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【街と街道を歩く】東海道を歩く(箱根湯本〜三島)その3
箱根宿
二日目は、箱根宿の見学からスタート。
二日目も天気は良く、芦ノ湖畔から富士山が綺麗に見えた。
東海道五十三次の10番目の宿場である箱根宿は、1601年(慶長6年)正月に徳川家康が定めた宿駅伝馬制により、遅れること17年後の1618年(元和4年)に設置された東海道の宿場町。
宿場は、小田原宿と三島宿からそれぞれ50軒、約600名を移住させて作った宿場とのことで、旧箱根宿の中心部には字名で小田原町、三島町の名前が残っている。
宿場は、小田原宿からは4里8町(16.6km)、三島宿までは3里28町(14.8km)の距離にあり、日本橋からは24里35町(98.1km)の距離にあった。
宿場は、江戸側から「新谷町」「新町」「小田原町」「三島町」「芦川町」の五町で構成され、1843年(天保14年)の「東海道宿村大概帳」では、総家数197戸、宿内人口844人(男438人、女406人)で、本陣6軒、脇本陣1軒、旅籠72軒、問屋場2軒の構成だったそうだ。
東海道の中では小さな宿場だったそうで、宿場の中心部に7軒の本陣・脇本陣が軒を連ねていたそうだ。
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ついでに、箱根駅伝の往路ゴールの場所も見学。
東京大手町から107.5kmもの距離を走るって…。
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駒形神社と石畳の坂道
宿場を過ぎると箱根峠への登り道となった。道の脇には駒形神社の鳥居が見えた。駒形神社は箱根七福神の一つ毘沙門天のあるところだそうだ。
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駒形神社を過ぎると、再び石畳の坂道が続く。
向坂、赤石坂、風越坂と順番に石畳の道を歩いた。
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一旦、道の駅 箱根峠まで歩いたところでトイレ休憩した。
令和元年10月12日の台風19号の影響で土砂崩れ等の被害が生じたために、茨ケ平・石畳入口から接待茶屋までの区間では通行止めなっていたため、「道の駅 箱根峠」からバス移動した。
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山中新田と山中城跡
再び石畳の道を歩き始め、山中新田に入る。
歩き進むと山中城跡に到着。
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山中城は中世の山城跡で、国の史跡に指定されている城跡。
後北条氏第二代の北条氏康によって永禄年間(1558年~1570年)に築城された小田原城の支城の一つで、後北条氏の本拠地、小田原の西の防衛を担う最重要拠点の城だった。
三島市が1973年(昭和48年)から発掘調査を開始して復元・整備をして、1981年(昭和56年)から一般開放された史跡公園だそうだ。
第四代北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修して防備を固めるようにしたが結局間に合わず未完成のまま、1590年(天正18年)3月29日、4万の豊臣軍の総攻撃を受けたそうだ。
後北条軍は4千人で、必死の防戦も虚しく半日で落城したと伝えられているそうだ。
駒形諏訪神社⇒兵糧庫⇒本丸⇒二ノ丸⇒元西櫓⇒西ノ丸⇒田尻の池⇒箱井戸の順に見学したが、16世紀の山城の構築が興味深く面白かった。
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