「こうい」の善悪

今日はタイトルの通り、
「こうい」の善悪について思ったことを書いていきます。

「善悪って人によって違うよね。個人差があるよね」
なんて言葉よく耳にしますよね。

同じ行為をしたはずなのに一方は善で、もう片方は悪。
悪とされた人間は「不公平だ!」と叫びます。なぜなのか理解できない。

でも、それって本当に同じなのでしょうか?

例を挙げて考えてみます。

1.「車を運転する」
この行為自体に善悪はないはずです。
しかし、免許を持っている人と持っていない人では、
この「車を運転する」という行為に善悪の判断がなされてしまう。
持っていなければ「悪」とされ罰則規定に基づき処分されます

さらに言えば、免許を持っていても飲酒していたり、
免許証にメガネをつけることを条件にされている場合、
メガネをせずに運転を行うと「悪」とされます。
※ちなみに、これは免許条件違反という罰則で、
違反点数2点、反則金7000円です。

この場合の善悪は
「定められたルールに則っているか」が問題となりますよね。

「ルール」は、
基本的には大多数の人間を少数の人間から守るような仕組みです。

みんなで同じように生活をしたいのに、
一人だけ欲張って人より多くものを得ようとしたり
人よりも力が強く優れているから、
弱い人から搾取しようとしたりする少数派がいたとします。
そうなると不公平になり、生活が成り立たなくなる状況になりかねません。
それを防ぎ、
みんなが同じように生活をするために作られたものがルールです。

前述の「飲酒運転」や「免許条件違反下での運転」を悪とするのは、
「重大な事故を未然に防ぐ」という意味合いがあります。

2.「暴言を吐く」
個人的にはこの行為自体は悪だと考えています。
仏教の教えにもありますが、
善悪とはその行為によって自他に与えるものが「何か」が重要となります。
善は安らかさを与え、悪は苦悩を与える。
その点で考えても暴言は悪だと私は考えます。

ただ、この行為ですら善となるケースもあります。

お笑い芸人が某声優さんをマネして、
相方に「ぶっ殺すぞ!」と言ってるシーン。
不快に思う人ももちろんいらっしゃると思います。
ですが、「お笑いをやっている」という状況、
その暴言は真意ではない点など、観客がそれを見聞きして喜ぶ。
そういう場であることを考えると、
この暴言に関しては善となるケースであると考えます。

この場合の善悪は
「相手にどういった影響を与えるか」が問題となりますよね。

ちょっと本筋からはそれますが、
厚意でお年寄りに席を譲ろうとしたら怒られた。とか、
好意がある相手に想いを伝えたら
ストーカー認定されて警察から注意を受けた。とか
自分にとっては「善い行為をした」はずなのですが、
相手からしてみたら「不快」な行為だったとすれば、
それは善なのでしょうか?
結果だけ見るとそれは善ではないのかなと思います。

だからってお年寄りに絶対席を譲らない!とか
厚意からの行動を起こさない!事ではなく、
あくまで個人的な意見ですが、状況を見て、辛そうだったり席を探していたら譲るなど必要に応じて行うのがスマートかなと。
〇〇だから△△をしなきゃいけない!みたいなルーティンに人を当てはめることは難しいので・・

「相手にどういった影響を与えるか」は状況に応じて臨機応変に立ち回る必要があるとも言えます。

例として挙げた2つの事からわかるものとしては、
「ルールに則っているか」「相手にどういった影響を与えるか」
この2点は善悪の判断をつけるのに必要な物だと考えます。
そして、この2点に共通しているのは
「お互いが気持ちよく生活を送るための思い遣り」
から成り立つのではないかと考えます。

そして、それが出来ない状態になり、
どちらかが不快になると善悪の判断がなされてくるのかなぁとも。
最近の人々の動きはそういったものに
「過敏」になりすぎている感じはありますが、
自分の身を守るための自衛意識が強くなり、
他人との交流に慎重さが増したためなのではないかと思います。

