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「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽です」【2−2 私の生い立ち・幼少期】(校正・改善提案:Chat GPT)

「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽です」

2−2 私の生い立ち・幼少期

人は誰でも15色の才能を持っている。
その15色を組み合わせて無限の才能を作ることができるのです。


ここまでの内容を整理すると、次の7点にまとめられます:

  1. 子育ての悩みの原因
    親が想定していない子どもの言動が原因。

  2. 子どもに「できの良い」「できの悪い」はない
    すべての子どもが4元素15色の才能の芽を持っている。才能の芽は、与えられた「グッドプレゼント」で花開くか、「バッドプレゼント」で萎れるかの違いだけ。

  3. 才能を古代哲学で解釈
    古代ギリシャの火地風水と古代中国の陰陽に対応させた図解説明。

  4. 占星術とチャクラとの関係
    才能を古代バビロニアの西洋占星術や古代インドのチャクラに対応させた図解説明。

  5. 自己肯定感と自己否定感の影響
    才能の芽にグッドプレゼントを贈ると → 自己肯定感 → 自己受容 → 社会貢献。
    才能の芽にバッドプレゼントを贈ると → 自己否定感 → 自己喪失 → 社会依存。

  6. グッドプレゼントとバッドプレゼントの影響
    5の内容をより簡単に原因と結果だけ抜き出して説明。

  7. はじめましてお宝才能アドバイザーのお玉ちゃんです
    筆者の才能の芽である短所をご紹介



前回は筆者である私の目を覆いたくなるような短所についてお伝えしました。
今回の第2章−2では、私の生い立ち・幼少期として、「自分では訳が分からずに、そうなってしまう、特異な行動をする」子ども時代の私の言動と、一生懸命に躾をしようとした小中学校の教師だった両親について触れたいと思います。

2−2:私の生い立ち幼少期

私の生い立ち 「不登校だった子ども時代」
小さい頃から生意気でだらしなく、自己中心的だった私は、よく両親や教師から叱責や注意を受けました。しかし、自分がなぜ怒られているのか全く理解できず、その度に自尊心が傷つき、反抗して泣いたり怒ったりして、どんどん気が強くなっていったのです。今思えば、それは自己防衛だったのでしょう。
そのうちに腹痛や頭痛、喘息の症状が現れ、学校を度々休むようになりました。不登校という言葉がまだなかった時代のことです。私の性格が強烈すぎて、学校に居場所がなかったのでしょう。自分では悪いことをしているとは思っていないのに怒られる日々。父親に戸締まりを確認され、「したよ」と答えても、「本当にやったのか?」と何度も問い詰められるうちに、自分の言動に自信を持てなくなり、鍵をかけたはずなのに何度も確認せずにはいられないような不安症を今も抱えています。



