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花の名前

花を埋めたことがある。
植えるのでなく。
花を埋葬したことが、ある。


小説を書きはじめたのは中学二年生のころ。
それから大学までペンネームは「桜」だった。一応、苗字もあった。
(「桜」はまったく問題ないと思うが苗字こそまさしく中二のセンスが炸裂していた)
何故、「桜」かというと、桜が好きだから。
あまり花や木にくわしくなくても桜は毎年かならず目にしていたし、きれいだと単純に思っていた。
カラオケで必ず歌う曲は「二人静」で、そこから想を得た話を書こうとしたりしていた。

さいしょはシンプルに「好き」だったが、やがて傾倒し、はては執着。
自分に重ねたというか、過ぎた投影や自己愛が変なかたちでこびりついていたんだろうと思う。

*

イギリス留学が決まったばかりの、高校二年の春。母が桜の枝をもらってきた。
聞けば近所のちょっとしたお屋敷の方が、剪定した際に切り落としたものを持たせてくれたのだと言う。
久しぶりに母にねだって譲ってもらい、大きめの花瓶を借りて、部屋に飾った。
ずっとそのまえに座って眺めながらあれこれ想像をめぐらせた。もちろん、創作のために。
花はもうほとんど色あせかけていて、それがまた風情があるようで、私をいたずらに感傷的にしてくれた。
いきおい発想は幸福な展開より不遇な運命をたどる方向に転がっていった。

数日ほど、登下校中もその物語を脳内でいじくりまわし、そろそろ書けそうになったある日。
帰宅したら部屋から桜が消えていた。
すぐに事情は察した。がっかりしたけれど、何も言わないでおこうとあきらめた。だってあの花は私で、私はそういうことになるのだから、しかたがない。
が、その日のうちに、今度は留学手続きに必要となる重要な書類を母が勝手に持ち出した挙げ句、なくしていたことが明るみに出た。
留学事務所はもう閉じていて連絡がつかず、翌朝まで待つしかなかったが、母とはさすがに口論になった。
こういうことはもう昔からしょっちゅうで、母は無許可で私のものをあさり、どこかへやってしまう。大事なものほどそういうことになるから、そもそも「大事なもの」が存在することを母には隠すようになった。好きな本、好きなアーティスト、好きな服。知られると、汚される。
でも留学に関することは隠していてはどうにもならないし、親のサインなども必要だ。
だから自分から両親にまず見せて、必要になったらまた持ってくるけどそれまでは自分で管理しておく、そのときに対応をお願いします、そう伝えておいた。
そういうものさえ、あるいは、そういうものだからこそ、母は私がいない間に部屋のすみずみまで探して引きずり出してしまう。それをリビングで、キッチンで、仏間で見るだけ見て、家の至るところにばらまいたままにしてしまう。
気づいたらすぐに回収し、保管場所を変えていたが、このときは間に合わなかった。

「書類、最後にいつ、どこで見たの」
「そんなことおぼえてないわよ」
「勝手に持ち出さないでって何度も言ってるよね?いつも困ってるの。無責任なことはしないで」
「あんたが見せてくれないでしょ」
「見せたよ。また見たいなら、見たいと言ってくれたら持ってくるから、もう勝手にするのは本当にやめて」
「あんたもなくすからお母さんがしまっておいてあげようとしただけよ。またもらってくればいいじゃない、書類の一枚や二枚。なんでこんなに責められなきゃいけないのよ」

責めてるんじゃない。いや、責めているけど、それは書類のことじゃなくて。
そのあたりで混乱してしまった。自制する間もなく、泣きながら口にしてしまっていた。

「私、今日ずっと我慢してた」

母が眉をひそめるのを前にしたとたん、今度は声を荒げてしまった。

「なんで桜を捨てたの。台所のゴミ箱に入ってるのを見た。大事にしてたのに。勝手に捨てないでよ。なんでもかんでも勝手に捨てたりなくしたり壊したり売ったり人にあげたり、もういい加減にしてよ」

