「敬礼」の起源とは?
警察官や消防士などでおなじみの敬礼。
誰もが一度は、その仕草を真似たことがあるだろう。
ではこの挙手の敬礼、どこから生まれたものなのだろうか。
「消防士の敬礼がかっこよかった」
諸国の軍人や日本の自衛隊員、警察官などでおなじみの、右手をこめかみ付近にかざす挙手の「敬礼」。
これは相手に敬意を示す動作で、一般的に下位の人が上位の人に対して行い、上位の人は「答礼」で応えるのが習わしだといいます。また同じ位の人も敬礼を交換します。
日本では自衛隊、警察の他に、消防や海上保安庁でも行われていますし、さらには民間の警備会社や交通会社(鉄道、バス、航空、船舶)でも目にします。
私は子供の頃、警察官や消防士がビシッと敬礼している姿にあこがれていたようで、小学校1年生の時の作文に、「消防士の敬礼がかっこよかった」などと書いておりました。
ちなみに自衛隊の敬礼には、挙手の敬礼の他にも、捧げ銃の敬礼をはじめさまざまなものがあるそうですが、今回は挙手の敬礼を取り上げます。
さて、この挙手の敬礼、どのようにして生まれたものなのでしょう?
その意外な起源について、堀栄三『大本営参謀の情報戦記』(文春文庫)の中で短く紹介されています。
情報収集・分析に疎い日本の組織
少し話しがそれますが、この本はとてもいい内容です。
「太平洋各地での玉砕と敗戦の悲劇は、日本軍が事前の情報収集・解析を軽視したところに起因している」と著者の堀栄三は指摘します。
太平洋戦争中、急造ながら大本営情報参謀としてアメリカ軍の作戦を次々と予測し、的中させて、「マッカーサーの参謀」の異名をとったのが、当時陸軍中佐の堀栄三でした。
堀は本書で当時を客観的に回顧しつつ、軍の情報収集・分析に関する問題点を明らかにしていますが、それはそのまま現代の日本、あるいは企業等にもあてはまるものです。
すべてを制する情報を、私たちはどうしてもっと合理的かつ効率的に収集し、分析しようとしないのだろう。また、そこから得られたものを、なぜもっと組織内で共有しようとしないのだろう。そんな思いに強くかられる一冊です。
堀は情報に疎い日本の組織の「構造的欠陥」をえぐり出しつつ、「戦略の失敗は戦術では取り戻せない」という名言を残しています。
ぜひ機会があれば、ご一読をお勧めします。
起源は西洋の甲冑
さて、敬礼の起源です。
堀栄三が戦後、西ドイツの防衛駐在官として赴任した時、情報提供などで協力をしてくれていたワインハウスの女性主人とともに、ある日、エルツ川の渓谷にあるエルツ城(ブルツ)へドライブに出かけます。
城内には中世騎士の鎧や冑、槍などが所せましと陳列されていました。その中で、ある西洋甲冑を着た騎士の立像は、冑で顔を完全に覆っています。女性主人は立像の前で堀に問います。
「軍人や警察官が、こう敬礼するのはなぜか、知っていますか?」
彼女はおどけながら、右手を額の横に上げて見せました。堀はわかりませんでした。
「戦いに赴いた騎士が城(ブルツ)に帰ってきて、王様の前に進み出る。でも、あの冑のままでは顔を覆っているから誰だかわからないでしょう。そこで騎士は、顔の前の鎧戸のような部分を、こうやってずり上げるのです。それが起源よ」
そう言って、彼女は鎧戸をずり上げる真似をして、掌を額の上まで上げました。
「ああそうでしたか」
陸軍幼年学校以来、35年間敬礼してきた堀は、その起源をここではじめて知ったと記しています。
中世騎士の冑の構造による仕草から生まれた敬礼が、世界中の軍隊や警察などで今も広く使われていることを思うと、ちょっと不思議な気持ちになりませんか。
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