両親からもらったグッドプレゼント
それでも、両親が私を嫌っていたわけではありません。教育熱心で、私に様々な経験を与えてくれました。私の記憶は、大きな川の大きな橋で、兄や父と一緒にかけっこをしたり、河原で石積みや石投げをしたりして遊んでいたところから始まっています。父は、私に体力や運動神経をつけさせようとしたのでしょう。仕事から帰ると、外でよく遊んでくれました。
火の扱い方や庭に池を作る方法、植物の世話の仕方を教えてくれました。夜にはホタル狩りに連れて行ってくれ、昆虫のことも教えてくれました。家では、ニワトリの卵からヒナを孵したり、たくさんのカブトムシの幼虫を持ち帰ってきたりしてくれました。(ちなみに父は理科の先生です。)墓の草刈りやご先祖様の話、どぶさらいなど、生活に根ざした多くのことを教えてくれました。
休日には家族でお花見やドライブに連れて行ってくれ、季節や天気、地理についても教えてくれました。また、五目並べ、カルタ、花札、百人一首、さらには小学生の時に麻雀まで教えてくれました。この経験が、私が後にボードゲームや暗記の教室を開く基盤となったのです。
父は美味しいものが大好きで、土曜の夜にはケーキを持ち帰り、病気の時にはバナナやアイスクリームを買ってきてくれました。日曜日の朝にはクリームパン、特別な日には焼肉と、たくさんの美味しい食べ物を与えてくれました。また、お魚の骨を綺麗に取ってご飯の上に乗せてくれるなど、細やかな気遣いもしてくれました。そして、いつも「お前の笑顔がいい」と褒めてくれました。
母は音楽の先生を経験した後、自宅でピアノ教室を始めました。私が散らかしたり汚したりするのを一生懸命に片付けてくれ、好き嫌いの多い私のために家族それぞれの好みに合わせたメニューを作ってくれました。巨大なオムライスのお弁当を作ってくれたこともありました。
母のそばでかつお節を削ったり、ゴマをすり鉢でする姿を見て学ぶ時間は、私にとって興味深いものでした。料理の得意な母は、誕生日には「お前はいい季節に生まれたね。たくさんのフルーツが使えるよ」と言ってフルーツポンチを作ってくれ、クレープやポタージュスープなど当時珍しい料理も振る舞ってくれました。父や兄がいない夜には、「二人で内緒のお茶会をしようね」と言ってタマゴサンドや紅茶の入れ方を教えてくれ、季節ごとの行事に合わせて特別な料理を用意してくれました。母が作るイベントの影響で、私もイベントを企画することが好きになりました。
多彩な母は日本画や水墨画が得意で、地元の美術会にも出入りし、私を美術館に連れて行ってくれました。美術の世界に触れることで、美大を目指すきっかけとなったのも母のおかげです。
母が読み聞かせてくれた物語が、私に本の楽しさを教えてくれました。その結果、私はたくさんの偉人の伝記や推理小説、冒険ものなどを自力で読むことができました。
母が私に与えてくれた愛情や学びのおかげで、私は今も多くの趣味や仕事を楽しんでいます。母の教えが、私の今の工作教室やボードゲーム教室の基盤となっているのです。
特に得意な洋裁では、当時子ども服では見かけなかったような素敵なドレスやスカートを作ってくれました。母がミシンを踏んでいる横で、余った布で工作をしている時間は、とても幸せなひとときでした。
卵の殻で作った人形や、あやとり、ビーズ細工、刺繍、編み物、籐籠編み、リボンフラワー、トウモロコシ人形、粘土細工、茶道、華道など、母の多彩な趣味を一緒に経験したことは、今の私の工作教室の土台となっています。
ピアノの先生だった母は、歌も上手で、童謡や昭和歌謡をよく歌ってくれました。読書も好きで知識が豊富で、表現力にも優れていました。寝る前にはよく本を読み聞かせてくれ、それは私が大きくなるまで続きました。彼女が読んでくれた羅生門や小僧の神様、昔話やトルストイの子どものための本、スペインの昔話など、どれも楽しくて仕方がありませんでした。
本の楽しさを教えてくれたおかげで、私は多くの偉人伝記やオルコットの小説、ルパンやシャーロック・ホームズの推理小説、オズの魔法使いやライオンと魔女のファンタジー、十五少年漂流記の冒険ものなどを自力で読むようになりました。クラスにいることが辛かった私は、図書館で過ごす時間が幸せでしたし、放送委員会でアナウンスが得意だったのも、母のおかげです。
学校の校庭が冬になるとスケートリンクに変わり、夜間滑りに行った後、寒さで凍えた体を温めるために、母はいつも温かい料理を用意してくれていました。冷え性だった私のために、毎朝手間のかかるオイル充填式のカイロを準備し、持たせてくれたのも母でした。
また、母は畑仕事も得意で、一輪車を押して畑に行き、よく新鮮な枝豆やトウモロコシを食べさせてくれました。学ぶことが本当に多く、花を育てることも上手で、学校に行く前には庭で切った花を新聞紙に包んで持たせてくれるのが日課でした。私の天然パーマの髪をしっかり三つ編みにしてくれるのも、母の役割でした。
こうして母がしてくれたことを書き出してみると、私は本当に素晴らしいグッドプレゼントをたくさんもらっていたのだと改めて感じます。しかし、当時の私は個性が強すぎて、素直な反応ができず、癇癪を起こしがちでした。何か言われるとすぐに泣いて怒ってしまい、両親はきっと戸惑っていたことでしょう。

