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安倍晴明は、白髪の陰陽師だったかもしれない?

平安時代のおんみょうべのせいめいについて、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。

2024年春、やまざきけんさん主演の映画『陰陽師0』が公開され、若々しい晴明の活躍が描かれました。若き日の晴明が描かれたのは、これまでなかったことです。おそらく多くの人の晴明のイメージは、かつて大ブームを巻き起こしたおかれいさんが描くコミックの『陰陽師』や、2003年公開の映画『陰陽師』でむらまんさいさんが演じた、クールな「はくせきこう」といった姿かもしれません。

その点、2024年大河ドラマ『光る君へ』に登場する、ユースケ・サンタマリアさんが演じる晴明は、策謀を秘めた中堅役人で、従来のイメージに合わないと感じる人も少なくないのではと思います。しかし、実際に安倍晴明が活躍し始める年齢は、まさに現在、50歳代前半のユースケさんぐらいから。つまり年齢的なイメージは、実はユースケさんがぴったりなのです。いずれにせよ2024年は、なぜか晴明の名を目にする機会が多いといえるでしょう。

安倍晴明についてはこれまでイメージが先行するあまり、その実像について語られる機会は少なかったように感じます。しかし、彼がたぐいまれな陰陽師であったことは間違いなく、また実は、陰陽道を新たに創造した部分も少なからずありました。今回は、私たちはなぜ晴明にかれるのか、そして晴明の実像はどんなものであったのかについて、まとめた記事を紹介します。

晴明と映画『帝都物語』の平井保昌

ところで皆さんは、安倍晴明の名をいつ頃、知ったでしょうか。
私は記憶をさかのぼると、昭和62年(1987)頃、あらまたひろしさんの小説『ていものがたり』を読んで、その名を覚えたように思います。近代の東京が舞台の『帝都物語』に、晴明自身は登場しませんが、おんみょうどう、陰陽師、しきがみせいめいはんといったフレーズがひんしゅつし、陰陽道を駆使したサイキックバトルが描かれる中で、陰陽師の象徴的人物ともいうべき安倍晴明の名が印象に残りました。

『帝都物語』の中には、帝都壊滅をもくむ魔人・とうやすのりと戦う陰陽師として、つちかど家のそうすいひらやすまさが登場します。平井保昌は架空の人物ですが、土御門家は、晴明の安倍家が室町時代に改めた家名であり、江戸時代には陰陽師の元締め的な存在でした。一方の加藤憲保も、もちろん架空の人物ですが、加藤をに変えると、ものやすのり。安倍晴明の陰陽道の師匠とされる人物の名です。賀茂家も弟子筋の安倍家と並ぶ、陰陽道の名家でしたが、江戸時代の初め頃に断絶しました。

昭和63年(1988)年公開の映画『帝都物語』では、土御門家の陰陽師平井保昌を、ひらみきろうさんが演じています。平幹二朗さんは当時、55歳。役どころの平井保昌は白髪まじりの姿ですので、ほぼご本人の実年齢と同じぐらいの設定でしょうか。そしてその姿は、いま思えば、51歳でおんようりょうてんもん博士はかせの座を師匠の賀茂憲保より譲られ、翌年の天禄3年(972)、えんゆう天皇に「天文みっそう」を行ったと記録される、安倍晴明の姿とオーバーラップします。最も活躍した時期の晴明は、白髪の陰陽師だったのかもしれません。

映画『帝都物語』のパンフレットと当時の文庫

式神を活用した記録

映画『帝都物語』が公開されたのは昭和の終わり、まさにバブルの絶頂期。そしてそれからおよそ12年後に、空前の安倍晴明ブームが起こりました。その理由は、当時の世相と密接な関係があったと考えますが、詳しくは和樂webの記事「『光る君へ』の怪演も話題!?よみがえる安倍晴明!不世出の陰陽師が現代に伝えるもの」をご一読いただけましたら幸いです。陰陽道や記録に残る晴明の実像も、できるだけ簡潔にまとめております。

さて、記事はいかがでしたでしょうか。

ところで晴明が、式神を活用したという興味深い記録があります。

晴明が記録に初めて登場するのは、記事にもありましたが、天徳4年(960)年、晴明が40歳のときのことです。この年、御所で火災があり、「だいけい」という天皇を守護する霊剣が焼けてしまったので、陰陽寮のてんもんとくごうしょうという学生だった晴明は、霊剣を作り直すための調査を命じられました。この「霊剣ちゅうぞう」について、安倍家に伝わる『陰陽道きゅうしょう』に次のような記述があるのです。

「天徳4年にだいで火災があり、霊剣42へいかいじんとなってしまった。霊剣にはそれぞれ異なる文様が刻まれていて、文様が判明しているもの40柄は、元のように再び鋳造することができたが、残る2柄の文様がわからず、鋳造できなかった。そこで晴明が式神に問いかけた。『お前たちの神通力で、残る2本の文様がわかるか』。すると式神らは『よく覚えております。造りましょう』。式神らのアドバイスをもとに、晴明が文様を再現して提出したところ、『そもそも焼ける前の霊剣を見たことがあるのか。これで間違いないと、どうして言えるのか』という声が上がったので、晴明は『これは私が作成したものではありません。式神が神通力をもって再現したものなのです。疑いをはさむべきではありません』と答え、これをもとに鋳造することになった」。

『陰陽道旧記抄』
式神

記術からは晴明が式神と話すことができたこと、人にわからないことでも式神ならばわかると当時考えられていたこと、そして式神の神通力といえば、他者も納得していたことがうかがえます。説話などではなく、安倍家伝来の史料にこうした記述がある点は、当時の人々に、式神がどう受け止められていたかを探るうえで、貴重なものといえるでしょう。

そして霊剣をすべて鋳造し直すことができた功績で、晴明は上役3人を飛び越す出世を遂げることになりました。つまり晴明の躍進は、式神たちの協力を得ることから始まったのです。不世出の陰陽師・安倍晴明の、面目躍如といってよいのかもしれません。

参考文献:斎藤英喜『安倍晴明』(ミネルヴァ書房)、斎藤英喜『陰陽師たちの日本史』(角川新書) 他


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