【海外の街を歩く】リスボンを歩く(その1)
2018年9月8日(土)から2018年9月15(土)にかけて、夏休みを利用してポルトガルのリスボンとスペインのマドリード、バルセロナを旅行した。
旅行で行き先にポルトガルを選んだのは、以前、ポルトガルの国名の由来にもなった町「ポルト」のホテルの窓からの眺めを映したテレビの映像に惹かれたからだった。
ただし、ポルトにどの程度観光スポットがあるか良くわからなかったので、まずはリスボンを見てみようと考え、この時の旅行では、リスボンを行き先に選んだ。
9月8日(土)の午前中に成田空港を出発し、パリ経由でリスボンまでフライトした。
空港からリスボン市内までは鉄道を使ってホテルまで移動し、ホテルにチェックインしたところでその日は活動を終了した。
実質的な観光は、翌9月9日(日)から開始。
ホテル周辺の道には自動車の駐車が多かった。
マルケス・デ・ ポンバル広場
最初に行ったのは、ホテル近くのマルケス・デ・ポンバル広場だった。
マルケス・デ・ポンバル広場(Marquis of Pombal Square)は、ポルトガルの首都リスボンにある環状交差点の広場。
1750年から1777年に、国王ジョゼ1世の全面的信任を得て長期独裁権力を振った宰相ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョにちなんで名付けられた広場だそうだ。
”Marquis”=「侯爵」という意味なので、ポンバル侯爵の広場という意味になる。
ビルに囲まれた広場。広場の中心には、ポンバル侯爵が立つオベリスクが建っていた。
エドゥアルド VII デ・イングラテーハ公園
マルケス・デ・ ポンバル広場から、北西の方向に続く登り斜面にエドゥアルド VII デ・イングラテーハ公園(Parque Eduardo VII)がある。
公園は、イギリスのエドワード7世が1902年にリスボンを訪問したことを記念して造られたものだそうだ。
幾何学模様の美しい巨大なフランス式庭園で、両側には緑が茂る遊歩道が延びていた。
公園の脇の遊歩道を歩いて緩やかな坂道を登ったが、天候にも恵まれて気持ち良かった。
アマーリア・ロドリーゲス庭園
アマーリア・ロドリーゲス庭園(Jardim Amália Rodrigues)は、エドゥアルド VII デ・イングラテーハ公園の更に北西にある庭園。
坂道の斜面を更に登りたどり着いた。
庭園からの見晴らしは良く、リスボン市街がよく見えた。
リベルダーデ大通り
アマーリア・ロドリーゲス庭園から南東の方向に坂道を降り、マルケス・デ・ポンバル広場を通り過ぎ、リベルダーデ大通り (Avenida da Liberdade)を歩いた。
リベルダーデ大通りはリスボン中心部の大通りであり、「リベルダーデ( liberdade)」とは、「自由」を意味する。
大通りの北端はマルケス・デ・ポンバル広場で、南端にはレスタウラドーレス広場がある。
同大通りは、1879年から1882年にかけ建設されたものだそうで、手本としたのはパリの大通りなのだそうだ。
大通りには街路樹が植えられ、緑の中を歩いているようで気持ちよかった。
レスタウラドーレス広場
レスタウラドーレス広場(Praça dos Restauradores)は、リスボンのバイシャ・ポンバリーナ地区にある広場で、広場の中央に同君連合を組んでいたスペインからの独立(ポルトガル王政復古戦争)を記念した、高さ約30mのオベリスクが立っている。
レスタウラドーレス(Restauradores)とは、「復興者」を意味するそうだ。
コメルシオ広場
コメルシオ広場(Praça do Comércio)は、リスボンのテージョ川近くにある広場で、「貿易広場」という意味だそうだ。
広場は以前はテレイロ・ド・パソ(Terreiro do Paço)といったそうで「宮殿広場」を意味するとのこと。
この以前の名称は、1755年のリスボン地震で崩壊したリベイラ宮殿があった場所のためだそうだ。