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新書『もしも戦国時代に生きていたら』の監修を務めました
この度、私が監修をお手伝いした書籍が出版されました。
とはいえ、メインの監修者は畏れ多くも、静岡大学名誉教授の小和田哲男先生で、私は本当に、お手伝い程度なのですが……。
小和田哲男・辻 明人監修『もしも戦国時代に生きていたら』(ワニブックス【PLUS】新書)、です。
表紙のコピーに、「武将から市井の人々の暮らしまでリアルシミュレーション」「本能寺の変当日までの150日間を追体験」「中世から近世へ、激動の時代を生きた人々の仕事・生活・しきたりを物語形式で徹底再現!」とありますが、まさにそうした内容です。
ありそうでなかった戦国の生活の紹介
戦国時代については、小説や映画、テレビドラマなどでもよく描かれますので、なんとなくなじみがあるような気になりますが、それらはたいてい武将が主人公であることが多く、描かれるのも武将の戦いをめぐる出来事です。しかし、武将といえども四六時中、合戦をしていたわけではありません。むしろ何事もない、平穏な日々の方が多かったでしょうし、それは家臣たちも同じです。では彼らは、日常では、どんな一日を送っていたのでしょうか。また戦国を生きたのは、武将とその家臣ばかりではありません。農民もいれば、商人もいました。彼らの生活は、どんなものだったのでしょうか。
たとえば天正10年1月7日(1582年1月30日)の朝、織田信長の馬廻である、佐久間兵大夫の出仕前の様子を見てみましょう。
起床は寅の刻(午前4時前後)。かなり早いです。寝床を離れた兵大夫は、下着の手綱を締め直すと、枕元に畳んでいた小袖に袖を通し、素早く帯を締めます。屋敷内は、まだ暗闇。火の気もなく、真冬の早朝ですから、相当寒かったでしょう。兵大夫は小刀を腰に差すと、土間で草履をつっかけ、板戸を開けました。冷え切った外気が屋内に入ってきます。兵大夫は月明りを頼りに、異変はないか、安土城下の屋敷の周囲を見回ります。厩の愛馬もすでに起きていて、小さくいななきながら、小者が与えていた餌を食んでいました。一回りして土間に戻った兵大夫は、水瓶の水を茶碗にくんで、一息で飲み干し、さらに大きめの木桶にたっぷりと水を入れると、庭に出て行水を始めます。厳寒の季節、屋外での行水は、鍛え上げた体の兵大夫でもこたえたでしょう。この日は、4日ぶりの行水でした……。
なお本書では、手綱、小袖など当時の衣類についても、短く説明しています。
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端午の節句の危険な風習
元服、祝言、出陣……。戦国時代には現代にはない、あるいは現代とは異なる、さまざまなしきたりや風習がありました。たとえば農村では、5月5日の端午の節句に、子どもや若者たちが二手に分かれて石を投げ合う、石合戦「礫打ち」がよく行われたといいます。「印字打ち」ともいいました。作物の、豊凶を占う行事であったともいわれます。
天正10年5月5日(1582年5月26日)、信濃国飯島郷(長野県上伊那郡飯島町)のある集落では、藤二郎ら子どもたちが中田切川に向かっていました。隣村の子どもたちと、礫打ちをするためです。彼らはそれぞれ、鍋の蓋や下駄を手にしていました。相手の投石から、身を守るためです。
藤二郎たちが河原に着くと、対岸にはすでに隣村の子どもたちが集まっていました。相手の人数は30人ほどで、藤二郎たちとほぼ同じ。川を挟んで対峙した子どもたちは、それぞれ河原で拾った手頃な石を握り、にらみ合いながら、川幅の狭まったところを探して上流へと移動します。やがて川幅が6間(約11m)になると、相手の大将が石を投げてきました。藤二郎らも応戦しようとしますが、味方の大将である与吉が「待て」と制し、もう少し上流の、戦いやすい広い河原へと相手を牽制しつつ移動します。そして広い河原に着くと、藤二郎らの反撃が始まりました。相手の石礫の数も増してきます。そのうちの一つが、味方の最年少の源次郎の頭に当たりました。さらに源次郎を助けようとした惣太も、脛に石を受けて倒れます。藤二郎は駆け寄って、近くの岩陰に2人を導きました。源次郎の額からは血が流れ、藤二郎が「大丈夫か」と尋ねると、両人とも痛そうに顔をしかめながら頷きます。早くも2人の怪我人が出たため、藤二郎は「そろそろ一気に攻めず」と、大将の与吉に切り札を使うことを呼びかけました……。
なお、この礫打ちの風習はあまりに危険なため、寛永年間(1624~44)、徳川幕府によって禁止されています。
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戦国の暮らしへのいざない
本書の目的の一つは、「記録に残ることのなかった人々」の暮らしを再現することです。ストーリーとしては、想像をまじえた部分も多いですが、なるべく歴史的事実に即するよう、当時の生活や風俗を丹念に調べ、さらに身近に感じられるよう再現することに努めました。
また当時の「衣食住」の生活や文化についてや、現代ではあまりなじみのない事物については、注釈で補足説明も加えています。
なお、本書の企画・原稿執筆は、手練れの編集者、小道舎の小芝俊亮氏の努力の産物であることを明記いたします。
これまでありそうでなかった、リアルな戦国の暮らしのシミュレーションを、楽しんでいただけましたら幸いです。ぜひ手に取って、ご覧ください。
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