上海駐在物語 私の部屋
どうも!高倉JB珈琲のらいです。
お笑い芸人もしていませんし、絵本作家もしていませんし、国内最大のオンラインサロンの運営もしていません、アルバイトをしながら高倉JB珈琲で自家焙煎のオリジナルブレンドのコーヒー豆を通信販売(powered by BASE)で販売しています。この記事は、コロナで卸の売上が無くなり、個人様向け(←飲食店さんの方が私より厳しい状況)にシフトを切替えてゼロからどのように起ち上げていくのかを記録するために書いています。
東京オリンピックが近づいているのに、全然盛り上がり感を感じていない、らいです。私が知らないだけ?盛り上がってるの?それより、今朝起きた時に、寝ぼけて左足の小指を寝室の出口の柱にコツン!とぶつけて、一気に目が覚めた、らいです。54歳になって未だに自分の車幅が分かっていない、らいでもあります。小指取れたかと思った…汗
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さてそんなこんなで今日の本題です(←昨日の記事はココ)
昨日の記事で上海で部屋を借りた時のことをお話したんですが、一気に時間を飛ばして、その部屋をお返しする時の話をしたいと思います。全然オチも何もないですが、最後に『ん~』ってなるかも?知れないですし、ならないかも?知れませんので、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
上海駐在となり、炊事洗濯が超苦手な私は、お手伝いさんを雇っていました(←もちろん会社の経費ではなく自腹です 笑)私が住んでいるエリアは外国人と中国のお金持ちしか住めない敷地を区切られた場所に建っているマンション(←進撃の巨人の壁みたいに区切られていました)でした。門番が必ず2人立っていて、その門番が確認しないとタクシーどころか、住民すら入ることは難しいほど、警備はしっかりしていました。そこには管理センターがあり、そこに依頼すれば、お手伝いさんを派遣してくれるサービス(←と言っても料金は必要です)があるということを知った私は、依頼したかったのですが、何と言っても中国語が出来なかったので、お手伝いさんの面接はおろか、雇ってもどうしてもらいたいかを伝えられなかったので、しばらくは自炊と掃除洗濯をしていたのですが、そこに時間を使うなら中国語の勉強に使った方が良いと思い切って、このnoteでは準レギュラーのオーナーさんにお願いして、お手伝いさんの面接をしていただきました。オーナーさんも私の部屋に入るのは初めてなので、興味津々で、お手伝いさんが来る面接の時間までいろいろと散策する感じで全ての部屋の隅々までチェックされました。一通りチェックが済むと…
オーナーさん:「フルちゃん、キレイにしてるじゃん!それにこの洗面所に貼ってある張り紙は素晴らしい!」と褒めていただきました。
私は当時、自分を律するためにいろいろな方の言葉を書いて、洗面台の鏡に貼って、朝晩顔を洗ったり、歯磨きしたりするときに唱えていました(その内容は忘れましたが…律してないやん!)
私:「ありがとうございます。海外では日本人として見られるので、日本人として恥ずかしくないような言動が出来るようにと思って…苦笑」
オーナーさん:「いや、大切なことだと思うよ。海外だから、むちゃくちゃする人はたくさんいるから!」
オーナーさん:「でも、この部屋のオーナーは、センスが悪いわね。このソファなんか、センスが全然感じられないわ!」と…返す言葉が無かった。いやいやそんなことより、これから来るお手伝いに私がして欲しいことは、と言って予め作っておいたリスト(←段取りのらい)をオーナーさんに渡して、このお仕事をしてもらいたいとお伝えした。要するに家事全般だが、食事については、朝食だけで大丈夫で昼食、夕ご飯は不要で月~金で土・日はお休み、スーツとYシャツはクリーニングに出すので、洗濯は不要。水回りもキレイにしておいて欲しい。洗濯物は洗った順番に奥へ直すなど、細かい点まで決めておいた(←事前にお手伝いさんをお使いの方々に調査すると、言われたことはやるが言われていないことはお金にならないのでやらないお手伝いさんが多く、最初に細かい点まで仕事として指示しておかないと、あとから付け加えるとお金を要求されるから、気をつけておいた方が良いとアドバイスをいただいていたので、出来るだけ細かくリストを作っておいた)
