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【海外の街を歩く】リスボンを歩く(その5)

リスボンの坂道

リスボンは別名「7つの丘の街」と呼ばれており、坂の多い起伏に富んだ地形の街だ。
坂道を歩いてみたり、トラムやケーブルカーを使って巡ってみたが、垣間見える鮮やかなオレンジ色が連なる屋根や爽やかな青い海の美しいコントラスト、高低差が織りなす風景に魅せられた。

リスボンの坂道
トラムの軌道が通る通り

サント・コンデスターヴェル教会

トラム28番線に乗り、終点のプラゼーレス墓地まで行ってみた。
そこから徒歩で戻り始め、サント・コンデスターヴェル教会の前を通った。

サント・コンデスターヴェル教会(Igreja do Santo Condestavel) .は、2つの塔があるシンプルな綺麗な外観の教会。
教会がある風景を観ると、ヨーロッパの都市にいることを実感する。
教会内部を撮影した写真が無いので、多分、中には入らなかったのだと思う。

サント・コンデスターヴェル教会

カンポ・デ・オウリケ市場

サント・コンデスターヴェル教会の北にあるカンポ・デ・オウリケ市場に寄ってみた。
リスボンには、テージョ川沿いのカイス・ド・ソドレ駅の前にあるリベイラ市場(Mercado da Ribeira)が有名で、前日はリベイラ市場内のフードコートで夕食を取った。
カンポ・デ・オウリケ市場(Mercado de Campo de Ourique)は、ベイラ市場と比べるとのんびりとした雰囲気とのことだったので覗いてみると、確かに人混みも少なくゆっくりと市場内を歩き、新鮮な野菜やチーズ、ハムなどの食材を販売する店を覗いた。
昼食をカンポ・デ・オウリケ市場で取ったが、何を注文したかは忘れてしまった。

カンポ・デ・オウリケ市場

エストレラ大聖堂

エストレラ大聖堂 (Basílica da Estrela)は、リスボンにある大聖堂。
時のポルトガル女王ドナ・マリア1世が、息子ジョゼ王子の誕生を祝って建てた教会。
1779年に建設が始まり、完成したのは1790年。ただし、ジョゼ王子は1788年に天然痘で夭折した。
祭壇にはドナ・マリア1世の棺が安置されている。

リスボン西部の丘の上に建つ教会は、遠方からもよく見える。
教会は2つの鐘楼と巨大なドームで構成されたネオクラシック様式の外観で、内部にはバロック調の装飾が施されている。

エストレラ大聖堂
エストレラ大聖堂の内部

サン・ベント宮殿

サン・ベント宮殿(Palácio de São Bento)は、ポルトガルの国会議事堂。
宮殿は1598年に建てられたベネディクト派修道院を前身とするが、1820年の自由主義運動と1834年の宗教抑圧の後、修道士たちは修道院から放逐され、ここに議会が設置された。
建物は議宮 (Palácio das Cortes) または議院 (Parlamento) と呼ばるようになり、以降改修が進められて、新しい機能をこなせるように建物は変わっていったそうだ。
現在は、4年間を1会期とする一院制、定員230名の共和国議会Assembleia da República)議場として使用されている。
一国を代表する建物だけに威厳を感じた。

サン・ベント宮殿

サンタ・アポローニャ駅

サンタ・アポローニャ駅(Estação Ferroviária de Lisboa-Santa Apolónia)は、1865年5月1日に開業したリスボンでは最も古いターミナル駅だそうだ。歴史的な地区であるアルファマ地区に位置している。

駅の北には17世紀に建てられたサンタ・エングラシア教会やサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院があり、西側には軍事博物館がある。

リスボンのターミナル駅としての機能は、以前はロシオ駅が担っていたが、今日ではサンタ・アポローニャ駅とオリエンテ駅とが担っているそうだ。

この時のマドリッドへの移動で利用した国際夜行列車ルシタニアはサンタ・アポローニャ駅が発着駅となっていたことから、夕刻、トランクルームを抱えてサンタ・アポローニャ駅に向かった。

(参考)リスボンの概要

リスボンは、ポルトガルの首都で同国最大の都市。
リスボンの行政区としての人口は54万人あまりであるが、都市圏としての人口は300万人を超え、欧州連合域内では11番目に大きな都市圏を形成している。
ポルトガルの政治や経済、文化の中心地。
テージョ川の河口の天然の入り江は古くから貿易商や船乗りに利用されていたといわれる。リスボンの歴史は、フェニキア人によるアリス・ウボ(Alis-Ubbo)の名のもとに始まり、紀元前48年にはガイウス・ユリウス・カエサルによりローマ都市の資格を与えられ、フェリキタスユリアと改名し、属州ルシタニアの首都となった。

8世紀からムーア人が侵入するにともない、町の名はアスハボウナ(Aschbouna)と変わるが、1147年にポルトガル初代国王アフォンソ・エンリケス(Afonso Henriques)がレコンキスタの一環としてこの地を奪回し、ポルトガルの領土となった。
ポルトガルの首都となったのは1255年。以後、ポルトガルの中心となった。

リスボンには欧州薬物・薬物依存監視センター(EMCDDA)と欧州海上保安機関(EMSA)の2つの欧州連合の専門機関が置かれている。

人口:54万5,796人(2021年現在)
面積:84.8km2

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