子供の頃のこと
自分の中では当たり前のことだったから
やっぱりあんまり言う必要はないと思ってるんだけど、結構強烈な少年期だった。
小学5年生の時に
実家が差押えになっている。
父のギャンブル癖だ。
私の幼少期、父は小さな不動産屋をしていた。
でもいつも家にいたし、暇さえあれば一緒に競輪場に連れてってくれた。
競輪場には子供の託児スペースがあって、
お父さんはソフトクリーム買ってくれるし、
競輪見れるし(自転車で走ってるだけだが)
それなりに楽しかった。
お父さんが競輪新聞に赤ペンで描いてくれる絵は
ナスカの地上絵にとても似ている。
ナスカの地上絵のニュースが今も好きだ。
小学1年の時に
その差押えになる家を買った。
庭には柴犬がいて、くさいけどかわいい。
近づくたびに嬉ションする。かわいい。
猫も飼った。近所の子供が押し付けてきた猫。
泣いてるとそばに来てくれる優しい猫。
個室サウナもあった。
お父さんはガチのサウナーだった。
ロウリュもできる石があった。
結局その家は一度もローンが支払われることがなかったらしい。
なので5年生の夏休みに
狭い団地に兄と母と祖母で引越し
その時父と分離した。
父と母はその前に離婚していたそうで
子供のためを思って家庭内別居をしていたらしい。
それでも悲しかった。
新しい小学校も、友達もできたし
先生も良くしてくれたけど
父と一緒に暮らしたかった。
今も、少しだけ恨んでいる。
自分で選んだ人のこと、
あんなに悪口言うんだったら
父と知り合わなければ良かったんじゃないか。
でもそしたら私も生まれない方がよかったのかな。
なんて、思わざるを得ない。
家がなくなったり
転校したり
狭い家になったり
父が離れたり
団地の部屋で寝そべりながら
何でこうなったんだろうって
めちゃくちゃ考えてた。
子供は無力でただ傷付くしかできない。
これはAIが発達したってお金があったって
あの時の気持ちは誰も救えないと思う。
だってあの時の私には、誰もなれないし。
あのつらさは共有したくないし、思い出したくもない。
事実として起こったことを話すことは
痛くも痒くもないけどさ…。笑
今まで実家が差押えになったって話が
唯一できたのは、
推しであるDJ SEKITOVAくらい。
私は彼の貧困も愛している。