No.1061 アイマスクを付けて昼飯を食うイベント体験記
「暗闇ごはん」という、その名の通り暗闇の中でご飯を食べるイベントに参加してきました。
参加したきっかけはふたつ。
「たまたま見かけて面白そうだったから」
「開催地が京都だったが、自宅からちょうどいい距離で意外と簡単に行けるということを最近知ったから」
たったこれだけ
軽い気持ちで参加しましたが、いろいろと新しい経験ができて、新しい発見ができて、期待していた以上にとても良かったです。
会場は、京都駅前のだいぶ高級そうなホテルの宴会場でした。
入り口を抜けた瞬間、きらびやかな内装が眼前に広がり、無地の半そでTシャツ(若干の虫食いアリ)にユニクロのダサいズボンで来てしまったことを若干後悔しました。後悔したところで一張羅なんて持ってないので無駄ではあるが。
受付で自分の番号が書かれたカードを受け取り、いざ宴会場内へ
会場内には円卓が6台ほど並んでおり、1卓あたり(たしか)7人が着席するような感じでした。
他の参加者は、自分と同じぐらいの年代っぽい人から50~60代っぽい人まで、友達と来てそうな人、カップルで来てそうな人、親子で来てそうな人、一人で来てそうな人と、多種多様といった感じでした。
自分の座った卓は、自分と同じ年代っぽ人が自分含め4人と、50~60代の人が2人、そのうち一人と自分と同じ年代っぽい人のうち一人は一緒に来たらしく、イベントが始まる前からポツポツと会話をしていました。
その他は、自分含めぼっち参戦のようで、おのおのスマホ見たり机の上の物を観察したりと、なかなか気まずい空気が漂っていました
しかし、気まずかったのは最初だけで、みんな揃って「視覚情報を与えられないまま何かを食べる」という体験をするわけですから、2品目が卓上に並ぶころには、「この食べ物、食材はなんなんですかね?」とか「なんかフルーティですけどわからないですね」とか「これはナスでしょ」とか、食事はもちろん会話も楽しめました。
視界がふさがっているということもあり、人の顔を見ることが苦手な自分でも、その頑張りをせずとも会話してよいという前提条件があったので、いつもより進んで会話できました。
イベントの本質である、「視覚情報を失った状態で物を食べる」ということについての感想ですが、まず第一に、人間は物を食べるとき、いかに資格情報に頼っているのかを実感することができました。この体験は自分でやろうと思ってできることではないので、体験できてよかったです。
意外とわからなくなるものですよこれは。和食メインだったので、全体的にダシの味が効いてるものとか塩気のあるものが多かったんですが、口に入れて最初に感じる「風味」とか「しょっぱさ」が、普段感じるものとだいぶ違いました。
脳みそが「これは〇〇の食材を使っている」とわかれば、二口目は多少違和感がなくなるのですが、何を使っているか確証が持てなければ、ずっと味が自分の中で固定されず、フワフワした感じになります。
あと、普段の食事はスマホを見ながらとか、食事をしたあとのこととか、とにかく食事以外のことに気を向けながらとっていた、ということに気づかされました。
今回はそもそも視界が奪われているため、食事にしか集中できない状態にあり、それに加え、一品ごとに、「食事のあれこれについて考える」というミッションを課されました。
例えば「この食材はどこから来たのだろうか」とか「自分はこの食べ物を食べるに値する人間だろうか」とか。「いただきます」の語源が仏教の経典(?)(名前は忘れた)らしく、その教えをひとつずつ考えながら食事をする、という感じでした。
とにかく、視界を奪われ、思考も食事に集中させながら食べたわけですが、ここで、「今までいかに食べ物のことを考えずに食べ物を食べていたか」が如実に現れ、驚いたというわけです。
もう寝たいのでここでおわりますが、まだ書きたいことはもう少しあって、同卓のおじちゃんが知識人で食べ物や京都のことをいろいろ教えてくれたこととか、同卓の自分と同年代ぐらいの人が自分の母校に通っているとか、いろいろありますがもう寝ます。なぜならあしたは月曜だから。
どぅいどぅいどぅ~