自己を見失うと、クレーマーになったり、衒学的な態度で他人を困らせたりして、他人や社会に迷惑をかける依存的な行動を取ることになります。



水元素:[感性・共感・情緒・霊性]

🔮 紫色:奇抜の才能
ポジティブな成長
才能の芽「奇抜」にグッドプレゼントを贈ると→自己肯定感が高まる
直感力が発揮される革新的な作品を創造できる独自の世界観を持つ芸術家や宗教家、占星術師として社会に貢献人々に影響を与え、人生が豊かになる


ネガティブな成長
才能の芽「奇抜」にバッドプレゼントを贈ると→ 天邪鬼になり自己否定感が強まる
信じたものを盲信し過ぎる自分を傷つける結果を招く自己喪失に至り、極端な思想や依存的な行動に走る他人や社会に混乱を招くことがある


🌸 ピンク色:愛の才能
ポジティブな成長
才能の芽「甘えん坊」にグッドプレゼントを贈ると→ 自己肯定感が育まれる→ 自分の美しさを大切にし、魅力を引き出す→ 自己を愛し、内外の美しさを磨く→ 充実した人生を歩むことができる→ 自己受容すると、モデルやアイドル、メイクアップアーティスト、トリマーとして社会に貢献する道が開かれる

ネガティブな成長
才能の芽「甘えん坊」にバッドプレゼントを贈ると→ 打算的になり、自己否定感が深まる→ 自分を過度に甘やかす→ 性的なメディアへの依存や自己破壊的な行動に陥る→ セックス依存やストーカー行為に発展→ 他人や社会に迷惑をかける危険性がある



🥞薄橙色:共感の才能

ポジティブな成長
才能の芽「内弁慶」にグッドプレゼントを贈ると→共感することに長けた人になり自己肯定的になる→自己肯定感ができると整理整頓や家事、育児が上手にできて人生を豊かにします→自己受容すると自他共の気持ちを癒すことができて、カウンセラーや料理研究家、心理学者、アドバイザー、セラピストなどになって社会に貢献する。

ネガティブな成長
才能の芽「内弁慶」にバッドプレゼントを贈ると→共感し過ぎて自己否定的になる→自己否定感ができると人のことが気になり過ぎて自分を傷つける→自己喪失すると細かいことに過剰にこだわるようになり、他人や社会に迷惑な依存行動をする。



陰と陽の才能[精神性と物質性]

💻黒色:科学の才能

ポジティブな成長
才能の芽「残酷な実験」にグッドプレゼントを贈ると→科学的な興味を持つ人になり自己肯定的になる→自己肯定感が高まると、好奇心を持って実験に挑戦し、人生を豊かにする→自己受容できると、人文科学や自然科学の研究や実験を行い、科学者、医師、弁護士、調理師などとして社会に貢献する。

ネガティブな成長
才能の芽「残酷な実験」にバッドプレゼントを贈ると→残忍になり自己否定的になる→自己否定感が強まると、命の尊さを無視した危険な実験を繰り返し、自分を傷つける→自己喪失に陥ると、残酷な行為に依存し、戦争や武器を用いた命の支配や、学校や家庭内での虐待など、他人や社会に多大な迷惑をかける行動に走る。


❄️白色: 博愛の才能

ポジティブな成長
才能の芽「心が狭い」にグッドプレゼントを贈ると→博愛精神を持った人になり自己肯定的になる→自己肯定感ができるとボランティアや清掃活動、日々のルーティンを整える力が養われ、自分や他人に優しく秩序正しい人生を送る→自己受容すると、神職、哲学者、清掃業者、看護師などになって社会に貢献する

ネガティブな成長
才能の芽「心が狭い」にバッドプレゼントを贈ると→潔癖症になり自己否定的になる→自己否定感ができると、自分にも人にも厳しくなり、些細なことで自分を傷つける→自己喪失すると排他的になり、境界線を引いて自分のルールと違うものを許せない集団を形成し、他人や社会に迷惑な依存行動をする




今回の図8の説明を通して、火地風水4元素15色の才能の芽は、ポジティブな成長として「才能の芽にグッドプレゼントを贈ることで、自己肯定的になり、自己受容ができ、社会貢献に至る」道と、ネガティブな成長として「才能の芽にバッドプレゼントを贈ることで、自己否定的になり、自己喪失し、他人や社会に依存する」道に分かれることが、具体的にお分かりいただけたと思います。
「1-5 火地風水4元素15色の才能に贈る2つのプレゼント」は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回予告
円形の図では見にくいため、重要な部分だけを表(図9)に簡潔にまとめたものをご紹介いたします。

【1−6 火地風水4元素15色の才能にあげる2つのプレゼントの簡易版】


前回の内容では、グッドプレゼントを贈ることで才能の芽が育ち、自己肯定感が高まって社会貢献に繋がる一方、バッドプレゼントを贈ることで自己否定感が芽生え、自己喪失し、社会に依存するというプロセスを説明しました。
今回は、その重要な部分を簡単にまとめた表(図9)をご紹介します。



*火地風水陰陽のグループ順に紹介します*

火元素の才能:[情熱・自尊心・想像力・行動力]

🔥 赤色:情熱の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「激しい」にグッドプレゼントを贈ると → 情熱、熱血に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 暴力的な性質に変わる。

🌞 オレンジ色:自己表現の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「自己中心的」にグッドプレゼントを贈ると → 自己表現力に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 愚痴や悪口を言う人に変わる。

🌻 黄色:創造力の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「集中力がない」にグッドプレゼントを贈ると → 創造力に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 被害妄想に変わる。




地元素の才能:[安定・基礎・社会性・経済]

💰 黄土色:経済力の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「欲張り」にグッドプレゼントを贈ると → 経済力に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 強欲に変わる。

🐴 茶色:癒しの才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「怠け者」にグッドプレゼントを贈ると → 包容力に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → だらしなさに変わる。

🛠️ 灰色:地道さの才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「反応の薄さ」にグッドプレゼントを贈ると → 地道さに変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 引きこもりに変わる。




風元素の才能:[知性・コミュニケーション・論理]

🌲 緑色:友愛の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「優柔不断」にグッドプレゼントを贈ると → 友好的に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 無責任に変わる。

🌿 黄緑色:軍師の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「嘘つき」にグッドプレゼントを贈ると → 戦略的思考に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 詐欺や詐称に変わる。

🐦 水色:冒険の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「臆病」にグッドプレゼントを贈ると → 勇気に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 恐怖に変わる。

🐟 青色:知識の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「気難しさ」にグッドプレゼントを贈ると → 論理的思考に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → クレーマーに変わる。




水元素の才能:[感性・共感・情緒・霊性]

🔮 紫色:奇抜の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「奇抜」にグッドプレゼントを贈ると → 芸術性に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 盲信に変わる。

🌸 ピンク色:愛の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「甘えん坊」にグッドプレゼントを贈ると → 愛と美に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 打算的に変わる。

🥞 薄橙色:共感の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「内弁慶」にグッドプレゼントを贈ると → 共感力に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 些細なことに固執する性質に変わる。




陰と陽の才能:[精神性と物質性]

💻 黒色:科学の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「残酷な実験」にグッドプレゼントを贈ると → 科学的探求に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 残忍な性質に変わる。

❄️ 白色:博愛の才能

  • ポジティブな成長
    才能の芽「心が狭い」にグッドプレゼントを贈ると → 博愛に変わる。

  • ネガティブな成長
    バッドプレゼントを贈ると → 排他的な性質に変わる。



今回の図9の説明を通して、火地風水4元素15色の才能の芽は、ポジティブな成長として「才能の芽にグッドプレゼントを贈ることで、自己肯定的になり、自己受容ができ、社会貢献に繋がる」道と、ネガティブな成長として「才能の芽にバッドプレゼントを贈ることで、自己否定的になり、自己喪失し、他人や社会に依存する」道に分かれることが、簡潔にお分かりいただけたと思います。
「1-6 火地風水4元素15色の才能に贈る2つのプレゼントの簡易版」は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。



次回予告
第1章「まずは結論から」を終えて、次の章に移ります。
第2章「はじめまして、お宝才能アドバイザーのお玉ちゃんです」:
この章では、自己紹介と経歴をお伝えします。不登校で多動性だった、私の個人的な経験がこのメソッドの発見につながった経緯を説明します。どうぞお楽しみに!

第2章「はじめまして、お宝才能アドバイザーのお玉ちゃんです」

前回までの第1章「まずは結論から」を終えて、次の章に移ります。
今回から第2章「はじめまして、お宝才能アドバイザーのお玉ちゃんです」に入ります。
この章では、自己紹介と経歴をお伝えします。不登校で多動性だった、私の個人的な経験がこのメソッドの発見につながった経緯を説明します。

2−1:はじめまして
初めてお会いするのに、こんなお話から始めるのは少々気が引けるのですが…
私は片付けが全くできません。バッグや部屋の中も、気を抜くとすぐにぐちゃぐちゃに。長い間、家はゴミ屋敷状態で、宅急便の方には玄関に入ってもらえず、「外に置いてください」とお願いするほどでした。

集中力も欠けていて、意識はすぐに別の方向へ飛んでしまいます。学生時代、授業中にどれだけ怒られたことでしょう。無意識に他のことをし始めて、先生にチョークを投げられても気づかないほどでした。それが笑い話になるくらいです。
今でも、何かに夢中になると手に持っているものを落としてしまい、鍵や携帯には綱をつけて「宝引き状態」です。

私は集団行動が苦手で、教室にいるだけで息苦しくなります。小学生の頃から「保健室に行きます」と言って、校舎内をさまようことが多々ありました。体温計をコタツに押し付けて熱を出したフリをして、学校を休むようになったこともあります。不登校なんて言葉がなかった時代のお話です。
偏食もありました。給食が嫌いで、掃除の時間まで残って食べるのが嫌で、お腹が痛いと言い訳し、中庭の動物小屋のそばで、うさぎの餌のキャベツの葉を食べていた子供でした。