​​小さな頃から私の個性はとても強烈でした。
戸の開け閉めや本のページをめくる際に、ついつい乱暴になってしまい、よく叱られたものです。今でも、思わず大きな音を立ててしまったあとで、自分で首をかしげます。「どうしてこんなに雑なんだろう…」と。
運動も苦手で、目を覆いたくなるほどの運動音痴でした。天然パーマでぽっちゃりした体型だった私は、鉄棒やマット運動、徒競走など、何をしてもうまくいかず、常に劣等感を抱えていました。
そんな私が夢中だったのは、テレビや漫画。感情移入しすぎて、親の言うことはまったく耳に入らず、作り話をするのが得意で、よく嘘をついては怒られました。さらに、自分の話ばかりを延々とするマシンガントークで、臆病で怖がりのくせに、どんな話題にも首を突っ込んでは自分の意見を強く主張する、厄介な子どもだったと思います。
天邪鬼だったので、嬉しくても素直に喜ばないし、可愛げもなかったのでしょう。
お年玉をもらうと、すぐに金額が気になって袋をのぞき込み、注意されたり、近所にできたケーキ屋の景品を「お母さんの分もください」ともらって帰り、叱られて返しに行ったこともありました。
いつもコタツに潜り込み、夜更かししては朝寝坊。掃除や片付け、着替えも嫌いで、頻繁に注意されていました。ある日、カラスの死体をぶら下げて帰ったり、変なもの同士を混ぜては喜んだりするような、変わった子どもでした。外に出るのが嫌で引きこもり気味でもありました。
両親はそんな私をどうにかしようと必死でした。さまざまなことに注意され、叱られ、ダメ出しをされる日々。母は特に美術教育に熱心で、秋になると菊の香りが漂う庭にゴザを敷いて、絵の具を用意してくれました。花瓶に入れた百合やライラックを部屋に置いて、私に描かせようとしてくれたのです。
美大を卒業するまで、キャンバス代や絵の具代など、かさむ費用に文句を言われたことは一度もありませんでした。しかし、大学の寮に入ってから、ふと気づきました。「どうしてこの筆はこんなに汚れているんだろう?」と。部屋や道具がいつも綺麗だったのは、母がいつの間にか片付けてくれていたからです。
母は、私が美大生の頃も、社会人になってからも、「とにかく描いて送りなさい。展覧会に応募しておいてあげるから」と、私の作品を出品し続けてくれました。
母自身、3歳のときに親を亡くした経験から、私への愛情は特別に強かったのだと思います。性格にも問題があり、学校の成績も芳しくない上に、不登校になってしまった私。漫画ばかり読んで、深夜ラジオに夢中になり、朝起きられなくなってしまった娘に、母は困惑したことでしょう。
園児の時に絵画コンクールで賞をもらい、小学校の低学年でも褒められていました。しかし、高学年や中学・高校時代には漫画ばかり描くようになりました。祖父が芸術家であり、母もその才能を持っていたため、私の才能を絵で伸ばそうと母は考えてしまったのです。母の愛情ゆえ、安定して食べていける道を一生懸命提案してくれましたが、目に見えないものや形になっていないもの、未知の世界に育つ芽の存在には考えが及ばなかったのかもしれません。そのことについては私も娘に対して同じことをしてしまいました。未来の職業や社会の仕組みなど誰にも分からないというのに、安定を求めてレールを敷くことを。
話は逸れましたが、私は専業主婦であった母と、当時子どもや生徒に対して絶対的な権力を持っていた教員の父という、強い支配下で育ちました。両親は、いつでもどこでもなんとなくはみ出してしまう私の性格を、社会的に正しい、きちんとした立派な人間にしようと操縦しようとしたのです。恋愛は禁止され、大学を卒業したら家に戻り、母が決めた相手とお見合い結婚をして家の近くに住み、母の老後を見てほしいと言われ育てられました。そうした考え方が人間の人生だと、私は半世紀も信じて生きてきました。
高学年になると私は不登校になり、親が期待する進学校にも入れませんでした。その頃、兄も重い病気にかかり、経済的な困難が重なって、家族の人生はうまくいかなくなりました。母は次第に愚痴や悪口が多くなり、思い込みが激しくなり、ネガティブな発言も増えました。叱る時には激しい怒り方をする人でしたが、今になってわかることがあります。それは、母もそうやって育ってきたんだということです。
父にも子どもに対する夢があったようで、不登校の私を進学校の前に連れて行ったり、「女東大」と言われる大学を受けろと、現実とはかけ離れたことを言っていました。親には親の夢や希望があり、戦後間もない時代に育った両親は、自分たちが諦めてきた夢を子どもに託していたのでしょう。そして、それが叶わなかったことに、残念な思いをしていたのだと思います。
どんな親も、子どもを最初から否定することはありません。たくさんの夢を持って、愛し、幸せにしてあげたいと思うものです。同じように、子どもも親に愛されたい、褒められたい、認められたいと願っています。それなのに、なぜか親子関係がうまくいかないことは、多くの人が抱える悩みではないでしょうか?
そんな風に育てられた私が、今度は社会人や親として毒を撒き散らしてしまったことについて、次回お話ししたいと思います。