ちなみに…、そのオーナーさんもお手伝いさんを雇っていて、お聞きしたら住み込みでお手伝いさん用の部屋まであるという。桁違いのお金持ちだ。
そんな会話をしていたら、マンションの管理センターの方とお手伝いさんが訪ねて来た。家に案内し、オーナーさんが私のリストを元に仕事内容、と出勤・退勤時間などを細かく決めた。私の場合、朝食が終わると出社するため、その後掃除洗濯等を終わらせてもらうだけで良いので午前中には終わるので、お手伝いさんも午後から掛け持ち出来るので、都合が良いと言われた。生活必需品(食材や日用品など)の買い出しは毎月いくらかのお金を渡して領収書と一緒に月末に清算する方式にして、きちんと管理するようにした。付け加えると当時の私は中国語はほとんど喋れないが欲しいモノや買ってきて欲しいモノがある場合は、口頭で伝えても私の発音が悪くて伝わらない。なので、当時は電子辞書(←今なら音声ガイドだろうね)で打ち込んで、お手伝いさんの彼女に見せると、彼女は字が読めないと言われ、ショックを受けたことを覚えている。
こうなると、嫌でも発音を良くしないとコミュニケーションが取れないので、私はとにかく発音が聞き取ってもらえるように努力し、私が時間がある時は、一緒に買い物に行って、欲しい現物を指さして「コレ!」と言うと彼女が中国語で教えてくれる。でも、彼女は地方出身者なので地方訛りがあり、聞き取れない…。なんてことを繰り返しながら、少しずつ私達は関係性を築いていった。
ある時、風邪で会社を休んでいる時は、風邪が感染するといけないから、今日は仕事は休んで良いから帰っていいと伝えると、私が寝ているベッドに来て、背中をさすって私が寝入るまでいてくれたりした。目が覚めると、ベッドの横には中国お粥がおいてあって、とても感謝した記憶がある。彼女は今どんな生活をしているのだろうか?今となっては、知る由もないが…。
そんな私生活を彼女に支えていただきながら送った上海生活も、アッという間に時が経ち、約4年お世話になった部屋を引き払う日、主要な荷物は業者さんに日本へ送っていただき、後はホテル暮らしになるので、最低限の日用品や衣類を少しずつ事務所へ移動させながら、仕事から部屋へ戻るとせっせとお掃除をしていました。
お手伝いさんが来る最終日は、彼女と2人で部屋というへ(2LDK)と窓をピカピカに掃除した。そして彼女にこれまでの感謝の気持ちを込めて、お給料と一緒に少しだがボーナス(←実際は寸志になるかもしれないが)を一緒に渡した。彼女は、また上海へ来ることがあったら、連絡ください。いつでもお手伝いさせていただきます!と嬉しい言葉を残し、去っていった。
一人になった私は、大家さんへの引き渡しを済ませるため、そのまま綺麗になった部屋でただただ待っていた。すでに食器類などは売り払い、何もない状態だったので、せめてコンビニ(←当時ローソンはあった)で水でも買っておけば良かったと思いながら、ポニーテールの大家さんを待っていた。
しばらくして、大家さんがチャイムを鳴らす。笑顔で挨拶を交わしたあと、不動産屋さんと一緒に各部屋のチェックを隅々までして回っていた。私はリビングで立ったまま、その様子をただ見守っていた。すべての部屋のチェックが終わると大家さんは私に話し始めた。その頃の私は少しは理解できるようになっていた。大家さん曰く、こんなに部屋を綺麗にして、ゴミ一つなく引き渡された経験はこれまで一度もない。前回は韓国人の方でゴミはまとめてリビングに置いてあったが、あなたはすべて処分してくれていて、私はそれが普通だと今まで思っていた。日本人はそこまで気が回ることに正直驚いた。次からこの部屋を貸すのは、日本人にしか貸しません。と。
嬉しいお言葉をいただいた。感謝の気持ちを伝え、また上海に来ることがあれば、あなたの部屋をぜひお借りしたいと思っています。とお伝えして、鍵をお返しした。
私は清々しい気分で、少しは日本人として貢献できたのかも知れないなと思いながら、大家さんとお別れした。
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