話を聞くことも苦手です。幼い頃、みんながちゃんと聞いている話を聞いていなくて、先生が話し終わった途端に質問をしては、「今言っただろ?」と怒られる常習犯でした。よくビンタもされました。
大人になっても変わらず、娘に「どうして話を聞いてくれないの?」と言われてしまいます。聞いているつもりでも、いつの間にか別のことを考え始めてしまうんですね。

私はいつもキョロキョロして落ち着きがありません。親になってもその癖は変わらず、参観日に行った時、前で司会をしていた娘に「ちゃんと前を向いていてくれない?」と叱られたこともありました。

数字も苦手で、金額や年数、生徒さんの学年さえも覚えられません。しっかり覚えないといけない場面で緊張し、肩が凝るほど疲れてしまいます。しかも思い込みが激しいので、さらにややこしいことになります。
私は簡単な足し算でも間違えます。金融機関では訂正印を何度押したかわかりません。銀行に行く際も、一度で必要なものを持っていけず、何度も出直す羽目になります。手続き関係が苦手で、莫大なエネルギーを消費してしまうのです。

文字を書くのも苦手で、頭の中で考えるスピードに手が追いつかず、パニックを起こしがちです。パソコンや音声入力がある今の時代、本当に救われています。

さらに、人の顔を覚えることもできません。いつも見かける場所でないと、どれだけ親しい相手でもわからなくなります。一度、可愛らしいお嬢さんに「どちら様ですか?」と尋ねたら、それが姪だったこともありました。娘に「先に顔が覚えられないって言った方がいいよ」とアドバイスされ、名刺にその一言を加えることにしました。

私は自分に自信がありません。興味のあることしか覚えていないからです。幼少期のトラウマが原因で、玄関の鍵を何度確認しても落ち着かず、忘れ物も多いため、外出した時には園児のように斜めがけにしたバッグも手放せません。

一つ一つ説明しているとキリがないので、まとめてダメなところをあげますが、私は物の管理ができません。おっちょこちょいで、しょっちゅう物をなくしたり壊したりします。預かったものや、たった今言ったこと、やっていたことさえも忘れてしまいます。屁理屈を言う頑固者で、非常識な行動をしながらも正義感を振りかざします。地道に継続することが難しく、家族を自分の価値観で支配しようとするわがままで自己中心的な性格です。気に入らないことがあると大声で泣きわめき、甘えん坊で依存的です。恥知らずな行動をしつつも極度に恥ずかしがり屋で、自意識過剰です。

好奇心旺盛でおしゃべりなので、つい話を大袈裟に盛ってしまいます。知ったかぶりをし、ケチで意地汚いのに衝動買いをしてしまいます。掃除ができないくせに、妙なところで潔癖症で排他的です。普段はボーっとしてゴロゴロしていますが、スイッチが入ると異常なまでの執着心と集中力で何かを始め、他のことはすべて放置してしまいます。やりっぱなしで最後までやり遂げられることがほとんどありません。

自分の容姿にも劣等感を抱き、ダイエットや筋トレ、マッサージも途中で挫折します。言動は常におかしく、何かに興味を持ってもすぐに飽きる、にわか人間です。衝動的で感情的で、SNS中毒な上に漫画中毒です。ゲームにハマると抜け出せなくなり、ゴスロリや仮装が大好きです。お調子者で、ちょっと何かがうまくいくと得意になってすぐに偉そうにします。テンションが上がるとパニックになり、自分が何を話しているのかわからなくなり、支離滅裂な状態になります。

まだまだいっぱいありますが、読んでくださる方がうんざりするかなと思うので、この辺でやめておきます。

けれど、そんな私にも神様がくださった才能がありました。それは、人の良いところを探す力と、みんなが喜んでくれる楽しい遊びを考える才能です。絵を描いたり、好きなものを作ったりして良いと言われると、喜んで延々と続けます。

どうも後から聞くと、長い人生の中で仲間外れにされたり、意地悪をされたり、悪口や嫌味を言われたり、噂の対象になることが度々あったようですが、その部分に関しては鈍感なので、言われても気がつかないのです。すぐに自分の世界に没頭し、妄想や考えに浸り、人を褒めてその良さを伸ばすために時間をかけたり、みんなが楽しめるイベントを考え、自分がワクワクするものを作るのに一生懸命だから、それほど気にしていないのかもしれません。

小さい頃の思い出はさておき、そもそも一つのことを長く覚えていることができません。これだけ悪いところがあると、人からの評価を気にしていたら、それだけで人生が終わってしまいます。たとえ傷つき怒ったとしても、次のことに夢中になるとすぐに忘れてしまうので、何に怒っていたのかも覚えていないのです。
いつでもあらぬ方向を向いてにやにや笑っていたり、花や虫や鳥に話しかけていたり、太陽や月の光、風や雨に感動しては、玄関先や湖のほとりでお尻をフリフリして踊ったり歌ったりしています。

私は、かなり頭がお花畑の人間なのですが、無害かと言えばそうでもありません。明らかに攻撃されているのがわかる時や、何かにキレて怒ったり文句を言う時には鬼のようになります。昔は娘や家族、他人に対しても同じように振る舞っていました。悔しくて泣きわめくこともあり、火を吹く怪獣のような激しい感情が噴き出すこともあります。
失敗や恥ずかしい思いを思い出しては、家の中で奇声を発したり、頭から布団をかぶってわめきたくなる衝動を抑えることもよくあります。一度凹むとなかなか立ち直れません。こだわりのあることに関しては、いつまでもぐちぐち考えてしまいます。

そんなひどい性格の私ですが、気づけば人生を楽しむ仲間や助けてくれる人が、たくさん周りにいるのです。ミラクルでしょう?^^
「え?どうして、そうなるの?」と思いますよね。それは、私にとっての第二の母親のような存在が周りにたくさんいて、その方々から大切なことを教わり、愛情をたっぷりいただいたおかげです。自分の母親だけでは足りなかった愛情を、周りの素敵な大人たちが補ってくれたのです。

私は、そんな大人たちの存在がなければ、今頃どうなっていたかわかりません。長い間、自分でも自分のことがよくわからなかったのです。何をしたいのか、どこへ行きたいのか、何に本気で向き合うべきか。ですが、私の周りにはいつも「大丈夫だよ」と言ってくれる人がいて、私を支えてくれるのです。これって、奇跡だと思いませんか?

そんな奇跡の連続の中で、私はメソッドを発見しました。自分の短所を見つめ、克服するプロセスが、実は才能を引き出すためのカギだったのです。自分のダメなところを受け入れることで、そこに隠された才能が見えてくる。そんな発見をしたのです。

このメソッドは、自分を否定するのではなく、自分の良さも悪さも全部ひっくるめて「私」という存在を受け入れるところから始まります。そして、それができると、不思議なことに周りの人の良さにも気づけるようになります。つまり、自分を受け入れることで、他人を受け入れる力も養われていくのです。

これが私の「フェアリーゴッドマザー愛's メソッド」の根幹です。私は、自分の欠点だらけの人生を通じて学んだことを、みなさんに伝えたいと思っています。自分を愛し、他人を愛し、そしてその愛を通じて、より良い未来を築くための冒険に出かけてほしい。そんな願いを込めて、このメソッドを作りました。


次回予告
今回は私のあまりにも強烈な個性についてお伝えしましたが、次回はそんな多動性で不登校な私の生い立ちについて書きたいと思います。しばらくお付き合い下さい。

前回は筆者である私の目を覆いたくなるような短所についてお伝えしました。
今回の第2章−2では、私の生い立ち・幼少期として、「自分では訳が分からずに、そうなってしまう、特異な行動をする」子ども時代の私の言動と、一生懸命に躾をしようとした小中学校の教師だった両親について触れたいと思います。
2−2:私の生い立ち幼少期
私の生い立ち 「不登校だった子ども時代」
小さい頃から生意気でだらしなく、自己中心的だった私は、よく両親や教師から叱責や注意を受けました。しかし、自分がなぜ怒られているのか全く理解できず、その度に自尊心が傷つき、反抗して泣いたり怒ったりして、どんどん気が強くなっていったのです。今思えば、それは自己防衛だったのでしょう。
そのうちに腹痛や頭痛、喘息の症状が現れ、学校を度々休むようになりました。不登校という言葉がまだなかった時代のことです。私の性格が強烈すぎて、学校に居場所がなかったのでしょう。自分では悪いことをしているとは思っていないのに怒られる日々。父親に戸締まりを確認され、「したよ」と答えても、「本当にやったのか?」と何度も問い詰められるうちに、自分の言動に自信を持てなくなり、鍵をかけたはずなのに何度も確認せずにはいられないような不安症を今も抱えています。