次回予告
今回は多動性で不登校な私の幼少期について書きましたが、次回は社会人や親になってもやはり強烈な個性ゆえに、大切なことが理解できていなかった私について触れたいと思います。よろしくお願いします。

キャラクターデザインはOkiso(Air)
文と表はOtamachanでお送りしました。
ブログやSNSのフォローといいねをどうぞよろしくお願いします。

最後の言葉
自分の人生は自分のもの。人にも社会にも支配されず、人のせいにも社会のせいにもしない、自分との一本勝負です。過去を悔やまず、未来を恐れず。この先が明日までかもしれないし、60年以上続くかもしれない。そんな人生のために今日1日に集中して楽しく生きます。
いまわの際まで希望を持ち続けます。この世界はすべて自分の魂の成長のためにあるのだから。
私は幸せです。私は嬉しいです。私は最高に運がいいです。私は抱えきれないほどの豊かさを引き寄せています。常に穏やかにマイペースで人生を楽しんでいます。ありがとうございます。感謝します。お陰様です。
今日も最高の1日をありがとうございました!
神様と皆様に感謝します! 愛
💖アプリシエイト!



"Don’t Scold! The Flaw is the Bud of Your Child’s Talent"[2-2: My Upbringing and Childhood](Proofreading and Improvement Suggestions by ChatGPT)

To summarize the content up until now, it can be categorized into the following seven points:

  1. The Cause of Parenting Concerns
    The actions and behaviors of children that parents did not anticipate.

  2. There Are No “Good” or “Bad” Children
    Every child has the potential for talents in all four elements and 15 colors. The only difference is whether these talents bloom with the “Good Presents” given to them or wither with the “Bad Presents.”

  3. Interpreting Talent through Ancient Philosophy
    A diagrammatic explanation comparing ancient Greek Fire-Earth Feng Shui and ancient Chinese Yin-Yang.

  4. The Relationship with Astrology and Chakras
    A diagrammatic explanation comparing talent with ancient Babylonian Western astrology and ancient Indian Chakras.

  5. The Impact of Self-Esteem and Self-Denial
    When “Good Presents” are given to the talents → Self-esteem → Self-acceptance → Social contribution.
    When “Bad Presents” are given to the talents → Self-denial → Self-loss → Social dependence.

  6. The Influence of Good and Bad Presents
    A simplified explanation of the cause and effect from point 5.



Nice to meet you, I am your Talent Advisor, O-tama-chan
Introducing the Author’s Talents: Flaws as Seeds of Talent

Previously, I shared with you some of my flaws, which might make you want to cover your eyes. In this second chapter, I would like to discuss my upbringing and childhood, touching on how I acted in ways that were incomprehensible to myself, and the teachers who were my parents, who tried their best to discipline me.

2-2: My Upbringing and Childhood

My Upbringing: “A Childhood of School Absence”
Since I was little, I was impudent, sloppy, and self-centered, often receiving scolding and warnings from my parents and teachers. However, I couldn’t understand why I was being scolded, and every time, my self-esteem would get hurt. I would rebel, cry, or get angry, and I grew stronger as a result. Looking back, I suppose it was a form of self-defense.
Soon, I started to develop symptoms such as stomachaches, headaches, and asthma, and I began to miss school frequently. This was during a time when the term “school refusal” hadn’t even been coined yet. My personality was so intense that I felt like I had no place in school. Despite not believing that I was doing anything wrong, I would get scolded. For instance, when my father would ask if I had checked the door locks and I would answer “Yes,” he would repeatedly ask, “Are you sure you did it?” until I lost confidence in my actions. Even though I was certain the doors were locked, I would often find myself checking them again out of anxiety. To this day, I struggle with this insecurity.



The Good Presents My Parents Gave Me
Still, my parents didn’t dislike me. They were very focused on education and gave me many experiences. My first memories are of playing on a big bridge over a large river, racing with my brother and father, or playing with stones on the riverbank. My father must have wanted me to develop physical strength and athletic ability. After coming home from work, he would often play outside with me.
He taught me how to handle fire, build a pond in the garden, and take care of plants. At night, he would take me to catch fireflies and taught me about insects. At home, he would bring baby chicks from fertilized eggs and bring back beetle larvae (by the way, my father was a science teacher). He also taught me practical things like weeding at the cemetery, discussing ancestors, and cleaning the drains.
On weekends, my family would go on outings to see cherry blossoms or take drives, and my father would teach me about seasons, weather, and geography. He also taught me games like Gomoku, Karuta, Hana-Fuda, and Hyakunin Isshu, and even Mahjong when I was in elementary school. This early exposure to games would later serve as the foundation for my board game and memorization classes.
My father loved delicious food. On Saturday nights, he would bring home cakes, and when I was sick, he would buy bananas or ice cream. On Sunday mornings, he would bring cream buns, and on special days, he would bring BBQ. He also had a habit of carefully removing fish bones and placing them on top of my rice. He would often say, "Your smile is beautiful," complimenting me.



