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これまでの話

こんにちは、篁誉です。
今回はADHD、ASDである僕のこれまでの経験や、感じてきたことを書いてみようと思います。

最初にADHDが発覚した時のことはこちらでお話ししているので合わせて読んでいただけると嬉しいです。


通っていた小児精神科から処方されていたのはコンサータ(メチルフェニデート)という薬でした。

このコンサータが効いている間のことは、今でも鮮明に覚えています。
とても快適でした。一つのことにこんなに集中できるものなんだ、これがADHDじゃない人の見ている世界なんだ、と驚きました…が、一つ問題がありました。
僕はこの薬と相性が悪かったのです。

動悸や眩暈、多量の汗をかくなどの副作用が出ていて、とにかく飲むのが辛く、中学2年の頃に精神科に通うのはやめてしまいました。

中学はほぼ不登校でした。
高校受験をなんとか自学で乗り切るも、せっかく入った高校は出席日数の関係で留年が確定。

ただ、高校の部活は好きで、演劇部で活動したいが為に3年まで籍を置き、同級生の卒業に合わせて通信制の高校に転入、20歳で卒業しました。

この通信高校に通っている間にアルバイト先で上司とトラブルになり、うつが再発。

今度は元々通っていたのとは違う病院で2度目の受診をして、ここで改めて、ADHD、新たにASDとの診断が出ました。

抗うつ薬や睡眠導入剤などを処方してもらい、なんとか眠れない、食べれないという症状は落ち着きます。

その後は、薬を服用しながらパートやアルバイトで働いていましたが、働いてる間中ずっと極度の緊張状態になってしまい、勤務3〜4時間でもぐったりしてしまうくらい疲れていました。

休みの日でもシフトの前日は憂鬱でしょうがない。
勤務のあとはぐったりしていて動けない。
失敗した日の夜は眠れない。

次は上手くいくはず、と様々にアルバイトを経験しましたが、どれも1年以内に辞めてしまいました。
仕事を辞めるたびに自分を責めました。
うつの症状はどんどん重くなり……そしてとうとう、働く元気を無くしました。

再診の翌年、担当医の勧めもあり、自分でも持っていた方がいいなと感じて障害者手帳を取り、つい最近までの数年間療養していました。

仕事をせずに家にいるようになって初めの頃は、働かず家事もせずただ鬱屈と過ごしている自分が酷い怠け者に思えて自分を責めました。
そうしてとことんまで落ち込んだあと、段々と「どうせなら生産性のあることをしよう」と考え始めます。

手始めに、発達障害に関する本やウェブサイトを片っ端から読み漁りました。
ようやくこの時、自分の障がいと真剣に向き合い始めたのだと思います。
思えばそれまでの僕は「障がいは少し強いだけのただの個性なんだから、ありのままで自由に生きよう」と楽天主義的な思考でした。
ですが、社会に出て働いていくには自分の生きにくさの理由を自覚して一つ一つ工夫していかなければならないと考えを改めます。

漠然と感じていた生きにくさを具体的に把握することから始めました。

例えば、記憶力は人並みですが、それを頭の中だけで整理するのが苦手です。
頭の中だけで業務の優先順位をつけられない、作業工程を組み立てられない、もしくはとても時間がかかる。
これは、メモに書いて見える化したり、作業の流れがパターン化している業務なら、覚えてしまえば問題ありません。

また、突然の変更が苦手です。
予定していたことが急に中止になったり、変更になる、イレギュラーが起きると強いストレスを感じます。
突然の繁忙による残業や休日出勤などが重なると精神的に疲弊してしまいます。
あらかじめ決められている業務を決められた通りにこなす分には大丈夫です。

そして、失敗への過剰な恐怖心があります。
間違いはないかと何度も見直したり確認したりする癖があり、特に金銭授受に関しては相当神経をすり減らしていたように思います。

僕が大事だと思うのは、こういう苦手なこと……つまりは短所を理解して、それが影響しない仕事に就くことです。
苦手なことを無理に平均以上にするのではなくて、得意なこと、できることで仕事をするのがいいだろう、と思うのです。

診断はあくまで診断であり、ADHDやASDであるという事実が自分の問題を全て解決してくれるわけではありません。
自分を知ってこれからどう生きていくか考える一番最初のきっかけに過ぎなくて、ゴールではなく、むしろスタートであると僕は思います。

少しでも自分に優しい世界を自分で選んだり工夫しながら作っていく。
僕の人生はこれからです!!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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