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ここ数ヶ月の葛藤とこの夏の出来事

初めにお伝えしておきますが、今日のnoteは長くなります。

私には現在3歳になる娘がいます。
3月まで福岡に住んでいて、正社員で仕事もしていたので、産休育休を経て、娘を保育園に預けて仕事をしていました。

そしてこの春、夫の転勤のため大分へ引っ越しをしました。そのため、私は退職し、娘は幼稚園(年少組)へ入園。

私の仕事はというと、土地勘もないところですぐに働く気にはなれず、しばらくゆっくりしたいなという考えと、お金のことを考えると仕事をしたいなという考え、2人目妊活もしていたので、働きたいけどすぐに働くのはちょっとな...という感じでした。

あと、私は星読み(西洋占星術)を勉強して、自分の運気の流れというのも分かっており、今は体力・気力が低下している時期でストレスはなるべくなくすように過ごした方がいいということが分かっていたので、今は無理に仕事を探さなくてもいいかなという思いもありました。

私の場合、夫の転勤のための退職だったので、特別理由離職者という扱いになり、待機期間なしですぐに失業保険がおりるということで、すぐにハローワークに通い失業保険をいただけたのでありがたかったです。

そんな感じで4月に引っ越してからは、専業主婦状態となりました。

2人目妊活に関しては、2023年夏頃から不妊治療を始めていました。

1人目を妊娠するまでも、胞状奇胎や流産を経験し、結局は自然妊娠することができ無事に産まれてきてくれたので、私の中では1人産まれてきてくれただけで十分、という思いがありました。

ただ、夫は娘に兄弟を作ってあげたいという思いが強く、私もその意見に同感でしたが、また寝不足になったり、年齢も30代後半で赤ちゃんのお世話をするのがきつい、やっと1人の時間ができるようになってきたのに、など、なんとも利己的でマイナスな考えばかりが浮かんで、その自分の考えに苦しんでなかなか踏み切れずにいました。

でも、絶対に子どもは1人でいいという決断もできず、どこか2人目のことを考える自分もいました。でも、治療してまで2人目が欲しいのか?など、本当にぐるぐる葛藤する日々。
本当に子どもが欲しくて治療を頑張ってる人がほとんどの中、こんな宙ぶらりんな気持ちで治療に通っていいものかとも思いました。でも、自分の年齢を考えると少しでも早く動いた方がいいと思い、葛藤がありながらも、まずは婦人科を受診したのが2023年の夏。
そこでいろんな検査をし、卵巣年齢を示すAMHがかなり低かったことと、両側卵管閉塞が見つかりました。
卵管閉塞の原因は分からずでしたが、1人産まれているので出産後に閉塞した可能性が高いとのことでした。

すぐに体外受精までできるクリニックを紹介され、転院しました。私の周りには不妊治療してる人が結構いて、いろんな人から話は聞いていました。

仕事も急にお休みをもらったり、早退させてもらいながら通院していましたが、なかなかのストレスでした。(職場の理解もあり、お休みをもらいやすい環境でしたが、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいでした)
そこでは、採卵2回、移植1回しましたが着床せず。

夫の転勤で引っ越すことになり、娘も幼稚園に預けるし、大分から福岡市内までは特急で2時間程かかるため、福岡までの通院は困難だなと思いました。
そのため、大分の不妊治療ができる病院へ転院しましたが、福岡のようにたくさん不妊治療ができる病院がないため、患者さんも多く、採卵や移植するのに待ちがあるとのこと、私のAMHの値からするとこれが最後の治療と思って後悔ない治療をして欲しいから、有名な病院へ行くのはどうかと先生から提案がありました。

夫婦で話し合い、紹介してもらった北九州の有名な不妊治療の病院へ転院することにしました。(全国的に有名なので、分かる方はすぐに分かると思います)

