知られざる忍び「透波、乱波、草」……戦国大名を支えた影の者たちとその秘術
昨日に続いて、本日のテーマも忍者です。皆さんは、忍者というと誰を思い浮かべますか。最もよく知られているのは、アニメのキャラクターのモデルでもある服部半蔵(はっとりはんぞう)かもしれません。『真田十勇士』が好きな方であれば、猿飛佐助(さるとびさすけ)や霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)の名前が挙がりそうですし、関東には風魔小太郎(ふうまこたろう)率いる集団がいたとされます。歴史小説好きであれば「飛び加藤(かとう)」こと加藤段蔵(だんぞう)をご存じの人もいるでしょう。
上記のうち実在が確認できるのは、服部半蔵と風魔小太郎のみです。半蔵は父親が伊賀(現、三重県北部)出身ですが、半蔵自身は忍びではなく、徳川家康に仕える武将でした。風魔小太郎は世襲名であるとされますが、詳細は不明。つまり、現在名前を知られている忍びの多くは、架空であるか詳細不明の存在なのです。
しかし、一方で忍びは確かに実在しました。それも全国の戦国大名が何らかのかたちで使っていたと思われますから、昨日紹介した伊賀、甲賀(現、滋賀県南東部)の忍びだけでは間に合いません。伊賀・甲賀以外にも、忍びとしての役割を務めた者たちがいたのです。そこで今回は、諸大名を支えた忍びの者たち、及び忍びが駆使した秘術についてまとめた記事を紹介します。
盗賊を忍びとして用いる
「忍術とは偸盗(ちゅうとう)術なり」という言葉があります。雇い主に命じられて情報収集・諜報に術を用いれば忍術ですが、同じ術を私利私欲のため強盗や窃盗に用いれば、それは偸盗術に堕(だ)してしまうということでしょう。逆にいえば、盗賊に任務を与えれば、忍びの役割を果たしうるともいえます。
そこで戦国大名らは近在のそうした輩(やから)を雇い入れ、忍びとして使いました。楠流(くすのきりゅう)忍術書『当流奪口忍之巻註(とうりゅうだっこうしのびのまきちゅう)』には「甲州武田(たけだ)家はスッパ(透波)と云て盗人を用ゆ、北条(ほうじょう)家には風間(かざま)と云て盗賊を用いたり」とあります。武田信玄(しんげん)で有名な武田家も、小田原城を本拠とする北条家も、盗賊を忍びとして用いていたことがわかります。なお、風間とは風魔のことで、「かざま」と呼ぶのが正しいのかもしれません。
スッパ、ラッパ、草……
スッパ(透波)とは聞き慣れない言葉ですが、「虚言、欺瞞(ぎまん)」を意味するもので、スッパな者といえば、「人をだます者」を指します。当時でいえば強盗、野武士の類でした。またスッパについて「関東にては大方乱波(ラッパ)と称し、甲斐(現、山梨県)より以西の国々では透波といひしとみえたり」(『武家名目抄(ぶけみょうもくしょう)』)とあり、関東ではラッパと呼んでいたことがわかります。さらに信濃(現、長野県)の真田(さなだ)家では草(くさ)、越後(現、新潟県)の上杉(うえすぎ)家では伏齅(ふしかぎ)と呼んでいたようです。それら各大名家を支えた忍びたちはどんな働きをしたのか、和樂webの記事「全部読んだらあなたも忍者マスター。世界に誇るNINJAの秘術と謎」をぜひお読みください。
忍びの主目的は戦いではなく、生還すること
さて、記事はいかがでしたでしょうか。記事では各大名家の忍びとともに、忍びが駆使した秘術も紹介しました。それらを見ると、忍びの術は決して派手ではなく、また戦闘術も窮地を脱するためのもので、勇壮に戦うことを前提としたものではないことがわかります。
彼らの最大の任務は、敵地から情報を無事に持ち帰り、雇い主に渡すことであり、最も避けるべきは生還できないことでした。どんなに敵を倒しても、最終的に自分が討たれ、情報を持ち帰れなければ何にもならないのです。近年の忍者ショーや、映画やドラマでの派手な戦闘パフォーマンスはあくまでロマンを楽しむもので、忍びの本質とは異なっているといえるでしょう。
なお、江戸時代の忍びについては、noteに次の記事「徳川将軍の諜報組織『御庭番』とは」を掲載していますので、よろしければこちらもご覧ください。