本質の味は技術の上にある
昨今の特に食べ歩きを自称している方の味覚は表面的な所しか感じ取れてない方が多過ぎる事に危機を感じる。
そして料理人も基礎のない料理を作る人がどんどん多くなってきている。
料理を食べればその方の技術は分かるもので、
僕はその先に作った人の感情も感じ取れてしまう。
このシェフは迷いながら味をつけてるなとか。
この方は美味しい最大限のスポットの一線を超えた事がないからモヤっとした味しか付けられない人だなとか。
このシェフは自分の目指す落とし所をピンポイントで料理を作っている味だ!とハッとさせられたシェフも唯一いる。
そこまで感じろとは言わないが、せめて塩味や甘味ではなく、料理技術があっての味覚を感じ評価してもらいたい。
どんなに優れた料理人でも人だからズレる時はあるが、技術がある方がずれた味を出したとしてもその改善点はわかっているのでまた違うアプローチなりで修正して次の時には料理が出てくるはず。
ただ、技術が無い料理人の表面的な味が例えその時は合っていたとしてもそれはたまたまであって次にどうなるか賭けでしかないし、そのシェフの料理がブラッシュアップしていく事は絶対に無い。
例えばだが、なんでも仕上げに塩をふり提供する料理は一瞬口に入れた時に美味しいと誤魔化されがちな料理の一つだ。
だから表面的な味を美味しいと評価してしまう事こそ料理人の成長を無くし、結果レストランや外食文化の衰退に手を貸す行為になっていると思う。
蘊蓄だけは達者で引き算にもなってない料理だったり、スポンジすらちゃんと焼けてないのに美味しいロールケーキだと言うてたり、
すが入りまくりなプリンであったり。
ケーキやテリーヌの油脂分が分離してるのに美味しい言うてたり。
情けない料理の数々が目につく。
料理やケーキ作りが素直に好きな主婦の方の方が基礎が出来てるし仕上がりも綺麗!
プロとしてのプライドは無いのか…
同業として悲しくなる…
今年伺ったレストランで情けない料理を出す記憶に残ってしまっているお店はどちらもイタリアンという悲しい現状だ。
イタリア料理だからといえ、それだけをやれば料理が上手くなるわけではない。
視野を広くもち客観視出来なければお客様を心の底から感動させる事は出来ない。
・同じは衰退
・一歩成長して同じ
・2歩成長してやっとお客様はブラッシュアップしたと気づいてくれる
そう思い日々自分の料理と自分自身と向き合い続けるしかない。
#外食が好きならやるべき言動は真逆を向いている
#投稿ありきの食べ歩きの方の顧客はかなり減らした
#takamasa
#渡邊将史
#飲食店の社会的地位の向上が最大の目的理由
#食は心を育てる物礼節の学び場
#今のままでは日本の食文化やレストラン料理人が育たない
#オーナーもお客様もルールの上に成り立つ
#お山の大将を無くし
#料理人の前に人としての当たり前をしなければ変えられない