【街と街道を歩く】東海道を歩く(三島宿~原宿)その1
2023年5月下旬の週末、旧東海道を三島宿から原宿までの大凡16kmを歩いてみた。
天候に恵まれ、歩きだした頃は富士山も山頂部分が見えたりしていた。
白滝公園
白滝公園は、三島駅から約500m南にある。
公園の名の由来は、かつて、富士山からの湧水が滝のように湧き出していたことから白滝の名が付いたそうだ。
公園内には、大きな溶岩が見られる。富士山の噴火の際に三島まで溶岩が流れてきたときのものだそうだ。
白滝公園でストレッチをしてから歩行を開始した。
本陣跡
9:30AM頃、本町交差点を右折して旧東海道を歩きだした。
歩き出してすぐに瀬古本陣と樋口本陣の碑に遭遇。
案内板もあり、昔の本陣の間取り図や宿間町の模型図も付いていたので、昔の宿場町がどんな感じか少しわかった気がした。
三島宿は、箱根宿からは3里28町(14.8km)、沼津宿までは1里5町(5.9
km)の距離にあり、日本橋からは28里27町(112.9km)の距離にあった。
天保14年(1843年)の「東海道宿村大概帳」では、総家数1,025戸、宿内人口4,048人(男1,929人、女2,119人)で、本陣2軒(世古本陣、樋口本陣)、脇本陣3軒(銭屋、綿屋、大和屋)、旅籠74軒、問屋場1軒の構成だった。
箱根という難所と接する宿場だったこともあって本陣・脇本陣が5軒と多く、旅籠の数も多い宿だった。
宿場は、伝馬、久保、小中島、大中島の4町が宿の中心地で、運営もこの4町が核となり行われていたそうだ。
三石神社と時の鐘
歩き進めると、三石神社境内にある「時の鐘」に遭遇。
江戸時代、三島宿に時刻を知らせていた鐘だそうだ。ただし、昔の鐘は第二次世界大戦の際に供出されてしまい、現在の鐘は1950年に市民の有志によって造られたものだそうだ。
境内の脇を流れる「源兵衛川」には源氏蛍と平氏蛍が生息しているそうで、自然が残る街が羨ましく感じた。
千貫樋
千貫樋は、伊豆国と駿河国の国境、境川に掛けられてある樋で、現代は三島市と駿東郡清水町の境、狩野川水系境川に架かる鉄筋コンクリート構造の水路橋だ。
もともとは木製の樋だったそうだが、1923年(大正12年)の関東大震災で崩落し、現在の鉄筋コンクリートに改められたそうだ。
案内版によると、千貫樋の創設は、「天文二十四年(千五五五年)今川、武田、北條三家の和睦が成立した時、北條氏康から今川氏真に婿引出物として、小浜池から長堤を築き、その水を駿河に疎通させたおいうのが一般に認められている」と書かれていた。
五井寺一里塚と宝池寺一里塚
10:10AM、一里塚に到着。
旧東海道の29番目の伏見一里塚は、街道の北側の玉井寺一里塚と南側の宝池寺一里塚の一対で「伏見一里塚」と呼ぶらしい。
案内版には、江戸から113.9kmと書いてあるが、あるサイトに書いてある実測値を足し合わせると117.8kmと出てきてしまい、どの情報が正しいのだろうかと・・・。
対面石八幡神社
通称、対面石八幡神社は、平家の東征軍を富士川で迎え撃ち敗走させた源頼朝が、翌日、黄瀬川まで戻った際に、奥州平泉より駆けつけた弟の源義経と対面した場所と言い伝えのあるところだ。
境内には二つの石があり、案内版には「この対面の時、兄弟が腰かけた二つの石を対面石いう」と書かれていた。
黄瀬川
10:50AM黄瀬川に到達。
黄瀬川は、静岡県を流れる一級河川。狩野川水系最大の支流で流路延長は30kmあるそうだ。
御殿場市に源を発する川だそうで、沼津市と清水町の境で狩野川と合流するそうだ。
黄瀬川と聞くと、昨年の大河ドラマの影響でなんとなく川を見入ってしまった・・・。
この頃になると、富士山は雲に覆われ見えなくなってしまった。
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