My Mother’s Influence
My mother, after being a music teacher, started a piano school at home. She would clean up after me when I made a mess and would prepare meals to suit each family member’s preferences, even making giant omelets for me. I also learned a lot by watching her shave bonito flakes and grind sesame seeds.

My mother, who was good at cooking, would always say, “You were born in a great season. You can use so many fruits,” and would make fruit punch on my birthday. She also treated us to dishes that were rare at the time, such as crepes and potage soup. On nights when my father and brother were not home, she would say, “Let’s have a secret tea party, just the two of us,” and would teach me how to make egg sandwiches and brew tea. She would prepare special dishes for seasonal events. Because of my mother’s influence in creating events, I also grew fond of organizing them.
My mother, who was versatile, was skilled in Japanese and sumi ink painting and frequently participated in local art groups. She would take me to museums, and it was through these experiences with art that I became inspired to aim for an art college, all thanks to her.
As a piano teacher, my mother was also a talented singer and often sang children’s songs and Showa-era ballads. The stories she read aloud to me helped me discover the joy of books. As a result, I was able to read many biographies of great people, detective novels, and adventure stories by myself.
Thanks to the love and lessons my mother gave me, I continue to enjoy many hobbies and work today. The foundation of my current craft and board game classes is built on what my mother taught me.
One of my mother’s specialties was sewing, and she would make beautiful dresses and skirts that weren’t typically seen in children’s clothing at the time. I spent happy hours by her side while she sewed, making crafts from leftover fabric. During those moments, I felt truly content.
I was able to experience my mother’s diverse hobbies, including making dolls from egg shells, finger trapping, beadwork, embroidery, knitting, wicker basket weaving, ribbon flowers, corn husk dolls, clay modeling, tea ceremonies, and flower arranging. These experiences have become the foundation of my current craft classes.
My mother, who was a piano teacher, also had a great talent for singing, and often sang children’s songs and Showa-era ballads. She loved reading and was very knowledgeable, with a remarkable expressive ability. Before bed, she would often read to me, and this continued until I was quite old. The stories she read, such as Rashomon, The Young God, fairy tales, and Tolstoy’s books for children, as well as Spanish fairy tales, were all so delightful to me.
Thanks to the joy of reading that she introduced me to, I started reading many biographies of great people, novels by Louisa May Alcott, detective stories like those of Lupin and Sherlock Holmes, fantasy tales like The Wonderful Wizard of Oz and The Lion, the Witch, and the Wardrobe, and adventure stories like The Fifteen Boys Who Were Lost at Sea. Because school was difficult for me, I found happiness in spending time in the library. I also excelled at announcements in the broadcasting committee, all thanks to my mother.
When winter arrived and the schoolyard turned into an ice skating rink, my mother would always prepare warm meals to help us thaw after skating at night. For my poor circulation, she would prepare an oil-filled hand warmer every morning, which she would give me to take to school.
My mother was also skilled at farming. She would push a wheelbarrow to the field and often feed us fresh edamame and corn. She was great at teaching me how to grow flowers, and every day before school, she would wrap flowers cut from the garden in newspaper and send me off with them. My mother was also responsible for braiding my natural curly hair neatly.
Looking back at everything my mother did for me, I realize just how many wonderful "good presents" I received. However, at the time, I was too strong-willed to show my gratitude, and I would often throw tantrums. If anything was said to me, I would immediately cry and get angry, leaving my parents confused.
From a young age, my personality was very intense. I would often be scolded for slamming doors or turning the pages of books too roughly. Even now, when I accidentally make a loud noise, I wonder, "Why am I so careless...?"
I wasn’t good at sports either and was so clumsy that it was almost painful to watch. With my curly hair and chubby body, I was terrible at activities like the horizontal bar, gymnastics, and running races, and I constantly felt inferior.
What I did get absorbed in was television and comics. I would get so emotionally involved that I didn’t listen to my parents, and I became good at making up stories and telling lies, which would always get me into trouble. On top of that, I had a machine-gun-like way of talking, constantly speaking about myself while being shy and scared, yet stubbornly expressing my opinion on any subject. I was probably a troublesome child.
I was contrary, so even when I was happy, I wouldn’t show it, and I wasn’t very cute either. When I received New Year's money, I would immediately look at how much it was, peek into the envelope, and be scolded for it. I even once asked for a cake shop prize for my mother when one opened nearby, took it home, and was scolded for it before returning it.