その病院は、特急で1時間半くらいでなんとか通院できる距離、遠距離通院の人も通いやすいように地域の産婦人科と連携されてるので通院回数が少なくて済むということもあり、転院するという決断に至りました。
(娘も幼稚園の預かり保育を単発で利用できたので、ギリギリお迎えに間に合うというのもあり。)

転院してすぐに治療に入りました。
私の中では、福岡市で通ってた不妊治療の病院よりもなんとなく雰囲気はこちらの病院がいいなと、気持ち的に楽な感じがしました。

治療開始して、自己注射、点鼻薬などをし、採卵で2個の卵がとれました。(AMHが低いので卵がたくさん取れません)
そのうち、1つはほとんど分割せず破棄となり、1つは胚盤胞まで育ち、グレードも良かったので、凍結せずすぐに移植する新鮮胚移植に進みました。

そして、この治療で奇跡的に妊娠することができ、現在12週になりました。
流産も経験しているので、不安はありましたが10週まで不妊治療の病院へ通い、無事卒業することができました。
予定日は3月。娘の誕生日の2日後が予定日なので、同じ誕生日になる可能性もなくはない。どうなるか楽しみです。

5週後半から始まったつわり。
6週目の時には、以前から計画していた東京でのイベントに参加する予定でとっても楽しみにしていたんですが、体調面を考え泣く泣く断念しました。

そしてこの夏は、大分に引っ越して初めての夏だったので、娘をたくさんいろんなところに連れて行って遊ばせたり、キャンプへ出かけたり、夏らしいことしたいなぁなんて考えていました。

でも、つわりで自分の体が思うように動かず、起きている間はずっと気持ち悪い。
娘が幼稚園の夏休みに入ると、1日中1人で家族も友達もいない環境で、吐き気の中、娘の相手をしたり家事をするのは厳しいと思いました。

ありがたいことに、母は仕事に行くのも週末くらいで家にいるので、幼稚園の夏休みに入ったと同時に、佐賀の実家に帰省し、この夏は実家で甘えさせてもらって過ごしました。

吐き気のせいで、毎日日課として聴いていた大好きなVoicyもほとんど聴けなくなり、1日をソファーでゴロゴロ、吐き気に耐えて過ごす日々。

1日が本当に長い。

インスタやnoteを見れる時に見たり、録画したドラマを見たりしていました。他には、Voicyで大好きなパーソナリティの小川奈緒さんのオンラインイベントに参加したり、星読みで仲良くなった方とzoomでお喋りしたり、娘と母と妹と近場にお出かけしたりしたり、吐き気がある中でも気分転換して過ごせました。

気分転換ができるくらいなので、悪阻で入院する人に比べれば私のつわりは軽いほうだと思いますが、辛いものは辛いですね。

私は嘔吐恐怖症なので、吐きそうになっても吐けないんです。とにかく自分が吐くのも誰かが吐くのも怖い。なのに看護師をしていたわけですが、白衣を着てるとなんとか大丈夫だから不思議なもんでした。

と、少し話が逸れましたが、この夏はつわりに苦しみ、なかなか自分のやりたいこと(音声配信を聴いたり、読書、星読みの勉強、鑑定、外出など)が出来ない日々で、家族の支えが泣ければ病んでいたのではないかと思います。

母が毎日家事をしてくれたり、妹が娘を遊びに連れて行ってくれたり、妹は鍼灸師なので治療をしてくれたりと、至れり尽くせりで過ごすことができ、本当に感謝です。

逆に、つわりの時期が夏休みと被ってなかったら、どうなっていたんだろうと考えたら恐ろしいです...

でも、子育てしながら親のサポートも得られず、つわりがある中でも夫婦で協力したり1人でも頑張っている方がたくさんいらっしゃると思うので、私は甘えてるなぁと思います。甘えられる環境があることに、感謝を忘れずにいたいです。

今日のnoteは長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

体調が回復したら、やりたいことを少しずつやりたいなぁと思いながら、まだ吐き気と戦う日々ですが、noteも書ける時に更新していけたらなと思います。

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