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【コミュニケーション論】「好きの反対は無関心!」を考える

好きの反対は、無関心ではない

よくドラマなどで
「好きの反対は、無関心。本当は好きなんじゃない?」ってセリフあるよね
で、これに対して、確かに!的な思う人があまりにも多いので・・・、
・・・まぁ暇なので記事を書きました。

好きの反対は、無関心じゃないですよ
昔いじめられたことがある人が、いじめっ子が幸せになっていることに暴言を吐くとするよね。
「好きの反対は、無関心だよ?」って言えるやつがいれば会ってみたいね。
無関心でいられない、相手に死んでほしいと思うぐらいの憎しみをもった”嫌い”なんて、いくらでもあるよね

だから、好きの反対は無関心じゃないよね

「好き」の反対は何って、「嫌い」だろう

そもそも、そういう定義で使うものだしね。
好意と嫌悪は、相反する気持ちだよね。

ただ、状況を正確に表現したいなら変数を増やすしかない。
嫌いという状況をより知りたいなら
「相手への関心は高い?低い?」
「相手と関わりあいたい?視界から消えてほしい?」
「相手に不幸になってほしい?どうでもよい?」
「過去の相手の行動が許せない?どうでもよい?」
「謝ってほしい?ほしくない?」
「関係の改善がしたい?したくない?」

など、変数が多ければ多いほど、状況を正確に把握できるようになります。

コミュニケーション論として考える

さて、コミュニケーションとは他人に対して、情報を伝達することである。
その観点から「好きの反対は無関心!」というセリフは、適切かという点を考えてみると・・・・

満点ですね。100点と言わざるを得ない。
ただ、相手によりますが・・・・

情報発信の際、変数が多ければ多いほど、表現は現実を正確に表すことが可能になる。
ただ、自分が伝えたい事を相手に理解させるために、必要な情報をピックアップする必要がある。そこに人のセンスがでるわけですね。

「好きな相手に、いじわるをしてしまう子」に対して
「好きの反対は無関心!」と言って、実は好きであることを看破された状況になるなら、必要最低限の情報で、現状と意見を伝え、相手に納得させる最高のコミュニケーションと言えるでしょう。
逆に、本当に相手嫌悪している人にこのセリフを伝えると、もうマイナス100点のコミュニケーションですね。

まとめ

結論、人と人とのコミュニケーションにおいては、何かを伝えたい場合は、もっとも短い情報で、相手に誤解なく伝わり、相手にとって納得性を与えることができるのか・・・を常に考えることが大事だと私は思います・・・・以上です

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