両親からもらったグッドプレゼント
それでも、両親が私を嫌っていたわけではありません。教育熱心で、私に様々な経験を与えてくれました。私の記憶は、大きな川の大きな橋で、兄や父と一緒にかけっこをしたり、河原で石積みや石投げをしたりして遊んでいたところから始まっています。父は、私に体力や運動神経をつけさせようとしたのでしょう。仕事から帰ると、外でよく遊んでくれました。
火の扱い方や庭に池を作る方法、植物の世話の仕方を教えてくれました。夜にはホタル狩りに連れて行ってくれ、昆虫のことも教えてくれました。家では、ニワトリの卵からヒナを孵したり、たくさんのカブトムシの幼虫を持ち帰ってきたりしてくれました。(ちなみに父は理科の先生です。)墓の草刈りやご先祖様の話、どぶさらいなど、生活に根ざした多くのことを教えてくれました。
休日には家族でお花見やドライブに連れて行ってくれ、季節や天気、地理についても教えてくれました。また、五目並べ、カルタ、花札、百人一首、さらには小学生の時に麻雀まで教えてくれました。この経験が、私が後にボードゲームや暗記の教室を開く基盤となったのです。
父は美味しいものが大好きで、土曜の夜にはケーキを持ち帰り、病気の時にはバナナやアイスクリームを買ってきてくれました。日曜日の朝にはクリームパン、特別な日には焼肉と、たくさんの美味しい食べ物を与えてくれました。また、お魚の骨を綺麗に取ってご飯の上に乗せてくれるなど、細やかな気遣いもしてくれました。そして、いつも「お前の笑顔がいい」と褒めてくれました。
母は音楽の先生を経験した後、自宅でピアノ教室を始めました。私が散らかしたり汚したりするのを一生懸命に片付けてくれ、好き嫌いの多い私のために家族それぞれの好みに合わせたメニューを作ってくれました。巨大なオムライスのお弁当を作ってくれたこともありました。
母のそばでかつお節を削ったり、ゴマをすり鉢でする姿を見て学ぶ時間は、私にとって興味深いものでした。料理の得意な母は、誕生日には「お前はいい季節に生まれたね。たくさんのフルーツが使えるよ」と言ってフルーツポンチを作ってくれ、クレープやポタージュスープなど当時珍しい料理も振る舞ってくれました。父や兄がいない夜には、「二人で内緒のお茶会をしようね」と言ってタマゴサンドや紅茶の入れ方を教えてくれ、季節ごとの行事に合わせて特別な料理を用意してくれました。母が作るイベントの影響で、私もイベントを企画することが好きになりました。
多彩な母は日本画や水墨画が得意で、地元の美術会にも出入りし、私を美術館に連れて行ってくれました。美術の世界に触れることで、美大を目指すきっかけとなったのも母のおかげです。
母が読み聞かせてくれた物語が、私に本の楽しさを教えてくれました。その結果、私はたくさんの偉人の伝記や推理小説、冒険ものなどを自力で読むことができました。
母が私に与えてくれた愛情や学びのおかげで、私は今も多くの趣味や仕事を楽しんでいます。母の教えが、私の今の工作教室やボードゲーム教室の基盤となっているのです。
特に得意な洋裁では、当時子ども服では見かけなかったような素敵なドレスやスカートを作ってくれました。母がミシンを踏んでいる横で、余った布で工作をしている時間は、とても幸せなひとときでした。
卵の殻で作った人形や、あやとり、ビーズ細工、刺繍、編み物、籐籠編み、リボンフラワー、トウモロコシ人形、粘土細工、茶道、華道など、母の多彩な趣味を一緒に経験したことは、今の私の工作教室の土台となっています。
ピアノの先生だった母は、歌も上手で、童謡や昭和歌謡をよく歌ってくれました。読書も好きで知識が豊富で、表現力にも優れていました。寝る前にはよく本を読み聞かせてくれ、それは私が大きくなるまで続きました。彼女が読んでくれた羅生門や小僧の神様、昔話やトルストイの子どものための本、スペインの昔話など、どれも楽しくて仕方がありませんでした。
本の楽しさを教えてくれたおかげで、私は多くの偉人伝記やオルコットの小説、ルパンやシャーロック・ホームズの推理小説、オズの魔法使いやライオンと魔女のファンタジー、十五少年漂流記の冒険ものなどを自力で読むようになりました。クラスにいることが辛かった私は、図書館で過ごす時間が幸せでしたし、放送委員会でアナウンスが得意だったのも、母のおかげです。
学校の校庭が冬になるとスケートリンクに変わり、夜間滑りに行った後、寒さで凍えた体を温めるために、母はいつも温かい料理を用意してくれていました。冷え性だった私のために、毎朝手間のかかるオイル充填式のカイロを準備し、持たせてくれたのも母でした。
また、母は畑仕事も得意で、一輪車を押して畑に行き、よく新鮮な枝豆やトウモロコシを食べさせてくれました。学ぶことが本当に多く、花を育てることも上手で、学校に行く前には庭で切った花を新聞紙に包んで持たせてくれるのが日課でした。私の天然パーマの髪をしっかり三つ編みにしてくれるのも、母の役割でした。
こうして母がしてくれたことを書き出してみると、私は本当に素晴らしいグッドプレゼントをたくさんもらっていたのだと改めて感じます。しかし、当時の私は個性が強すぎて、素直な反応ができず、癇癪を起こしがちでした。何か言われるとすぐに泣いて怒ってしまい、両親はきっと戸惑っていたことでしょう。
​​小さな頃から私の個性はとても強烈でした。
戸の開け閉めや本のページをめくる際に、ついつい乱暴になってしまい、よく叱られたものです。今でも、思わず大きな音を立ててしまったあとで、自分で首をかしげます。「どうしてこんなに雑なんだろう…」と。
運動も苦手で、目を覆いたくなるほどの運動音痴でした。天然パーマでぽっちゃりした体型だった私は、鉄棒やマット運動、徒競走など、何をしてもうまくいかず、常に劣等感を抱えていました。
そんな私が夢中だったのは、テレビや漫画。感情移入しすぎて、親の言うことはまったく耳に入らず、作り話をするのが得意で、よく嘘をついては怒られました。さらに、自分の話ばかりを延々とするマシンガントークで、臆病で怖がりのくせに、どんな話題にも首を突っ込んでは自分の意見を強く主張する、厄介な子どもだったと思います。
天邪鬼だったので、嬉しくても素直に喜ばないし、可愛げもなかったのでしょう。
お年玉をもらうと、すぐに金額が気になって袋をのぞき込み、注意されたり、近所にできたケーキ屋の景品を「お母さんの分もください」ともらって帰り、叱られて返しに行ったこともありました。
いつもコタツに潜り込み、夜更かししては朝寝坊。掃除や片付け、着替えも嫌いで、頻繁に注意されていました。ある日、カラスの死体をぶら下げて帰ったり、変なもの同士を混ぜては喜んだりするような、変わった子どもでした。外に出るのが嫌で引きこもり気味でもありました。
両親はそんな私をどうにかしようと必死でした。さまざまなことに注意され、叱られ、ダメ出しをされる日々。母は特に美術教育に熱心で、秋になると菊の香りが漂う庭にゴザを敷いて、絵の具を用意してくれました。花瓶に入れた百合やライラックを部屋に置いて、私に描かせようとしてくれたのです。
美大を卒業するまで、キャンバス代や絵の具代など、かさむ費用に文句を言われたことは一度もありませんでした。しかし、大学の寮に入ってから、ふと気づきました。「どうしてこの筆はこんなに汚れているんだろう?」と。部屋や道具がいつも綺麗だったのは、母がいつの間にか片付けてくれていたからです。
母は、私が美大生の頃も、社会人になってからも、「とにかく描いて送りなさい。展覧会に応募しておいてあげるから」と、私の作品を出品し続けてくれました。
母自身、3歳のときに親を亡くした経験から、私への愛情は特別に強かったのだと思います。性格にも問題があり、学校の成績も芳しくない上に、不登校になってしまった私。漫画ばかり読んで、深夜ラジオに夢中になり、朝起きられなくなってしまった娘に、母は困惑したことでしょう。
園児の時に絵画コンクールで賞をもらい、小学校の低学年でも褒められていました。しかし、高学年や中学・高校時代には漫画ばかり描くようになりました。祖父が芸術家であり、母もその才能を持っていたため、私の才能を絵で伸ばそうと母は考えてしまったのです。母の愛情ゆえ、安定して食べていける道を一生懸命提案してくれましたが、目に見えないものや形になっていないもの、未知の世界に育つ芽の存在には考えが及ばなかったのかもしれません。そのことについては私も娘に対して同じことをしてしまいました。未来の職業や社会の仕組みなど誰にも分からないというのに、安定を求めてレールを敷くことを。
話は逸れましたが、私は専業主婦であった母と、当時子どもや生徒に対して絶対的な権力を持っていた教員の父という、強い支配下で育ちました。両親は、いつでもどこでもなんとなくはみ出してしまう私の性格を、社会的に正しい、きちんとした立派な人間にしようと操縦しようとしたのです。恋愛は禁止され、大学を卒業したら家に戻り、母が決めた相手とお見合い結婚をして家の近くに住み、母の老後を見てほしいと言われ育てられました。そうした考え方が人間の人生だと、私は半世紀も信じて生きてきました。
高学年になると私は不登校になり、親が期待する進学校にも入れませんでした。その頃、兄も重い病気にかかり、経済的な困難が重なって、家族の人生はうまくいかなくなりました。母は次第に愚痴や悪口が多くなり、思い込みが激しくなり、ネガティブな発言も増えました。叱る時には激しい怒り方をする人でしたが、今になってわかることがあります。それは、母もそうやって育ってきたんだということです。
父にも子どもに対する夢があったようで、不登校の私を進学校の前に連れて行ったり、「女東大」と言われる大学を受けろと、現実とはかけ離れたことを言っていました。親には親の夢や希望があり、戦後間もない時代に育った両親は、自分たちが諦めてきた夢を子どもに託していたのでしょう。そして、それが叶わなかったことに、残念な思いをしていたのだと思います。
どんな親も、子どもを最初から否定することはありません。たくさんの夢を持って、愛し、幸せにしてあげたいと思うものです。同じように、子どもも親に愛されたい、褒められたい、認められたいと願っています。それなのに、なぜか親子関係がうまくいかないことは、多くの人が抱える悩みではないでしょうか?
そんな風に育てられた私が、今度は社会人や親として毒を撒き散らしてしまったことについて、次回お話ししたいと思います。



次回予告
今回は多動性で不登校な私の幼少期について書きましたが、次回は社会人や親になってもやはり強烈な個性ゆえに、大切なことが理解できていなかった私について触れたいと思います。よろしくお願いします。

2−3:私の生い立ち青年期
【美大生からエステティシャンに】
中学に入ると私の不登校はさらに悪化し、毎晩「オールナイトニッポン」というラジオを聞いて眠りにつく日々が続きました。当然、勉強はどんどん分からなくなり、高校にはどうにか引っかかって入学できましたが、その頃は絵を描くことに夢中でした。

