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Farzin, Guggenheim & Krause (2024) 「理論化の諸要素」

Farzin, S., M. Guggenheim & M. Krause, 2024, “Special Issue: The Elements of Theorizing,” Distinktion: Journal of Social Theory, 25(2): 135-144. 

https://doi.org/10.1080/1600910X.2024.2388530


今回紹介するのは、Distinktion誌の特集"The Forms of Theorizing"の序文である。本特集号には、以下の論文が掲載されている。

  • Julian Go: "Theoretical innovation and perspectival realism"

  • Michael Guggenheim: "Theorizing is not abstraction but horizontal translation"

  • Isaac Ariail Reed: "Social theory and overinterpretation"

  • Tobias Schlechtriemen: "Social figures as elements of sociological theorizing"

  • Tobias Werron, Jelena Brankovic & Leopold Ringel: "Theorizing together"

  • Monika Krause: "Theorizing from neglected cases"

見ての通り、「理論化(theorizing)」が本特集号のキーワードとなっている。近年、Richard Swedbergの論文をはじめとして、名詞形の「理論」から動詞形の「理論化(すること)」への議論の移動が見られる(p. 135)。こうした研究動向を踏まえて、本特集号は「理論化の諸要素のカタログ」(p. 135)の作成に貢献しようとしている。

ここで著者たちが行おうとしているのは、「何が理論とみなされるべきか」(p. 136)に関する議論ではない。そうではなくむしろ、理論化するという実践(theorizing as a practice)において無視することのできない要素とは何か、を明らかにしようとしているのである(p. 136, 138)。たとえば、Julian Goは「スタンドポイントは、理論化が始まる前から、理論化の方向に影響を与える(inform)」(p. 139)と論じている。本号の他の論文も、それぞれの視点から「理論化の要素」について論じている。

理論ではなく理論化について論じることがもたらす視座について、著者たちの述べていることを大雑把にまとめると、「ある一人の理論家の著作を聖なるカノンとして奉じる態度から解放される」「複数の理論を比較する視点を得られる」「社会科学の営みをレトリックの営みとして見ることができるようになる」などが挙げられる(pp. 137-8)。

【コメント】
「理論化(theorizing)」という言葉は、「理論を作るにはどうしたらいいか」「理論を学生に教えるにはどうしたらいいか」などの議論の文脈でここ10年ほどよく使われている言葉である。私自身は若干「乗れない」と感じているのであるが、気になる研究動向ではあるので、なるべく動向を追うようにしている。関心がある方は、British Journal of Sociology の67巻1号にも特集があるので、そちらも参照されると良いだろう。

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