自分の脚で立てないの?
私には親友が何名かいる。
出会ったstageはまちまちだしそんなに頻繁に連絡を取り合う訳では無い人達も居るが基本私の心のどこかや頭のどこかに存在していて消える事のナイ、そんな人達。
人はstageが変わる毎に求める友達も、仕事の内容もpartnerも変わると思っている。小学校、中学校、高校、大学、歯医者時代、役者時代。そして今。私の根本とという物は有ったとしても環境に対応する様に私の求める物も、人も変わる。
私には高校時代からの親友がいる。彼女とは今でも働き方や求める女性像が似ていて年に1回会うか、会わないかでも何の違和感も無くあっという間に時間が過ぎていく。
そんな彼女が社会人になってから親密になった人に言われた言葉。
”自分の脚で立てないの?”
彼女の高校時代の恋愛も、大学時代も私は見てきた。恋をするとまっしぐら。彼一色。笑 学生時代の恋なんて往々にしてそんなものかもしれない。(多分私もそうだったはず。笑)でも大人になってからの恋は違う。”仕事””自分のやりたい事””自分のすべき事” それから”恋”や”愛”が来る。それが仕事始めた当初は尚更。
実は私も初めて付き合った異なる人種のNYの彼に言われたことがある。
”自分の脚で立てないの?”
それまで同じ人種の同じ様な境遇の人としか付き合った事のなかった私はmailをしたら返事は直ぐにくるもの、もし私がNYに会いに行った時には私がpriorityで私の為に全時間を割いてくれるのが当然だと思っていた。付きっ切りで過ごしてくれるものだと思っていた。が鍵を渡され地下鉄の出口を教わり彼の日中の連絡先を言われて”何か困った事が有ったら連絡して。駆けつけるから”と言われた。私は心から面食らった。鳥籠の中でしか育った事のなかった私が急に初めてのNYという街に放り出されたのだ。研修医を終えたすぐの25歳だった。”黒人は怖い”とか”ハーレムは危ない”とか知りもしないのに、いや、知らないからこそ勝手なimageを作り上げ幻想を怖がっていたのだ。
遠距離や会えない事が辛過ぎて、彼の心の闇も深過ぎて(笑)所謂”普通”の恋愛では無かったけどこの地獄の様な恋愛が有ったから私は”自分の脚で立って”生きていける様になったと思っている。そしてこの時の恋愛が有ったから私は自分の中の”愛”に対する又は”人生”に対する哲学が確立したのだとも、思う。
明確に言えるのは彼が私を成長させたのではない。私が自分で、私を成長させたのだ。そして今の私が彼に同じ様に出会っていても全く以って二度と恋に落ちる事は無いだろう。でもあの時の私が成長する為に”彼”という存在は私の人生に必要だった。それは彼だけで無く付き合ってきた全ての人に言える。
そして付き合ってるその時はその人達が私の中では”世界一いい男”だと心の底から思って来た。その時の私には彼等が必要だった。そして彼等が私の居場所だった。ただ人生の次のstageに行く段階で私達は別々の道を選んだのだ。(少なくとも私の中では。笑)
”自分の脚で立つ”事無しでは私は本当の自由なんてなし得ないと思っている。
”今の生活が不安だから” ”今の境遇が苦しいから” ”仕事が嫌だから”逃げてもいい。否定はしない。でも逃げた所で終わりにはならない。その問題が又別の形でもしかしたら更に大きくなって舞い戻ってくるだけ。
だから”自分の脚でしっかり立って”逃げる事なく向かって行くしかないのだ。
そして向かって、乗り越えた先には”自分に対する自信”と”Up gradeした自分”に出会えるはずだ。
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