小学校・中学校で不登校だった私は、「美大に入る」「フランスに行く」という夢を掲げることで、自分のプライドを保っていたのではないかと思います。ちなみに、フランス行きはまだ果たされていません。

母の紹介で、現代画家のアトリエにも通うことができました。その方が、思えば最初のメンターでした。
入学時には成績300番台だった高校も、卒業時には10番台にまで上がりました。特に英語の担任の先生は、頑張る私をとても応援してくれた恩人です。
しかし、中学時代に勉強の仕方を覚えなかった私は、希望する大学に入る学力もなく、たとえ学力があったとしても、メタメタなデッサンでは合格は難しかったと思います。

すべり止めの短大に入学し、美大のキャンパスを歩いた時、自由な格好で好きなことをしている人たちを見て、「ああ、やっと自分が泳ぐ水に辿り着けた」と感じました。
短大時代は美術館や画廊巡りをしながら制作に励み、真面目さが買われて寮長も務めました。編入後は教員と学芸員の免許も取得し、バイトもしながら武道館のコンサートやディスコに通う日々でした。

当時はバブルの真っ只中で、華やかな時代でした。公務員の両親に仕送りをしてもらいながら、ただ消費して生きることしか知らず、どうやったらお金を稼げるのかという知識は全くありませんでした。

一人暮らしを始めたアパートに母から「男性とのお付き合いは許しませんから、そのつもりで帰っていらっしゃい」と手紙が届いたこともありました。洗脳とは恐ろしいもので、私はその頃、デートやコンパに夢中になる友達を愚かだと思っていたのです。幼い頃から「男性と付き合うと大変なことになる」と恐怖を植え付けられていたからです。…ただ、笑えるのは両親が恋愛結婚だったことです。まるで笑い話みたいでしょう?

両親は「聞こえの良い職業について、幸せな仕事と家庭を得ること」を私に望んでいました。親からすれば、それが正義だったのでしょう。
その反動もあり、やりたいことがないなら美容業界に入って勉強してみようと思いました。当時、エステティック業界は権威向上のために、新卒者向けの技術習得代100万円が無料でした。

学び自体は楽しかったのですが、バブル期には同年代の子たちが株で儲け、華やかな暮らしをしている姿を目の当たりにしながら、私は安い給料で終電まで働き、サウナの床を磨いたり事務処理をする日々に、体力的な限界を感じていました。店長に「おかしいじゃないですか?話が違います。何とかしてください」と食ってかかることもありました。

自分で選んだ仕事に満足できず、挫折感ばかりが募り、自由もここまでだと感じて地元に戻り、友達の実家の化粧品屋さんで働くことになりました。
何度かお見合いをするうちにご縁を頂き、結婚が決まりました。結婚準備で退職する頃に、中学校の美術講師の仕事もいただくことができました。こうして私は、「ゴール(いや、スタートなんだけど!)」にたどり着き、結婚式を迎えました。

主人は真面目で寡黙な人でしたが、3歳児のように泣きわめいたり怒鳴り散らす私にカルチャーショックを受けたことでしょう。
最後までお読み頂き有り難うございました。



次回予告
今回は多動性で不登校な私の青年期について書きましたが、次回は社会人として仕事をしていた頃の私について触れたいと思います。よろしくお願いします。

第2章-4:[私の生い立ち・社会人として]
今回は、社会人になってからの私が、特に中学校の講師時代にどのような振る舞いをしていたのかについてお話しします。
【強い立場に立ったときの私の行動】
中学校の講師は毎日が無我夢中で、やるべきことが山積みでした。生徒の数も多く、名前を覚えるだけでも一苦労。みんな一生懸命に作品を作るのですが、成績の差をどこでつけるかとなると、忘れ物や提出期限、授業中の態度、話し声の有無など、些細なことに基づく評価になってしまいます。

ちょうどその頃、自分が小学生の時に埋めたタイムカプセルを、当時の担任の先生と同じ年になった時に掘り起こすというイベントがありました。私が5、6年生で受け持ってもらった先生は、体罰が厳しく、たとえ自分が悪くなくても、班の誰かがミスをすると「前に出ろ」と言われ、連帯責任でビンタをされました。給食も、好き嫌いや残すことが許されず、埃のたつ掃除中に残った給食を食べさせられたのを今でも覚えています。私は食べるのが遅い子だったので、嫌いな献立の給食がある日は学校に行くのが怖かったほどです。

そんな経験をしていたにもかかわらず、当時の先生を慕い、家まで遊びに行ったり、中学校に進学しても会いに行ったりしていました。今振り返ると、当時の体罰は特別なことではなく、先生自身ももっと厳しい時代を生きてきたのだろうと思います。

その影響を受けた私は、生徒に対しても同じような対応をしてしまいました。ビンタはしなかったものの、大声で怒鳴り、時には出席簿で叩くこともありました。忘れ物をした生徒には、授業中に罰として正座をさせることもありました。それが学校教育の「当たり前」だと思い込んでいたのです。強い立場に立つと、自然とそういった行動が正しいと信じ込んでしまい、生徒たちに厳しく当たっていました。当時は何も疑問に思っていませんでしたが、今では罪悪感でいっぱいです。自分の子どもを育てる中で、どうしてあんなことをしてしまったのか、生徒たちに心から謝りたい気持ちです。

当時の私は、ただ一生懸命に生徒を指導しているつもりで、優しい先生だと思っていたのです。人は、自分が育てられたように次の世代を育てるのだと痛感しています。

また、こんなこともありました。業者さんに対するクレームです。嫁入り道具が期日に届かなかった時や、工事が思い通りに進まなかった時、責任者を呼び出して延々と文句を言ったことが何度もありました。「お金を払っているのはこちらだ」と思い込んでいましたが、今振り返ると、自分自身の心の傷が原因だったのだと思います。

さらには、園や学校に対して、いわゆるモンスターペアレントのような行動を取ってしまったこともあります。自分の至らなさを棚に上げ、先生方に抗議してしまうこともありました。当時は、感謝の気持ちも持たず、自分の気持ちをうまく伝える術も知らず、本当に勿体無い時間を過ごしていたと思います。

私自身も社会人として、クレームや叱責を受ける立場になることが多くありましたが、それでもなお感情で爆発してしまうことがありました。だからこそ、今の世の中で起こっている社会問題や事件を見て、「あれは過去の私だ」と感じることがあります。愛によって救われなければ、今でも同じように他人に対して毒を撒き散らしていたかもしれません。



次回予告
今回は中学校の講師として愚かな振る舞いをしてしまった私ついて書きましたが、次回は親としても至らない言動をしていた私について触れたいと思います。よろしくお願いします。

第2章-5:[私の生い立ち・親として]
成人した娘から「お母さんに与えられたトラウマが2つあるんだよ」と言われたことがあります。
1つ目は、スイミングスクールの駐車場で、レッスンが始まるまでの間、九九の練習をしていたときのこと。娘がなかなか覚えられず、私が苛立ってしまい、スイミング教室を受けさせずにそのまま家に帰ったことです。(こうした行動、つまり彼女が楽しみにしていた何かを取り上げることは日常茶飯事でした。普段は甘やかしたりベタベタしていたのに、急に不機嫌になると、とても意地悪な態度を取ってしまうことがよくありました。)
2つ目は、ある習い事の発表会のリハーサルに行きたいと娘が言ったにもかかわらず、私が怒って連れて行かなかったこと。そして、リハーサルで変更された部分で、本番に失敗してしまったという話です。(この話は正直、全く覚えていなくて、娘の思い違いだと思って聞いていたのですが、きっと私が何かに腹を立てて行かせなかったのでしょう。何しろ私は一度怒ると、人の話を聞けなくなる性質があったので。)
娘にとってこれがトラウマだったと聞いたとき、正直意外でした。なぜなら、彼女を育てた18年間の間に、もっと酷いことをしてきたと思っていたからです。当時は全く虐待だとは思っていませんでした。娘が悪いことをしたから罰を与えるのは当然で、間違った考えは正すべきだし、できないことはできるようになるまでやらせる。それが当たり前だと思っていました。私自身もそうやって育てられてきたからです。
教員だった両親や学校の先生たちに、そんな育てられ方をされて嫌だった記憶があるのに、同じような状況に直面すると、結局同じ行動を取ってしまう。その深い心の傷が、自分の中にあったのだと今では理解できます。
今でも彼女に対しては、反射的に感情的になってしまい、価値観を押し付けてしまうことがあります。7000日分くらいの「バッドプレゼント」があるかもしれません。それについて書こうとすると、感情が込み上げてきて、よく覚えていないことも多いですし、自分の嫌な一面を思い出すと、脳がそれを拒絶するのか、なかなか筆が進みませんでした。
1年が365日で、娘が高校を卒業するまでの18年間は約6570日。それに加えて今までの約7000日分、本当は「グッドプレゼント」を贈るべきだった時間に、どれだけひどい「バッドプレゼント」を贈り続けてきたか。話が前後してしまって分かりづらいかもしれませんが、自分の受けた傷も含めて、私の目線から懺悔を綴ってみようと思います。
エピソードは数え切れないほどありますが、大きな過ちが2つあります。1つ目は、娘が何か失敗するたびに怒鳴って萎縮させてしまったこと。その「キレるスイッチ」が入る瞬間は異常だったと思います。それも私自身が受けた傷からくるものでした。というよりも、他の対処法を知らなかったのです。
2つ目は、家庭を「頑張る場所」にしてしまい、「安らげる場所」にできなかったことです。彼女の資質をそのまま認め、穏やかにのびのびと成長させ、好きな人生を歩ませてあげればよかっただけなのに、私は「どうすれば失敗しないか」ばかりを伝えてしまい、自信や愛を十分に渡せなかったのです。
自分自身を幸せにできない親が、子どもに幸せを教えられるはずがありません。だから、頑張れば幸せになれるという幻想を子どもに追わせるような育て方になってしまったのでしょう。
今ならこう言えます。 「嫌なことを無理に頑張っても幸せにはなれないよ。心も体もボロボロになるだけだから、自分を一番大切にして、自分のペースで進んでね。自分の直感を信じて行動すれば、きっとやりたいことが見つかるよ」と。
【最初の記憶】
彼女の記憶は、ピアノの練習中に私が怒っているところから始まっているそうです。その話を聞いたとき、私は愕然としました。
娘が生まれてから、どれだけ穏やかで楽しい時間を過ごしていたか分かりません。よちよち歩きの彼女と一緒に散歩したことや、毎日のように出かけた湖の周りの公園、一つ一つの物の名前や使い方を教え、滑り台やジャングルジムを楽しむ彼女の姿に喜んでいた日々。
でも、その積み重ねが、娘の記憶では「怒られた」という悲しい思い出に覆われてしまっているのです。温かく幸せな思い出ではなく、叱られた記憶から始まる彼女の人生。
本当に、子育てというのは親にとっても挑戦の連続で、思うようにいかないものだと痛感しています。
彼女が3歳になる少し前に私は仕事を始め、今年で29年目です。コロナウィルスの蔓延で教室を閉めるまで、夕方4時過ぎから夜10時まで、休む間もなく働く毎日でした。時間がない中で「早くしなさい」「早く食べなさい」「早く準備して」と急かす日々でした。
彼女にたくさんの習い事をさせ、欲しいものを買ってあげたくて、家の仕事を3つ掛け持ちし、それでも足りないと思っていました。時には、精密機器の会社でバリ取りのパートタイマーをしたり、深夜のウェイトレスのアルバイトをしたこともあります。
娘のことがどれだけ好きだったかというと、彼女の誕生日の1週間前から毎日カウントダウンをしてお祝いしていたほどです。でも、主人も娘も、記念日には特別な感情を持たないタイプでした。
私の実家は誕生日などを盛大に祝う家庭だったので、今振り返ると、私は本当は自分が祝ってもらいたかったのだと思います。家族が忘れていてお祝いをしてくれないことに腹を立て、不機嫌に怒鳴ったりしていました。自分の誕生日とは、この世で生かされていることや、助けてくれる周囲の環境や人に感謝する日なのだということを最近になってやっと学んだのです。
話がそれましたが、娘のためにお金を稼ぐことに必死になっていた私。子ども造形絵画教室を開けば、成績をつける必要もなく、娘にたくさんの友達もできるだろうと思いました。将来、彼女がやりたいことに挑戦できるように、頑張ってお金を稼がなくてはと考えていました。
今なら分かります。お金を手に入れるために、どれだけ後悔しても取り戻せない「穏やかで笑顔あふれる家庭」という安心できる港を、娘に与えることができなかったことを。
彼女を育てたいと願い、産んだのは私です。そして、私は彼女のことが本当に大好きでした。だからこそ、先回りして頑張るのではなく、立ち止まって彼女のペースを見守ってあげるべきだったのです。
話は次回に続きます。


