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No.1072 自然主義的誤謬の誤り

ツイッター見てたら、

「弱者男性」って、結局モテない男性のことか。仕方ないよ。人間に限らずメスは優秀で強いオスを求めるので。

というツイートに「典型的な自然主義的誤謬だ」という反論がされていた。

自然主義的誤謬ってなんだろうと調べたら、「自然界の法則を安易に人間社会の規範として適用しようとする誤り」と出てきた。
今回の例だと、「メスは優秀で強いオスを求める」という自然界の法則を人間社会に適応し、優秀で強いオスではない男性をモテない男性とし、「仕方ない」とすることで暗に規範の逸脱者だとしている。モテないことには他に様々な要因が考えられるにもかかわらず、自然界の法則という一点から逸脱者だと判断していることから、自然主義的誤謬だと言えるだろう。

気になったので、自然主義的誤謬についてもう少し調べてみた。
すると、どうやらページによって説明が少しズレていることに気付いた。よく見てみると、説明のわかりやすい経済ジャーナルや個人サイトと、ハードルの高い哲学の解説サイトや論文集で説明が2分化されている。

前者のわかりやすいサイトの説明は上記のとおりだ。
自然界に「ある」現象を人間社会の「あるべき」規範として採用してしまうことによる誤り。例として、浮気した夫が動物の本能に従っただけなので仕方ないと開き直ることは誤りだ、という説明が添えられていることが多い。

対して、難しいサイトの説明はこうだ。
倫理的な「善」とは、それ自体で存在するものであり、自然界のあらゆる言葉で説明することはできない。それを、自然界の「快い」などの他の言葉を使って表すことは不可能である(ここでいう自然界とは、野性的な自然でなく、今存在している世界そのものを指す言葉だと解釈した)。

全然違う。
たぶん、元々あった哲学用語を、「自然主義」という言葉の連想から人工と対比した自然と捉え、「自然では倫理を説明できない」という部分だけが抽出されて、誤った用法が広まったのだと思う。
確かに、元の意味よりもわかりやすく、なおかつ「人間が元々動物であることを言い訳にしてゴネる」ということを端的に表す言葉はなかったわけだから、こちらの意味が浸透するのも頷ける。
現にtwitterで検索すると、こちらの意味ばかりがヒットする。

でも、こちらの使い方には問題があると思う。
なぜなら、「自然主義的誤謬」なんていうと、その言葉には学術的な権威があるように感じられるからだ。頭のいい人たちの議論の末に生まれた言葉で、正しいような感じがしてしまう。
でも、実際に議論されてきたのは哲学での意味の方で、こちらの意味の「自然主義的誤謬」にはなんの裏付けもない。「それは自然主義的誤謬だよ」なんて言われると論理的に間違ったことを言ってしまった気になるが、なんの裏付けもない「自然主義的誤謬」という言葉はもはや単なる感想だ。
ここで、この言葉を調べるきっかけとなったツイートは、その人にとっては不本意ではあるだろうが、ただの難癖になってしまう。

自分は、人間は動物から進化してきた以上、いくらか動物としての本能を持っているのは当たり前であると思っている。勿論、全ての事柄を動物の本能としてしまうのはあまりに短絡的で良くない発想だと思う。ただ、人間を動物の枠を超えた生き物であると考えるのも同様に良くないと考えている。

人間は動物の一種である。
その考え方を簡単に切り捨てることのできる、誤った「自然主義的誤謬」という言葉が広まってしまうのは、個人的に良くないことなのではないかと思う。

今回の件で、よくわからない単語があったらちゃんと調べる習慣をつけるのは大事だなと思った。

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