そこからは大変な修羅場になった。
母と私は思えばとてもよく似ていて、いざとなれば下手な芝居すら打ち狂乱した仕草でもって相手を攻撃しつつ周囲の同情を勝ち得る。私が昨年末、父親に対して使った手段だ。母から受け継いだ性質なのか、学んだ成果なのかは、自分でもいまだに判然としない。
とにかくその晩、母はごめんなさいごめんなさいと大声で泣きわめきながら生ゴミを素手でひっかきまわし、油で汚れきった桜を花瓶に活けてから私に差しだし土下座をした。それで互いの気が済むはずもなく、母は、

「私は鬼です、ごめんなさい、鬼が鬼を育てました、ごめんなさい、鬼を育てていたら鬼になってしまいました、ごめんなさい、ごめんなさい」

と泣き叫びながら部屋から部屋へと駆けめぐった。何度も何度も。下手な小説よりよほど恐ろしい。
状況をろくに把握していない父と、いつでも母の味方でいる兄が私のところへ来た。

「母親にあんな真似をさせるなんて異常だ」
「そうだね。異常だね」

それでも、父は一応、母を諭してはくれた。ある時期までは、つまり私が生まれるまでは、父も母の被害者だったのだ。

「おまえもおまえだろう。人のものを勝手に捨てるのはやめなさい」
「枯れた花を捨てただけよ。何を言ってるの」
「花でも書類でもおまえのものじゃないんだから捨てるな」
「ごめんなさい、ごめんなさい、私がすべて悪いのです、ごめんなさい、いっしょうけんめいあなたの娘を育てたのに鬼にしてしまいました申し訳ございません鬼の娘を人間にすることができず申し訳ございません私がすべて悪いのですごめんなさい申し訳ございません」

誇張なく赤ん坊のようにわあわあ泣くのを聞いて、いったいご近所はどう思っただろう。
その状態が数時間つづき、日付をまたいでも終わりそうになかったので、翌日も学校がある私はさっさと寝てしまうことにしたが、バスルームで顔を洗おうとしてもそこに母親が追いかけてくる。私の足もとでまた大泣きの土下座をされたら何もできない。
どうしようもないしうんざりしたから家を出た。桜の枝を持って。

家からちょっと行った裏道に、大きな桜の木があった。私はその木がとても好きで、毎年、ころあいになるとその下でぼうっとするのが安心できる時間だった。
その桜ももうおわりかけ。足もとは淡い花びらでいっぱいだった。
まず花をそっと払い、次に両手の爪を立てて地面を掘る。
そうして、桜の枝を埋めた。
使い古された文句だが桜の下には死体が埋まっているという。なら私の行き着く先はここしかないだろうし、ここがいい。その夜の私もとても正常だったとは言えない。
家に戻るにつれて母親の悲鳴が高くなっていったが私は黙ってその中へ入り、もう何が起きてもいっさい反応せずベッドに横になって目を閉じた。

翌日、学校の帰りに留学事務所に寄り、無事に書類を再発行してもらえた。職員の女性がその書類を手に、あきれたふうに笑った。

「あなたのお母さんからお電話があったけど、預かってあげるって言ったのに従わないで、しかもなくしたんですって?留学するのにそんなことではだめよ。だらしないのをひとのせいにしてたってやっていけないんだから、自分のものは自分でちゃんとしなさいね。お母さんに全部やってもらおうなんて、ホストファミリーの家では通用しないわよ」

ただ一言、はい、とだけ返して、書類を受け取った。
家には直行しなかった。
事務所のそばのドトールの席に陣取って封筒から書類を取り出し、辞書を横目にボールペンで書きこんでいった。
アプリケーションフォーム。留学用の履歴書のようなもの。
生年月日、名前、住所、学歴、家族構成。
そのあとに続いたのが、宗教。
迷わず no religion の欄にチェックを入れた。
のちに両親から同意のサインをもらうときに、母親がこれ何、と聞いてきたので、無宗教、そう簡潔に答えたらまたもや大さわぎになりかけたが、