次回予告
今回は親として愚かな振る舞いをしてしまった私ついて書きましたが、次回も親として至らない言動をしていた私についてもう少し詳しく触れたいと思います。よろしくお願いします。

第2章-6:[私の生い立ち・子どもが小学生の頃]
【娘が小学生だった頃】
最初にアレルギーが出たのは、娘が2歳の頃でした。
原因は蟹か生卵を食べさせたことだと思います。
今では当たり前のように知られているアレルギー食材の知識がなく、娘には申し訳ないことをしました。
アトピー性皮膚炎、喘息、鼻炎、耳の後ろが切れて出血したり、果物を食べると喉の奥が腫れて呼吸がうまくできなかったり、山の中に入って何かの植物に反応して白目が膨れ上がったり、季節によっては鼻血が止まらなかったりと、辛い思いをさせました。
実家の母も私も喘息やアレルギー体質だったため、そういった症状は仕方がないと感じていました。
娘はむくみがひどく、めまいや激しい頭痛にも悩まされていました。
それでも、その時は自分が一因だなどとは考えず、「切ないなぁ…頑張れ!」と、一生懸命看病していたのです。
夜中に咳が止まらない娘の背中をさすりながら過ごした日々。
良いと紹介された漢方や入浴剤、薬、整体、お医者さんを片っ端から試しました。
なんとか症状を軽減してあげたいと必死だった日々を、今でも思い出します。
幼稚園児から高校生まで、娘はさまざまな習い事や塾に通いました。
幼児教室、ピアノ、マリンバ、リトミック、通信教育、習字、スイミング、バレエ、新体操、ジャズダンス、公文、少人数指導と個別教室の二つの学習塾、そして私がしていた工作絵画教室とパソコン教室にも。
もちろん、これらはすべて娘が望んで入会したもので、押し付けたものは一つもありません。
ただ、子どもは「やってみる?」と聞かれれば、好奇心から「やりたい!」と言うものです。
エネルギーが切れないように体を休ませ、慈しむことこそ母親の役目であったのに、そのことに気付いていませんでした。
本当に頑張り屋の娘だったのに、なぜかダメなところばかりが目につき、わずかな一緒の時間を責めたり説教したりすることに費やしていました。
なぜかと言うと、基本的な生活習慣を丁寧に教えていなかったからです。
片付け、掃除、料理を穏やかに一緒に行い、それを生きる喜びや心地良さとして体験させることが重要でした。
その日あったことを話し合い、考えを深めていくことが、一番大切なことだと今では思います。
何度も失敗を経験し、できるまで挑戦する時間をあげるべきだったのに、できないことばかりを責めてしまいました。
謝っても謝りきれません。
1日24時間のうち、睡眠が8時間、学校が8時間。
残りの8時間は、自分を大切にし、周囲や世界に思いやりを持つ時間です。
生活の基盤を作るのが母の仕事だったのに、私はその役割を果たせず、娘を急かしてばかりでした。
勉強や仕事が充実していれば自己肯定感が高くなるはずだと、愚かにも信じていました。
私自身も母と喧嘩してピアノを辞めた後は、漫画ばかり読んで過ごしていたので、同じことを娘にしていたのです。
小学校に入れば生活習慣が自然に身につくと思っていましたが、実際には、日常の小さなことを幸福感として感じることこそ、将来の情緒の安定に役立つのです。
それを知らずに育ててしまったこと、悔やんでも悔やみきれません。

話は次回に続きます。



次回予告
今回は小学生の親として無知な振る舞いをしてしまった私ついて書きましたが、次回も親として至らない言動をしていた私についてもう少し続きを書きたいと思います。よろしくお願いします。


第2章-7:[私の生い立ち・子どもが小学生の頃の続き]
【娘が小学生だった頃の続き】
記憶の引き出しから、見ないようにしていたことが次々に蘇り、少し気持ちが沈んでしまいましたが、続きを書いていこうと思います。
アトリエでは、毎年山で写生大会がありました。娘は出かける前は元気なのですが、現地に到着してしばらくすると、急に不機嫌になってしまいました。
当初、私は「自分がずっと一緒にいられないから、娘はすねているんだ」と思い込み、それが気に入らなくて強く叱ってしまいました。
でも、ある年のことです。おやつに持っていった、パンパンに膨らんでいるポテトチップスの袋を見た瞬間、気がつきました。しばらくすると娘がぐったりしてしまうのは、気圧の影響だったのだと。
そんなことが何度もありました。峠を越えての買い物や山のふもとへのドライブ、またイベントや人混みに行くたびに、娘は頭が痛くなり、機嫌が悪くなることがありました。そのたびに、私はがっかりしてしまい、自分も不機嫌な態度で返していたのです。
「知らない」ということは、時に怖いものですね。母親学級に通っても、こういったことは教えてもらえませんでした。ただ、自分の気持ちを優先させてしまい、娘の気持ちに寄り添うことができなかったのです。娘のことが大好きで、心から心配していたつもりでしたが、結果はこの通りです。
毎年行われるアトリエの展覧会でも、しばらくすると娘が辛そうにしゃがみ込む姿に、優しい言葉をかけることができませんでした。「どうして、みんなが手伝ってくれているのに、あんな態度を取るの?」と、口には出さずとも、心の中で責めていたのだと思います。
今では、同じような子どもたちをたくさん目にする機会があります。そんな子どもたちには、「大丈夫?無理しないで休んでいてね」と声をかけてあげることができます。不機嫌だったり、しゃがみ込んで動かなくても、それが悪意ではなく、どうにもならない状況なのだと理解できるからです。疲れていたり、悲しいことがあったりして、心も体も動かない時がある。その感情を言葉にするのは、特に子どもにとって難しいことだと気づいたのです。そして、できるだけホッとできるような言葉をかけるようになりました。
今、それができるのは、娘との経験があったからこそです。私は親になるには、あまりにも無知でした。
回想はまだまだ続きます。


次回予告
今回は小学生の親として至らない私について書きましたが、次回は中高校生の親として子育てに依存しすぎて甘えていた私について書きたいと思います。よろしくお願いします。