I was always hiding in the kotatsu (heated table), staying up late, and sleeping in late. I hated cleaning, tidying up, and changing clothes, and I was frequently told off. One day, I came home with a dead crow hanging from my bag and enjoyed mixing strange things together. I was a quirky child who didn’t like to go outside and tended to stay indoors.
My parents were desperately trying to change me. I was constantly being reprimanded, scolded, and given corrections. My mother, especially, was very enthusiastic about my art education. When autumn came, she would lay out a mat in the garden filled with the scent of chrysanthemums, preparing paint for me. She would place lilies and lilacs in a vase and try to get me to paint them.
Until I graduated from art school, I never once heard complaints about the increasing costs of canvas and paint. But when I moved into the university dorm, I suddenly realized, "Why is this brush so dirty?" It was only then that I realized my mother had been quietly cleaning my room and tools without me noticing.
Even after I became a university student and an adult, my mother kept encouraging me to paint, saying, "Just paint and send it to me. I'll submit it to exhibitions for you."
My mother’s love for me was especially strong, perhaps because she had lost her parents at the age of three. I, on the other hand, had many personality issues, and my school grades were not great, eventually leading me to become a school absentee. I spent my time reading manga and obsessing over late-night radio, which caused me to not wake up in the mornings. I’m sure my mother was confused and troubled by all of this.
I received awards in painting competitions when I was in kindergarten, and I was praised in the lower grades of elementary school. But as I entered the upper grades and later in middle and high school, I began focusing only on drawing manga. My grandfather was an artist, and my mother also had that talent, so she probably thought I should develop my artistic skills through drawing. Because of her love, she tried hard to suggest stable career paths for me, but she couldn’t have anticipated the existence of unseen or formless potential, the seeds of which could grow in unknown worlds. I did the same thing to my daughter. Even though no one knows the future profession or societal structure, I too, tried to secure a stable path, building a framework for her future.
But I digress. I grew up under the strict influence of my mother, who was a full-time housewife, and my father, a teacher who had absolute authority over children and students at the time. My parents tried to mold me into a socially correct, well-behaved, and respectable person, as I was always somewhat of an outsider. Dating was forbidden, and after I graduated from university, I was expected to return home, marry someone chosen by my mother through arranged marriage, and live near them to take care of my mother in her old age. I lived my life believing that this was what human life should be for half a century.
By the time I reached upper grades in school, I became a school absentee and could not get into the prestigious schools my parents expected me to. During this time, my brother fell seriously ill, and we faced financial difficulties, which caused our family’s life to unravel. My mother began complaining more, becoming more negative and fixated in her beliefs. She would scold me with intense anger, but I now understand something about her. She had grown up the same way.
My father also had his dreams for me. He once took me in front of a prestigious school, trying to convince me to apply, saying I should go to a university known as "the female Tokyo University," an unrealistic suggestion. Parents have their dreams and hopes for their children. Growing up in the post-war era, my parents probably wanted to pass on the dreams they had to me, and when they weren’t fulfilled, they must have felt regret.
No parent starts out by denying their child. They have many dreams, and they want to love their child and make them happy. Similarly, children also want to be loved by their parents, praised, and recognized. So why, despite all this love, do parent-child relationships sometimes not go well? Isn't this a dilemma that many people struggle with?
Having been raised in such an environment, I now realize that, as an adult and a parent, I too spread toxicity into the world, which I would like to discuss in the next entry.
Next Time’s Preview: In this entry, I wrote about my childhood as a hyperactive, school-absent child, but in the next entry, I will touch on how, even as an adult and a parent, I couldn’t understand the most important things because of my strong personality. Thank you for reading.
Character design by Okiso (Air) Text and illustrations by Otamachan.
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Final Words: My life is my own. It’s a one-on-one match with myself, without being controlled by anyone or anything, and without blaming others or society. I don’t regret the past, nor do I fear the future. It might end tomorrow, or it might continue for over 60 years. So, for the sake of that life, I will focus on living today joyfully. I will keep my hopes until the end. This world exists for the growth of my soul.
I am happy. I am excited. I am incredibly lucky. I am attracting abundance beyond what I can carry. I always live peacefully and at my own pace, enjoying life. Thank you. I am grateful. It’s all thanks to you.
Thank you for this amazing day! I am grateful to God and everyone! Love 💖 Appreciate!



