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【書評】勘定奉行 荻原重秀の生涯 ―新井白石が嫉妬した天才経済官僚

荻原重秀は悪い奴だったとされているが、その根拠は新井白石の「折たく柴の記」だけで、一次史料が根拠に挙げている訳ではないと著者は語っている。

若くして勘定所に採用された荻原彦次郎重秀は、金銀改鋳や各種検地による幕府財政の立て直し、代官査察、佐渡鉱山開発、長崎会所と大坂銅座の設置による貿易改革、地方直し、東大寺大仏殿再建、富士山宝永大噴火災害賦課金、運上金創設など、多彩な業績を残した存在だ。
一方で、代官粛正や佐渡の実測検地などにより多くの人々から恨まれる存在にもなっている。

本書は、金属貨幣の限界にいち早く気づいた荻原重秀の先駆的な貨幣観に着目しつつ、悪化の一途をたどる幕府財政の建て直しに苦闘し、最後は謎の死を遂げるまでの生涯を描いた書である。

本書の著者

村井 淳志著「勘定奉行 荻原重秀の生涯 ―新井白石が嫉妬した天才経済官僚」集英社刊行
2007年3月21日発行

本書の著者の村井淳志氏は、1958年名古屋市生まれ。東京都立大学大学院博士課程(教育学)単位取得退学。金沢大学教育学部教授。専門は歴史教育・社会科教育論。

本書の章構成

本書の章構成は以下のとおり。

序章 評価分かれる荻原重秀
第1章 新規召出―出生、家族、幕吏への登用(十七歳)
第2章 延宝検地―「検地条目」の新規立案、新方式の検地で頭角を顕す(二十二歳)
第3章 代官粛正―わずか三ヶ月の会計調査で、勘定奉行を総退陣に追い込む(三十歳)
第4章 佐渡渡海―大規模排水工事で、佐渡に「近江守様時代」をもたらす(三十四歳)
第5章 金銀改鋳―「貨幣は国家が造るもの、たとえ瓦礫であっても行うべし」(三十八歳)
第6章 長崎会所―銅の輸出で、運上金と金銀流出阻止の一石二鳥を狙う(四十二歳)
第7章 増収模索―元禄の地方直し、東大寺大仏殿再建、富士山宝永大噴火(五十歳)
第8章 解任失脚―緊急避難の銀再改鋳、新井白石による弾劾、御役御免(五十五歳)
第9章 ゆう下断食―荻原重秀の死因は本当に自殺だったのか?(五十六歳)
終章 荻原重秀死去後のこと

本書のポイント

本書の中で著者は、荻原重秀という人物自身の生涯を詳しく調べようとすると、ほとんど資料がない」と述べている。
そのため著者は「徳川実記」の原資料にあたる「柳営日次記」、「御日記」や佐渡奉行所の公式記録「佐渡年代記」、地方史料や古文書の調査結果から得られた先行研究から、荻原重秀の業績を改めて問い直している。

そして、「なぜ彦次郎が、ヨーロッパの経済学界よりも二百年も早く、名目貨幣の考え方に気づくことができたのか」を推論している。
また、第九章の荻原重秀の死に関する推測も興味深い内容だ。
経済官僚荻原重秀の実像と死の謎に迫る書。

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