第2章-8:[私の生い立ち・子どもが中高校生の頃]
さまざまな過ちを繰り返しながらも、小学校低学年の頃はまだ希望がありました。子どもが私を頼ってくれていたからです。
しかし、高学年になると、友達との世界が広がり、もう一緒に遊んでもらえなくなりました。娘に強く依存していた私…(当時はそれを依存だとは全く思っていませんでしたが)、彼女が健全に成長しているにもかかわらず、私はそれを悲しく、ネガティブに感じてしまっていました。
友達が家に遊びに来ても、同じ部屋に入れてもらえなかったこと。花火を一緒に観に行く相手が私ではなくなったこと。親には見せないメールが始まったこと。一緒に誕生日を祝えなくなったこと。どれもひとつひとつが、私にはとても寂しかったのです。自分の中身が空っぽで、自分に幸せを見出せなかった私は、感情をすべて娘に向けていたのだと思います。
中学に入り、娘が部活を始めると、もう土日も一緒に過ごせなくなりました。「自分の好きなことをやっているんだから、お弁当も自分で作りなさい」と、そんな非協力的な親でした。
娘が吹奏楽部のコンクールに出るため、部活の引退を遅らせたいと言った時も、「早く引退して受験勉強に集中しなさい」と説得しようとしました。でも、娘が自分のやりたいことを貫き通し、頑なに譲らなかったことに、今ではとても感謝しています。もしあの時、無理にやめさせていたら、私はどれほど後悔していたか分かりません。
高校に入ってからは、娘の幸せのためには、できるだけ親が関わらない方が良いと考えるようになりました。
しかし、そうなると私には拠り所がなくなり、今度はゲームに依存するようになったのです。仕事が終わった後、明け方まで大富豪やチェス、オセロなどのゲームを繰り返す日々。疲れて明け方に眠りにつくと、娘は登校していくという生活が続きました。
ネットゲームに飽きると、今度はスマホゲームにのめり込むように。こんな親を持っていると、子どもはぐれる暇がないですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。



次回予告
次回は18年間娘を育てた私がどんな「バッドプレゼント」を贈り続けたかについて火地風水のエレメント別にまとめたいと思います。

第2章-9:[私の生い立ち・私が娘に贈ったバッドプレゼント]

子どもが生まれてから巣立つまでの18年間。
いいえ、正確には、自分自身が作ったメソッドの内容をしっかりと理解し、娘を一人の尊重すべき人間として丁寧にコミュニケーションを取れるようになるまで。
つい最近まで、四半世紀以上の時間がかかりました。
もう娘も30歳を過ぎています。
フェアリーゴッドマザー愛’sメソッドにある47のバッドプレゼントは、私の未熟さから生まれたものです。
詳細は、それぞれの動画やブログをぜひご覧いただきたいですが、ここで改めて、私が娘に贈ってしまったバッドプレゼントを挙げておきます。
『感情による怒り・攻撃』のバッドプレゼント
*イメージ:動 / エレメント:火
理屈ではなく、子どもの言動に対してイライラし、感情をそのままぶつけてしまう。

  • (あ) 叱る:「もっと注意しなさい」「それは駄目でしょう」

  • (い) 怒る:「こら」「ふざけるな」「いい加減にして」「何度言えばわかるんだ?」「やめなさい!」「下手くそ」

  • (う) 怒鳴る:「馬鹿か!お前は」「おい!何をやっているんだ」「こっちにこい!」「ちゃんと謝れ、馬鹿野郎」

  • (え) 暴言・恫喝:「殺すぞ」「死ね」「捨ててくるよ」「生まれてこなければ良かった」「生きている価値がない」

  • (お) 無視:返事をしない、反応を示さない、話しかけられても無言で睨む、手や顔の動きで指図をする。

  • (か) 大きな音を出して怯えさせる:何かを叩いたり、鳴らしたり、強く閉めたり。

  • (き) 暴力:叩く、蹴る、つねる、髪の毛を掴む、強く押さえつけるなど。

  • (く) 虐待:謝っても許さず、気がすむまで身体的・精神的に攻撃し続ける。

  • (け) 馬鹿にする・人格否定:「だからお前は駄目だ」「本当に頑固で嫌な子だ」「嫌いだよ」

  • (こ) 自信喪失:「何をやっても続かないんだ」「結局モノにならないんだろう」

  • (さ) からかう:「ほらほら」「覚える頭がないんだろ?」「またやると思った」

  • (し) 責める:「またできなかったのか」「あんたのせいで不幸になった」「どれだけ迷惑をかければ気が済むんだ」

  • (す) 支配:「さっさとやれ」「今すぐ言うことを聞け」「私の言う通りにしていれば良いのよ」

  • (せ) 挑発:「その顔はなんだ。気に入らないならかかってこい」「意気地なしが」「死ぬ気でやってみろ」

  • (そ) 決めつけ:「どうせお前がやったんだろう」「そんな言い訳は通用しない」「お前が悪い」

『社会の枠にはめる強制と矯正』のバッドプレゼント
*イメージ:制 / エレメント:地
常識や社会のルールを押し付け、そぐわない行動を制御し、罰する。

  • (た) 罰:「言うことを聞かないと食事抜き」「遊びに連れて行かない」「約束を破ったから買ってあげない」

  • (ち) ペナルティ:「テストの点が悪かったらゲーム禁止」「守れなかったらお小遣いを減らす」

  • (つ) 繰り返し:「どうして何度言ってもわからないの?」「いつまで同じことを言わせるの?」

  • (て) 強制:「これはこうだから、こうしなきゃいけない。そうするものなんだ」

  • (と) 矯正:「その癖は直さないといけない」「間違っているから、これからこうしようね」

  • (な) 要求:「あなたは立派な人間にならなくちゃ」「世の中ではこういうことが必要だから」

  • (に) 頑張らせる:「世の中は甘くないのよ」「頑張らなきゃ駄目」「努力しなさい」

  • (ぬ) やる気のなさを責める:「いつになったら本気になるの?」「ゴロゴロしてばかりで本当にダメね」

  • (ね) だらしなさを咎める:「どうして普通にできないの?」「誰でもできることだよ」

  • (の) はみ出すことを許さない:「そんなことじゃ社会じゃ通用しない」「何をしても無駄だよ」

『知識や情報による追い詰め』のバッドプレゼント
*イメージ:迷 / エレメント:風
大人の理想や情報を押し付け、子どもの自分軸を乱してしまう。

  • (は) 比較:「あの子はこんなにできるのに、あなたはどうして」「同じ年の子はみんな知っているのに」

  • (ひ) 知識獲得の強制:「そんなこともできないの?できるようになるまでやるよ」

  • (ふ) 差別:「〇〇だからそれは無理だ」「まだ無理」「お前にはできない」

  • (へ) 嫌味:「そんなことも知らないの?」「それがわからないの?」「だから駄目なんだよ」

  • (ほ) 不安:「今やらないと全て失敗する」「失敗は許されない」「できるわけがないでしょ?」

  • (ま) 焦り:「今頑張らなかったらいつ頑張るの?今しかないんだよ」

  • (み) 否定:「兄弟に比べてあなたはわがままだ」「何も知らないのに」「そんな能力ないでしょ」

  • (む) 落胆:「そんな子じゃないと思っていたのにがっかりした」「あーあ、やっちゃったね」

  • (め) 性格攻撃:「お前みたいな子は私の子じゃない」「どうしてそんな性格なの?」

  • (も) 誘導:「この選択が一番良いに決まっている」「言う通りにしていれば、恥をかかないよ」

『恩と情による交渉』のバッドプレゼント
*イメージ:恩 / エレメント:水
子どもの良心を利用して、親の都合に合わせてしまう。

  • (や) 過保護:「一人じゃ何もできないのね」「お母さんがやってあげる」

  • (ゆ) 過干渉:「どうしてそうなの?なぜそんなことをするの?」「全部きちんと報告してね」

  • (よ) 物で釣る:「言う通りにできたらご褒美にゲームを買ってあげる」「百点取れたらお小遣いをあげる」

  • (ら) 価値観をすり替える:「あなたの言う通りにしてうまくいったら、苦労しないのよ」

  • (り) 押し付け:「絶対にこっちの方が良い」「おまえのためにこれが一番」

  • (る) 恩着せ:「あなたのためにどれだけ苦労していると思うの?」「具合が悪いのにあなたのために」

  • (れ) 操縦:「私の言う通りにしていれば間違いない」「あなたのことを一番理解しているのは私」

  • (ろ) 説得:「これだけ理由を挙げたから納得して」

  • (わ) おだて:「親の言うことを素直に聞けて偉いね」「さすが私の子どもだ」

  • (を) 経済的泣き落とし:「これ以上わがまま言ったら、家計が大変だよ」

  • (ん) 将来を決める「こんなによくしてあげたんだから、年を取ったら面倒を見てね」「近くに住んでね」

私は、こうしたバッドプレゼントをシャワーのように浴びせて、娘を傷つけながら、それでも一生懸命に子育てをしてますという顔をしていた無知な親でした。間違いだらけの子育てを。振り返ると、そんな親であった自分に驚き、がっかりし落ち込みますが、それでも当時は必死でやっていたんだなと思います。



次回予告
次回は、そんな私が陥った依存症についてご説明します。

第2章-10:[私の生い立ち・私が陥った依存症]