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自己紹介文
私の名前は「お玉ちゃんお宝才能アドバイザー」です。1964年6月18日生まれ、長野県出身です。女子美術大学造形学部を卒業し、中学・高校の教員免許および学芸員の資格を取得しました。その後、エステティシャンや化粧品店の店員、中学の美術の講師などの職業を経験し、1995年6月から29年間、造形絵画教室を主宰し、多くの親子とともにアートの世界を楽しんできました。
私自身、小さい頃から多動性があり、不登校を経験しましたが、アトリエでの活動を通して自己肯定感を高める方法を学び、「火地風水4元素15色の才能」というオリジナルメソッドを生み出しました。現在は、その経験を活かして、子育てや人間関係に悩む方々のサポートを行っています。
私の目標は、自分自身が小鳥遊樹というマルチアーティストとして人生をワクワク楽しむこと。アートを通じて自己表現の楽しさを伝え、人々が自分らしく輝く手助けをすることです。また、このメソッドを通じてお互いの特異な才能を理解し合い、争いや怒りのない世の中を築くことを目指しています。これからもこのメソッドを広め、多くの方々に笑顔と自信を届けたいと思っています。

随時更新の目次↓

「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽🌱です」

[1章・はじめに結論を申し上げます]
【1−1 この本の結論を先に申し上げます】(図1・2)https://note.com/takanashi_itsuki/n/ne86bfdd7a5fd
【1−2 グッドプレゼントとバッドプレゼントの詳細】(図3・4・5)https://note.com/takanashi_itsuki/n/nec89f7395249
【1−3 火地風水4元素15色の才能について】(図6)
https://note.com/takanashi_itsuki/n/nddb82d6e82d3
【1−4 火地風水4元素15色の才能について(続き)】(図7)
https://note.com/takanashi_itsuki/n/n3b6efc43e22f
【1−5 火地風水4元素15色の才能の芽にあげる2つのプレゼント】(図8)
https://note.com/takanashi_itsuki/n/n7d7f6d24ffdb
【1−6 火地風水4元素15色の才能にあげる2つのプレゼントの簡易版】(図9)https://note.com/takanashi_itsuki/n/n663dbfe3be6b

2章・はじめまして お宝才能アドバイザーお玉ちゃんです
[2−1:はじめまして]
https://note.com/takanashi_itsuki/n/nab79ca505193

企画書↓
子育て本企画書
1. タイトル
「叱らないで!その短所、お子さんの才能の芽です」
2. サブタイトル(キャッチフレーズ)
「グッドプレゼントを贈ることで、短所を才能に変える具体的なステップを公開!」
3. 著者紹介
お玉ちゃんお宝才能アドバイザー
「フェアリーゴッドマザー愛’sメソッド、火地風水4元素15色の才能」の開発者であり、29年間で350人の生徒を指導した造形絵画教室を主宰。
自身の多動性や不登校の経験を乗り越え、アートを通して自己肯定感を高め、「火地風水4元素15色の才能」というオリジナルメソッドを生み出しました。現在はこのメソッドを使い、子育てや人間関係に悩む方々をサポートしています。
自己紹介文
私は「お玉ちゃんお宝才能アドバイザー」「マルチアーティスト:小鳥遊樹」として活動しています。1964年6月18日生まれ、長野県出身。女子美術大学造形学部を卒業し、中学・高校の教員免許および学芸員の資格を取得。エステティシャンや中学の美術講師として働きながら、1995年より造形絵画教室を運営し、多くの親子とアートの楽しさを共有してきました。
私自身が経験した困難と、アートを通じて得た気づきが、今の活動の基盤です。「火地風水4元素15色の才能メソッド」を使って、子どもの短所を才能に変えるサポートを行い、親御さんとお子さんが新しい可能性を見つけるお手伝いをしています。



4. 概要(コンセプト)
この本は、「火地風水4元素15色の才能メソッド」を使い、子どもの短所を才能の芽として捉える実践的ガイドです。子どもの短所を才能へと開花させるための「グッドプレゼント」と「バッドプレゼント」の概念を紹介し、親としての関わり方や子どもとのコミュニケーションを改善します。具体的なエピソードや実践的なアドバイスを通して、親が子育てをより楽しく豊かにする方法を提案します。