ここで話をルールの話に戻ります。
「前を走ってた車もスピード違反してた。だから同じように取り締まれ!」
という話につなげる人もいらっしゃるかもしれません。
その場合は、前を走ってる車も悪です。
ただ、捕まったのがたまたまその人だったということです。
取り締まれ!は正しいので前の車が同じようにスピード違反をしていたらそのうち捕まるでしょうし、捕まえるべきだと思います。

誤解のないように記載しましたが、
あくまでも行為の善悪に関しての話題ですので、
両方悪だからなんで俺だけ?は心情はわかりますが別のお話だと思います。
そこにはリソースの問題が大きく関わりますので。
極論を言うと、警察官が1m置きに道路に配備されてたら
スピード違反してる人ほぼ捕まえきれるのではないでしょうか。

5G時代になったら車の速度もコンピュータで監視されて、
最終的には悪いことをした全員捕まるようなシステムになると思いますので・・

人と人なので個別の善悪の基準はあると思いますが、
相手の立場を考える事で、その判断基準は共通認識へと収束していくのではないでしょうか。

って長々と書きましたが。これって当たり前な話だと私は思っています。相手との距離感って大事です。


さて、私の頭の中にある善悪の大前提をお話した上で、私が最近見た配信者の話をさせていただきます。

その前に。暴言を吐くってどういうケースが考えられますか?
相手にいら立った時、
自分が無性に腹が立って自分より弱い立場の人に八つ当たりするとき。
抑鬱状態からの発散の場合。
基本的には自分の思い通りにならない時が多い気がします。
そして、
犠牲になるのは基本的に自分よりも「弱い」と考える人たちですね。

その配信者の方も
どちらかというと弱い立場の人に八つ当たりするケースでした。
「ゲームが弱い奴は死ね!」だったり、
挨拶に来たリスナーさん(初見さん)にも「死ねゴミが」と突き放します。
彼が激昂する理由については後で明記しますが、
その瞬間を目撃した私にとっては不快と言えるものでした。

ただ、何が彼をそうさせるのだろうと思い、
しばらく視聴しているとこういった事をお話されていました。

・自分はアンチに攻撃され人間不信になっている。
 だから初見だろうとアカウント作成とフォローが最近なら攻撃する
・ネットでは自分は虐められている。
 ゲームでの嫌がらせもあってまともにプレイが出来なかった時期がある
・本来ならもっと上のステージで戦っているはずなのに  
 ゲーム弱い奴に足を引っ張られている。これもいじめだと思う
・暴言はこの悪いゲーム業界を変えるためには必要。
 誰かが言わないと変わらない
・他にも暴言言ってる人間はいるのになぜ自分だけ
 ゲームから排除されないといけないのか(ゲーム自体をBANされた)
・暴言が嫌ならブロックするか見なければ聞こえなくなる。
 ゲームは1試合全部を壊されるから暴言よりもゲームが弱い事が罪

様々な要因がありそうですが、
基本的にはアンチに対して怒っているのではないかと考えています。

彼は「自分はアンチに攻撃され困っている。
初見は基本アンチだからすぐにBANする。」と主張します。
自衛手段として攻撃的になり、
暴言を吐いたり放送に来る人を遠ざけているのだと考えます。
上記のように、彼の中には攻撃するだけの理由・原因があり、
それを拠り所として暴言を吐きます。
初見の振りをしたアンチがいるのはおそらく事実なのでしょう。
また、彼はこうも話していました。

「俺の配信でコメントするにはアカウント登録してメールアドレス入れて
フォローしないとコメントできない。そんな状態なのにわざわざコメントしに来るのはアンチしかありえないんだよ。」

twitchやopenrec、youtubeliveなど今流行っている配信サイトでは、
アカウントがなくても配信を見ることができる仕組みです。
興味を持ってコメントをしたいと思った時
初めてアカウントを作成しますし、
それまではアカウントがない方もある程度いらっしゃると思います。
実際に、私もそのサイトではアカウントがなくても配信を見れますので、
ゲストとして見ていましたので、なるほどね。とその時は思いました。
コメントする必要がないし、配信でプレイは見れるので
基本的にはアカウント作りません。
そういった方が勇気を出してアカウントを作成し、
コメントをつけたくなった。と仮定すると、
その瞬間にアンチだと認定され、罵倒され、
コメントが出来ないようにBANをされる。
とても悲しい思いをされると思います。
後日、別の配信者で有益な情報の交換をするために、
アカウント登録した経緯もありましたので、
一概に全てがアンチだとは言い切れないなと思いなおしました。