【15色の依存症】
子どもにバッドプレゼントを贈って、適切でない対応をしてしまう一方で、私は「自分には幸せになるための才能がない」と思い込んでいました。その結果、何も挑戦せず、15色の才能に関連するさまざまな依存的な行動に陥ってしまったのです。
【赤色の依存症】
私は体を鍛えたり、情熱を注ぐ代わりに、感情的に爆発してしまうことがありました。中学生の頃は、自分をうまくコントロールできず、ストレスが溜まると過剰に反応してしまうことがありました。大人になってからは、イライラするたびに食べ物に逃げたり、強い感情に押されるような行動に依存していました。感情のコントロールが鍵となることに気づいたのは、随分後のことです。
【オレンジ色の依存症】
自分の思いを適切に表現する努力をせずに、他人に対して厳しい評価を下したり、家庭内で愚痴や不満をこぼすことが多くなっていました。特に、子どもを厳しく評価することが親の役割だと思い込んでいましたが、愚痴や悪口で人に賞賛されるようにはなりません。
【黄色の依存症】
私は創造力を高めることなく、非日常的なエンターテイメントに依存していました。遊園地やコンサート、映画や動画など、現実から一時的に離れることで満足し、アーティストとしての自分の才能を育てる機会を逃していたのです。
【黄緑色の依存症】
私は笑いや楽しさを自分で作り出すことなく、SNSやゲームに多くの時間を費やしていました。ネット上に逃げ込んだものの、リアルな生活での満足感や充実感は得られませんでした。行動を伴わない理想や夢だけでは、現実には何も変わらないと感じるようになりました。言うことばかり大きくなってホラ吹きになっていたのです。
【緑色の依存症】
自分の周囲に友愛や平和を作る努力を怠り、人生の問題を他人や社会のせいにして依存してしまうことがありました。人間関係や植物の世話など、本来は手間と時間をかけて育てるものを軽視していたことに気づきました。
【水色の依存症】
新しい挑戦を恐れ、未知の世界に飛び込むことを避けて、安全な選択に頼って生きることに依存していました。リスクを避け続ける限り、大きな成長や成果を得ることができないことを学びました。
【青色の依存症】
自分の考えを深めることなく、他人に対して不満を抱くことに依存していました。他者の意見や立場を理解する余裕がなく、相手を責めることが多かったのです。
【紫色の依存症】
独自のアイデアや芸術的な感覚を育てる代わりに、占いや神頼みに依存していた時期がありました。自分の力で成し遂げることよりも、外的な要因に結果を求めていたのです。
【ピンク色の依存症】
愛を与えることよりも、愛されることばかりに依存してしまいました。周囲の人々との関係において期待通りにいかないときに、気持ちが不安定になることがありました。継続的に自分の心身を大切にする努力も怠っていました。
【薄橙色の依存症】
外では愛想よく振る舞う一方で、家族に対しては厳しくなってしまうことに依存していました。家の中では些細なことにイライラし、つい周囲に対して辛く当たってしまうこともありましたが、それでは家庭に心地よい空間が生まれることはないと気づきました。
【黄土色の依存症】
お金の管理や貯蓄に真剣に取り組まず、衝動的に物を買い過ぎてしまうことに依存していました。購入した物が多すぎて消費しきれず、家の中は物で溢れてしまいました。
【茶色の依存症】
私は怠けることに依存してしまい、自由な時間を有効に使うことができませんでした。日常のルーティンを怠けることで、心身ともに停滞してしまうことが多かったのです。
【黒色の依存症】
私は子どもに対して過剰に感情的になって不適切な行為をすることに依存していました。後になって、それは自分自身の心の傷に由来していることに気づきました。
【灰色の依存症】
私は社会とのつながりを避け、孤立することに依存していました。自分が傷つくことを避け、家族や地域との交流を怠ることで、成長や学びの機会を逃していたことを実感しました。
【白色の依存症】
私は自分の居場所やテリトリーに固執し、他者との共有や協力を避けることに依存していました。その結果、自分自身の生活や、周囲との関係が窮屈になっていきました。



このような依存行動を繰り返しても、どこにも幸せを見つけることはできませんでした。私はどんどん疲れ果て、エネルギーを無くしていったのです。


次回予告
次回は、そんな私に娘がくれた手紙をご紹介したいと思います。


第2章-11:[私の生い立ち・娘からの手紙]


  1. 「娘からの手紙」

今回は、娘が贈ってくれた手紙についてお話します。
【立ち直るきっかけ】
私はこれまで、世の中のネガティブな面を数多く経験し、人生に希望や夢を抱くことをすっかり諦めていました。「あとは親の介護をして人生を終えるだけ」と考え、自分を大切にすることさえ忘れていました。

健康や美容に気を配ることもなくなり、様々な依存に溺れていました。高血圧やストレスで、度々激しい頭痛に苦しみ、嘔吐することもありましたが、それでも何もせず放置していました。内心では「このまま消えてしまえれば…」と期待していたのかもしれません。

そんな私に光を与えてくれたのは、娘、アトリエの生徒さんたち、そしてその保護者の皆さんからの愛でした。
娘を育てる際、最初の12年間は、自分が育てられたように支配的な育て方をしてしまいました。しかし、その後の6年間は、アトリエの賢母たちの真似をして、人として信頼されるように努力してきました。

特に印象に残っているのが、中学1年の春休みのことです。塾に通っていたにも関わらず、成績が思うように上がらない娘に対して、以前なら「どうしてできないの?」「こんな簡単なこともわからないの?」と責めてしまうところでしたが、この時は違いました。「お願いがあるんだけど、怒らないから勉強を見させてもらえないかな?もし怒ったり、バカにしたりしたら、すぐにやめてもらっていいから。」と優しくお願いして、英語の勉強を一緒に始めたのです。

私は最初、1年生の教科書を復習すればすぐに追いつくだろうと簡単に考えていましたが、娘には右と左の区別がとっさにつかないなど、独特の個性があり、勉強に苦労していることに気づきました。dollと書いているうちに、いつの間にかballになってしまうこともあり、教え方に工夫が必要でした。

どんなに彼女が間違えても、「ごめんね、教え方がいけなかったね。どうやったら覚えやすいかな?」と寄り添いながら、ゲームを取り入れたり、タブレットを使って試行錯誤しました。

娘はそんな中でも泣きながら「みんなが10回で覚えるなら、私は100回書けば覚えられるのかな?」と努力を続けました。春休みの間、一日10時間ほど一緒に勉強し、約1週間で1年生の教科書を終えることができました。

新学期が始まり、2年生になると、しばらくの間、英語の予習ノートは私が書いてあげていましたが、やがて娘自身がコツを掴み、成績も上向いていきました。
その後、彼女は高校時代に英検2級を取得し、2019年にはワーキングホリデービザを取得して、約1年間ニュージーランドに滞在しました。

中学、高校時代は思春期もあり、私自身がいろいろな依存に陥っていたこともあって、私たち親子の距離は微妙でしたが、それでも娘が高校を卒業し、東京へ向かう列車に乗り込む朝、私に送ってくれた感謝のメールが、すべてを変えました。

素っ気なかった彼女が初めて送ってくれた長い感謝のメールを読み、私は涙が止まりませんでした。今さら後悔しても過ぎ去った日々は戻らないという現実に愕然としながらも、これからの親子関係を取り戻したいと決意しました。

私の至らなさで、娘の笑顔はいつしか消えてしまい、彼女がどれだけ傷ついていたかをようやく理解しました。
そのメールは、自分のしてきた事の後悔で、恐ろしくて一度しか読めず、保存することもできませんでしたが、彼女からの感謝の言葉は心に深く残っています。あんなに優しい心ある子に、
どうしてこんなひどい母親でいられたんだろうと。

時は流れ、娘が5年間の大学生活を終えた23歳の時に、
丁度アトリエの20周年記念があり、
再びこんな手紙をもらいました。


[お母さんへ]
私が生まれてすぐ、アトリエをひらいたお母さん。
多忙な中、私を育てる過程で大変なこと、思い通りにならないことがきっと沢山あったんじゃないかと思います。育児、家事、お仕事、社会とのこと・・・。

それでも嫌な顔一つせず愛情をもって育ててくれたこと、心から感謝しているよ。

もし私がいつか子どもを産んで育てることになったら、お母さんがしたように私も自分の子どもに接したい、そう思っている。

だからこの手紙は、私からお母さんへの感謝のメッセージであると同時に、現在の私から未来の私へのメッセージにしたいと思います。
まだ記憶が鮮明なうちに、思い出せるうちに書き残しておきたい。お母さんが私にどう接し、なんと言葉をかけ続けて育ててきてくれたのか。

その言葉や考え方を、いつか私が壁にぶつかった時のためのお守りにするために。そして私の子供をはじめとして、子育てや教育に悩む人に伝えるために。

それでは始めます。
*外出中*                                    
・人前では自分の子どもを絶対に怒鳴らない
・人前では自分の子どものダメなところを指摘しない
・知り合いに偶然会った時は、自分の子どもの良いところを褒める
・文化資本を与える重要性を知り丁寧に育てる
・図書館の楽しみを教える・本屋さんでは意志を尊重
・自然と戯れる時間を作ってあげる
・公園、湖、近くの森林などに出かけ、子どもと一緒に体を動かす

*普段の生活*                                  
・外出中、礼儀や挨拶がなってなければ家に帰ってきちんと叱る
・育児に関して「面倒くさい」「うるさい」など愚痴を言わない
・「今日は何か楽しいことあった?」と聞いて、子どもに話をさせる
・悲しい辛い、と子どもが言ったら必ず共感してあげる
・子どもの考えを否定しない
・良いところは見つけて必ず褒める
・成長の記録を細かく残してあげる ex.アルバム、写真、日記、作品

*教養(勉強・習い事等)について*                                 
・子どもがやりたいといった習い事はなんでもやらせてあげる
・子どもが「悔しい」「できるようになりたい」と言ったら、とことんできるまで一緒に付き合う
・教養に関係する出費は惜しまない
・費用や出費がかさんでも「お金かかるんだよ」などと言って子どもをなじらない
・失敗したり成果がでなくても叱ったり怒ったりしない
・常に長期的な視点をもって、短期的に何かを結実させようとしない
・目上の人や先生に対しての礼儀を厳しくしつける
・何ごとに対しても謙虚な心を育てる
・自分(親)以外の大人に沢山触れさせ、価値観を共有させる

*学校について*                                  
・学校に行くか行かないかは子どもに任せる(※義務教育とは子どもの義務ではない)
・子どもが友達を家に呼んだ時には、お友達によくしてあげる
・担任の先生や学校の先生の立場に立ってものを考えるようにさとす
・「自分からしない勉強は意味がないんだよ」と常々言う
・↑のように勉強の自発性を大切にする分、勉強の面白さも教えてあげる(親が好きでないことは、子どもも好きにならない)
・学校行事の際はできる範囲で精一杯助けてあげる
• 子ども同士を比較しない

*総合的に*                                  
・子どもの感じること、発する言葉を、自分のことのように一緒に考え感じること
・物事を多角的に考えることのできるよう、単一の価値観を植え付けない
・自分(親)自身が、日々子どもと一緒に成長しよう、という向上心を持つ
・社会、地域との関わりを大切にする
・子どもに好きな人ができたら応援する
以上

