どうか、いつまでもそのままで。
私には、ここを超える喫茶店にはもう一生出会えないんじゃないか、と思うくらいに大切なお店がある。
その喫茶店は、前職で働いていた会社の近く、花屋さんの角を曲がると見えてくる。
焦茶色の革張りのソファ。やわらかな電球色の灯り。
入口のドアは開け放されていて、目の前の道路を行き交う車の音、人びとの足音、たくさんの音が聞こえてくる。
必ず頼んでしまうのが、名物のナポリタン。
ケチャップの味がガツンと濃くて、もちもちとした太めの麺。
銀色の長丸のお皿に盛られて、湯気を立てて出てくるナポリタンは、最後の晩餐があるとしたらその時に食べたいくらいにお気に入り。
前職で働いていた時、数え切れないくらいこの喫茶店に足を運んだ。
ひとりで、同僚と、同期と。恋人を連れてきたこともある。
嬉しい時も苦しい時も、いつだって変わらずこの場所がそこにある、という安心感。
仕事が変わって職場が変わってからも、定期的にこの店を訪れている。
仕事終わりに少し足を伸ばして、通い慣れた駅からお店までの道を歩く。
「こんにちは」控えめに挨拶をして入り口をくぐると、お店のおばあちゃんが「どうぞ、好きなお席にね」と迎え入れてくれた。
変わらないナポリタンの味。
サラリーマンのお兄さんのたたくキーボードの音、おしゃべりする学生たちの笑い声、ご近所のマダムたちの井戸端会議も。
厨房の奥からは、じゅーじゅーと美味しそうな音が聞こえてくる。
深煎りの濃い珈琲を飲みながら。
そっと目を閉じ、耳をすませて。
素朴で、あたたかくてちょっと気怠いような、このかけがえのない空間が、
永遠とは言わないから、少しでも、一日でも一秒でも長くここにありますように。
そう願ってやまない。