「なら留学、やめます」

これですぐにサインをもらえた。イギリス留学の道は、とぎれなかった。
その道はきっと試験を受けた雪の午後でも、願書を出した年末のポスト前でもなく、桜を埋葬したあのなまぬるい春の夜にようやくはじまったのだと、今でもそう思っている。

*

桜は今でも好きだが、大学になってペンネームを改めることにした。小説なんて一文字も書いていないくせして、まだ私は名乗りたがってだけはいた。
大学時代は勉強をしたかったので創作する時間があっても勉強ばかりしていた。それに、私は推薦入学生で、また、奨学生でもあった。成績は落とせない。

慌ただしい日々に、いつからか、たまに花を買うようになった。
ひとり暮らしのアパートに、一輪のぜいたく。

花はほしいけどよくわからなかったので、もっぱら薔薇を買っていた。
そういえばはじめて花屋さんに入ったときは、花って高いんだなあと驚いたものだった。
だから花屋さんではなく、スーパーで売っているちょっとしおれた切り花を買うことが多かった。すると種類はずいぶん限られて、やっぱり薔薇を選ぶことになる。他の花にも興味はありつつ、名前も書かれていないし、花屋さんならともかくスーパーの店員さんに聞くのも何かなあ、となって、結局、薔薇。
いま思えば名前なんてわからなくたって、きれいと感じた花を買えばよかっただろうに、たぶん、並んでいるもののうち、きれいだと惹かれたのが薔薇だったのだろう。なんだかんだ、私のことだから。

一輪の薔薇をコップにさしたローテーブルで、ラテン語の各変化を頭に叩きこみ、古い史料をいくつも広げて訳し、パンをかじりながらタイプライターのキーを打って論文やレポートを書きつづり、卒論のためにウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を必死になって読み解き、えんじ色の表紙の聖書をめくる。
そんな大学時代がおわってからは、花を買うのは、贈るときだけになってしまった。お世話になった方とのお別れに、長く通ったお店が閉じる日に、ガンで入院した母の枕もとに。
桜を仰ぎに春はよく散歩をしていても、持って帰れはしない。それでよかったと、いつも安堵していた。
今年は引っ越しをしたので、桜を探しにいきたかったというのに、ゲームの中で紅葉にまみれていたら季節が終わってしまった。無念である。

だからというわけではないけれど、だいぶ落ち着いたな、と一息ついてから、花の定期便を申し込んだ。
前からちょっと気になっていたのだ。

今日、はじめて花が届いた。
薔薇だった。
あらかじめ色だけ選べたので、好きな色の紫に設定しておいたから、紫の薔薇。
マンガではいつもお姿、拝見しております、とはいえ、実物ははじめて見たなあ、と、改めてうっとりしてしまう。
良い香りがする。とてもきれいだと思う。

ただひとつ、私は花を捨てるのがとても苦手なのだ。
定期便をしばらくためらっていたのは、それが理由だった。
まさか埋めるわけにはいかないし。

これから二週間に一度、花が届く。
受け取るのは簡単。
捨てるのは困難。

今そばにある紫の花は、薔薇は薔薇でも、聞いたこともないような美しい名前がついている。
誰が、どういう思いでつけたのだろうと、ぼんやり考える。調べるのも尋ねるのも、相変わらず、気がひける。

薔薇の花ことばは、「愛」。
その名前を捨てようと起き出して十日目。
送り先、つまり私の名前は「たかこ」と記されている。私がその名前で登録したのだから、その通りになったのだけれども、やっぱりなんだかどきっとする。
たまたま、数ヶ月まえに予約注文していたものといっしょに届いた。
配達員さんが伝票と私を交互に見ながら、声に出しつつ、渡してくれた。

「こちらは愛さんに」
「はい」
「こちらが、たかこさんに、ですね」
「はい、ありがとうございます」

受け取って、ドアを閉めて、名前と花ともうひとつを、抱きしめた。捨てることは、そのときだけ都合よく、先おくりにして。





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