大切なところは網羅できたかな?
沢山ありすぎて全てを書き尽くすことはできないな、と思ったよ。
もし上記の他にも大切にしていたことがあれば教えてね。

そしてもし私に子どもが生まれて、子育てに悩んでいたらアドバイスちょうだいね! 
例え私が子供を産まなかったとしても、社会の一員として、世の中にいる子供たちにお母さんがしてくれたように関わっていきたいと思っています。

ずっとずっと大切に思っています。

大好きなお母さんへ。

読んで涙が止まりませんでした。私が必死に親子関係を取り戻そうとした日々は、無駄ではなかったんだと感じました。
娘からも、「お母さん、本を書いてね。何か形にして残しておかないと、おばあちゃんがどんな人で、どんな人生を生きたか、自分の子どもや孫に話せないから。」とリクエストをもらいました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



次回予告
今回で私の生い立ちを終え、次章からは、自分の人生や娘を育てた経験、絵画教室での生徒さんや保護者の皆様との交流を通して、才能を花開かせるグッドプレゼントに気づいた経験をご紹介します。

*ここまでで36678文字です↑


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自己紹介文
私の名前は「お玉ちゃんお宝才能アドバイザー」です。1964年6月18日生まれ、長野県出身です。女子美術大学造形学部を卒業し、中学・高校の教員免許および学芸員の資格を取得しました。その後、エステティシャンや化粧品店の店員、中学の美術の講師などの職業を経験し、1995年6月から29年間、造形絵画教室を主宰し、多くの親子とともにアートの世界を楽しんできました。
私自身、小さい頃から多動性があり、不登校を経験しましたが、アトリエでの活動を通して自己肯定感を高める方法を学び、「火地風水4元素15色の才能」というオリジナルメソッドを生み出しました。現在は、その経験を活かして、子育てや人間関係に悩む方々のサポートを行っています。
私の目標は、自分自身が小鳥遊樹というマルチアーティストとして人生をワクワク楽しむこと。アートを通じて自己表現の楽しさを伝え、人々が自分らしく輝く手助けをすることです。また、このメソッドを通じてお互いの特異な才能を理解し合い、争いや怒りのない世の中を築くことを目指しています。これからもこのメソッドを広め、多くの方々に笑顔と自信を届けたいと思っています。

随時更新の目次↓

「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽🌱です」

[1章・はじめに結論を申し上げます]
【1−1 この本の結論を先に申し上げます】(図1・2)

【1−2 グッドプレゼントとバッドプレゼントの詳細】(図3・4・5)

【1−3 火地風水4元素15色の才能について】(図6)

【1−4 火地風水4元素15色の才能について(続き)】(図7)

【1−5 火地風水4元素15色の才能の芽にあげる2つのプレゼント】(図8)

【1−6 火地風水4元素15色の才能にあげる2つのプレゼントの簡易版】(図9)


2章・はじめまして お宝才能アドバイザーお玉ちゃんです
[2−1:はじめまして]

【2−2 私の生い立ち・幼少期】

[2−3:私の生い立ち青年期]

【2−4 私の生い立ち・社会人として】

https://note.com/takanashi_itsuki/n/n210b6fcd8ae1


【2−5 私の生い立ち・親として】


2−6 私の生い立ち・子どもが小学生の頃

https://note.com/takanashi_itsuki/n/nfd647406081d

2−7 私の生い立ち・子どもが小学生の頃の続き

2−8 私の生い立ち・子どもが中高校生の頃

2−9 私の生い立ち・私が娘に贈ったバッドプレゼント

2−10 私の生い立ち・私が陥った依存症


第2章-11:[私の生い立ち・娘からの手紙]





企画書↓
子育て本企画書
1. タイトル
「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽です」
2. サブタイトル(キャッチフレーズ)
「グッドプレゼントを贈ることで、短所を才能に変える具体的なステップを公開!」
3. 著者紹介
お玉ちゃんお宝才能アドバイザー
「フェアリーゴッドマザー愛’sメソッド、火地風水4元素15色の才能」の開発者であり、29年間で350人の生徒を指導した造形絵画教室を主宰。
自身の多動性や不登校の経験を乗り越え、アートを通して自己肯定感を高め、「火地風水4元素15色の才能」というオリジナルメソッドを生み出しました。現在はこのメソッドを使い、子育てや人間関係に悩む方々をサポートしています。
自己紹介文
私は「お玉ちゃんお宝才能アドバイザー」「マルチアーティスト:小鳥遊樹」として活動しています。1964年6月18日生まれ、長野県出身。女子美術大学造形学部を卒業し、中学・高校の教員免許および学芸員の資格を取得。エステティシャンや中学の美術講師として働きながら、1995年より造形絵画教室を運営し、多くの親子とアートの楽しさを共有してきました。
私自身が経験した困難と、アートを通じて得た気づきが、今の活動の基盤です。「火地風水4元素15色の才能メソッド」を使って、子どもの短所を才能に変えるサポートを行い、親御さんとお子さんが新しい可能性を見つけるお手伝いをしています。





4. 概要(コンセプト)
この本は、「火地風水4元素15色の才能メソッド」を使い、子どもの短所を才能の芽として捉える実践的ガイドです。子どもの短所を才能へと開花させるための「グッドプレゼント」と「バッドプレゼント」の概念を紹介し、親としての関わり方や子どもとのコミュニケーションを改善します。具体的なエピソードや実践的なアドバイスを通して、親が子育てをより楽しく豊かにする方法を提案します。



5. ターゲット読者
「3歳〜12歳の子どもを持つ親、子育てに悩んでいる保護者、教育関係者、心理カウンセラー」 特に、子どもの「短所」に対する理解や対応に悩んでいる方々を対象とします。また、教育関係者や心理カウンセラーにとっても、子ども一人ひとりの才能を引き出す視点を提供します。



6. マーケットの背景と競合
子育てに関する情報は非常に豊富であり、特に「叱らない育児」や「才能開発」に関する書籍は人気ですが、火地風水4元素15色の才能メソッドは市場にほとんど存在していません。短所に焦点を当て、それを才能として育てる独自のアプローチは、他の一般的な子育て本とは異なり、個々の子どもの特性を尊重する方法を提供します。



7. 本書の差別化ポイント
「火地風水4元素15色の才能」という独自の才能分類を使い、子育てに新たな視点を提供します。短所として現れる才能の芽に「グッドプレゼント」を与えるか「バッドプレゼント」を与えるかによって、その芽が才能として開花するか、依存行動として枯れるかが決まる、というユニークな視点が強みです。



8. 構成案(目次)

  • はじめに結論を申し上げます
    子育ての悩みは尽きない。
    そこで、火地風水4元素15色の才能メソッドが役立つ理由を紹介。

  • はじめましてお玉ちゃんお宝才能アドバイザーです
    メソッドの発見に至った筆者の生い立ちと自己紹介。

  • こんなにある!子育ての悩みの種類
    親が抱える一般的な悩みと、その根本的な原因を探る。

  • 火地風水4元素15色の短所で現れる才能の芽とは
    短所の背後にある才能の芽を見つける方法を解説。

  • 才能の芽に与えるグッドプレゼントとバッドプレゼント
    グッドプレゼントとバッドプレゼントの概念の説明。
    親がどう対応すべきか具体的に説明。

  • 才能の芽が才能に変わることに気がついた具体的な経験
    実際のエピソードを交え、筆者がどう子どもの才能に気づいたかを示す。

  • 「今まで叱ってごめんね」とうちの子に謝りたい
    なぜ私たちは短所を直そうとばかりしていたんだ?
    読者が共感できる実体験や反省を共有し、子どもたちに現れる短所の重要性を伝える。

  • フェアリーゴッドマザー愛’sメソッド 火地風水4元素15色の才能の詳細
    各色の才能の特徴と根拠を紹介。

  • 突出した短所ほど突出した才能に育つ可能性
    偉人や有名人の幼少期の短所のご紹介。実際に目にしたり経験した、自分自身や生徒さん達の短所が才能に変わる瞬間

  • 実践編:日常の中でのメソッドの活用
    親が日常の中で使える具体的なテクニックやアプローチを紹介。

  • メソッドを実践してくれたモニターさんたちの声
    実際にメソッドを試した親御さんたちの感想や成功体験を掲載。

  • あなたも誰かのフェアリーゴッドマザー愛になれる
    読者が自らこのメソッドを広め、他の親子をサポートする方法を示す。

  • おわりに
    本書を通じて親子の絆が深まることを期待して。



9. 想定ページ数とスケジュール
「200〜250ページ、執筆期間:6か月、出版までのスケジュールは12か月」



10. 宣伝・販売戦略
ソーシャルメディア(Instagram、YouTube、ブログ)を活用したプロモーションを展開。特に、親子向けのショート動画や実践的なアドバイスを定期的に投稿し、親向けのオンラインコミュニティや子育てイベントでの講演・ワークショップも行う予定です。



11. 予想される読者からの反応
「今までにない新しい子育て法を試してみたい」「子どもの短所を才能に変える具体的な方法が知りたい」「もっと早く知っていればよかった!」などの前向きな反応が予想されます。




企画書は以上です。
動画のチャンネル登録、ブログやSNSのフォローといいねをどうぞよろしくお願いします。

キャラクターデザインはOkiso(Air)
文と表はOtamachanでお送りしました。

最後の言葉 自分の人生は自分のもの。人にも社会にも支配されず、人のせいにも社会のせいにもしない、自分との一本勝負です。過去を悔やまず、未来を恐れず。この先が明日までかもしれないし、60年以上続くかもしれない。そんな人生のために今日1日に集中して楽しく生きます。
いまわの際まで希望を持ち続けます。この世界はすべて自分の魂の成長のためにあるのだから。
私は幸せです。私は嬉しいです。私は最高に運がいいです。私は抱えきれないほどの豊かさを引き寄せています。常に穏やかにマイペースで人生を楽しんでいます。ありがとうございます。感謝します。お陰様です。
今日も最高の1日をありがとうございました!
神様と皆様に感謝します! 愛💖アプリシエイト!


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