5. ターゲット読者
「3歳〜12歳の子どもを持つ親、子育てに悩んでいる保護者、教育関係者、心理カウンセラー」 特に、子どもの「短所」に対する理解や対応に悩んでいる方々を対象とします。また、教育関係者や心理カウンセラーにとっても、子ども一人ひとりの才能を引き出す視点を提供します。



6. マーケットの背景と競合
子育てに関する情報は非常に豊富であり、特に「叱らない育児」や「才能開発」に関する書籍は人気ですが、火地風水4元素15色の才能メソッドは市場にほとんど存在していません。短所に焦点を当て、それを才能として育てる独自のアプローチは、他の一般的な子育て本とは異なり、個々の子どもの特性を尊重する方法を提供します。



7. 本書の差別化ポイント
「火地風水4元素15色の才能」という独自の才能分類を使い、子育てに新たな視点を提供します。短所として現れる才能の芽に「グッドプレゼント」を与えるか「バッドプレゼント」を与えるかによって、その芽が才能として開花するか、依存行動として枯れるかが決まる、というユニークな視点が強みです。



8. 構成案(目次)

  • はじめに結論を申し上げます
    子育ての悩みは尽きない。
    そこで、火地風水4元素15色の才能メソッドが役立つ理由を紹介。

  • はじめましてお玉ちゃんお宝才能アドバイザーです
    メソッドの発見に至った筆者の生い立ちと自己紹介。

  • こんなにある!子育ての悩みの種類
    親が抱える一般的な悩みと、その根本的な原因を探る。

  • 火地風水4元素15色の短所で現れる才能の芽とは
    短所の背後にある才能の芽を見つける方法を解説。

  • 才能の芽に与えるグッドプレゼントとバッドプレゼント
    グッドプレゼントとバッドプレゼントの概念の説明。
    親がどう対応すべきか具体的に説明。

  • 才能の芽が才能に変わることに気がついた具体的な経験
    実際のエピソードを交え、筆者がどう子どもの才能に気づいたかを示す。

  • 「今まで叱ってごめんね」とうちの子に謝りたい
    なぜ私たちは短所を直そうとばかりしていたんだ?
    読者が共感できる実体験や反省を共有し、子どもたちに現れる短所の重要性を伝える。

  • フェアリーゴッドマザー愛’sメソッド 火地風水4元素15色の才能の詳細
    各色の才能の特徴と根拠を紹介。

  • 突出した短所ほど突出した才能に育つ可能性
    偉人や有名人の幼少期の短所のご紹介。実際に目にしたり経験した、自分自身や生徒さん達の短所が才能に変わる瞬間

  • 実践編:日常の中でのメソッドの活用
    親が日常の中で使える具体的なテクニックやアプローチを紹介。

  • メソッドを実践してくれたモニターさんたちの声
    実際にメソッドを試した親御さんたちの感想や成功体験を掲載。

  • あなたも誰かのフェアリーゴッドマザー愛になれる
    読者が自らこのメソッドを広め、他の親子をサポートする方法を示す。

  • おわりに
    本書を通じて親子の絆が深まることを期待して。



9. 想定ページ数とスケジュール
「200〜250ページ、執筆期間:6か月、出版までのスケジュールは12か月」



10. 宣伝・販売戦略
ソーシャルメディア(Instagram、YouTube、ブログ)を活用したプロモーションを展開。特に、親子向けのショート動画や実践的なアドバイスを定期的に投稿し、親向けのオンラインコミュニティや子育てイベントでの講演・ワークショップも行う予定です。



11. 予想される読者からの反応
「今までにない新しい子育て法を試してみたい」「子どもの短所を才能に変える具体的な方法が知りたい」「もっと早く知っていればよかった!」などの前向きな反応が予想されます。
企画書は以上です。 動画のチャンネル登録、ブログやSNSのフォローといいねをどうぞよろしくお願いします。
最後の言葉 自分の人生は自分のもの。人にも社会にも支配されず、人のせいにも社会のせいにもしない、自分との一本勝負です。過去を悔やまず、未来を恐れず。この先が明日までかもしれないし、60年以上続くかもしれない。そんな人生のために今日1日に集中して楽しく生きます。
いまわの際まで希望を持ち続けます。この世界はすべて自分の魂の成長のためにあるのだから。
私は幸せです。私は嬉しいです。私は最高に運がいいです。私は抱えきれないほどの豊かさを引き寄せています。常に穏やかにマイペースで人生を楽しんでいます。ありがとうございます。感謝します。お陰様です。
今日も最高の1日をありがとうございました!
神様と皆様に感謝します! 愛💖アプリシエイト!


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