もし本当に初見さんだった場合、
暴言を吐かれた方は全くわけもわからず暴言を吐かれ混乱します。
配信者は続けて、「これは正当防衛だから」と、
自分の行為は善だと主張しています。
視聴者からしてみたら「面白そうな配信だな。」と声をかけただけで
不愉快な思いをします。
また、場の雰囲気にもそぐわず、冗談だとしても笑いが生じない為、
悪だと考えます。
アンチへの自衛手段として選んだ手が「暴言」だったということですが、
それは悪手だったのではないかと思いました。

2019年1月に、ツイッターで投稿された動画に、
路上ライブをしている女性から、
CDを購入し、その場で地面に投げ捨て、
落ちたCDを足で踏み割るという動画があがっていました。
そこには批判が殺到し、その男性へのインタビューも行われています。
その中で彼は、許可されていない路上ライブが許せなくて行動に移し、
こう語っています。
「すこし逸脱しているなとは思っています。ただ、
 そこまでしないと分かっていただけない現状があるので、
 僕の中での正義感で動いている感じ。結局、必要悪」

路上ライブが許せないなら警察に連絡し取り締まってもらえばいい。
やり方として相手の心を抉る方法は人としてどうなんだろう?

その場面しか見ていない私たちにはその前に何があったか。
もしかしたら男性は初めは優しく注意し、
聞き入れられないため警察に連絡したのかもしれません。
実際どうなのかはわかりませんが。
段階を踏んで最終的にどうしようもなくこの行為を行ったのであれば、
心情を理解できる人はいるかもしれません。

しかし、この人もその場面を動画にしてTwitterにあげるなど、
「他人から見てどう思うのか?」を吟味せず、
必要な事だからと自分の行為を肯定してしまっています。
背景がどうかわからない人たちからすればその切り抜きは
ほぼ不快なものであり肯定できないものになると思います
その齟齬が批判を生み出す結果になるのではないでしょうか。

最後に、
「ゲームが弱い奴は死ね」はそれだけ聞いたらただの我儘でしかないです。
暴言は基本的には切り抜かれると。
いえ、全てを見た上でも、どうやっても悪となってしまいます。
背景がどうであれ。

ゲームが弱いのに、謝りもせず、迷惑をかけていることにも気付かない。
お前らがいるせいでゲームが強い人は不快な思いをしている。
だからゲームを辞めるべきなんだ。

この発言に関しては私は否定する言葉を持ち合わせていません。
実際にゲームでランキングを競っている時に弱い味方に対して
イラっとすることがあります。
しかし、そのランキング帯にいる自分の実力もまた
同じくらいであるとも思います。
そこのグループの誰よりも強いのであれば、
自分は圧勝し、その圧勝したアドバンテージを活かして
他の味方を助けることができる。実際にプロになる前の方々が
配信で一番下のランクから上にあがるのを見ていますし
妨害を受けているのも見ています。
その上でやっぱり強い人は味方に関わらず高い勝率をキープできています。

強いのにゲームを動かせないのは強いだけの人で、
そのゲームの理解度やプレイの上手さがないのだと思います。

だいぶ横道に逸れました。

「こうい」の善悪って個人差があるとお話しましたが、
この個人差は恐らく「エゴ」なんだと思います。
「お互いが気持ちよく生活を送るための思い遣り」を考える時、
自分のエゴを入れてしまう事自体がおかしいのです。、
それをどれだけ排除できるかが「こうい」の善悪の基準をはっきりとさせるのではないでしょうか。

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