【漫画エッセイ】「先生の白い嘘」原作漫画を読んだ
とんでもない漫画を読んでしまった。
きっかけはこの漫画を原作にした映画を製作するにあたって、女優が希望したのにインティマシー・コーディネーターを入れなかったと言う記事が目を引いたから。
ちなみに、インティマシー・コーディネーターについては、googleなどで調べてほしい。(私は現場で役割を実際理解しているわけではなため。)
インティマシー・コーディネーターについて知ったのは、記憶が正しければ水原希子さんが映画の撮影で提案したのをきっかけに「そういう役割があるんだなぁ、大切だな」と思った。昔師匠から聞いた話だが大島渚監督の傑作と言われる「愛のコリーダ」は、挿入があったことがスキャンダルになり、女優さんだけがその後映画界から姿を消しており、名作に隠れる暗い話として、気になってはいた。
昨今では特に映画の劇場運営者や、撮影現場の力関係を利用したセクハラ・パワハラ問題も表沙汰になってきて、残念に思うことも増えていたので、必要なことだろうなとも思っている。
ちなみに、私が映画業界に入りたての2003~2005年時は、あまり聞かなかった職業だった。(「リバイバル・ブルース」「KAMATAKI-窯焚-」ともに、カナダと日本の共同制作作品で濡れ場は存在しましたが)当時は普通のシーンと同じく、ガニオン監督が、心得のある、濡場を演じる女優さんと主役の俳優さんとで仕切っていた記憶がある。ただ1スタッフにすぎず2作品とも俳優と監督の出演交渉に同席したわけではなかったため経緯は知る由もない。
あ、製作に携わった「カラカラ」2011年製作でも濡れ場は存在したが、やはりインテマシーコーディネーターを要請されたことはなかった。(でも存在していたら、周りの人もより安心して取り組めたかもしれない)#MeToo が活発になってきてから、ここ5年ぐらいの業界の進化、必要性なのだろうと思う。
そもそも、まずは原作を読んでみないとわからないな、という気持ちから読んだのだが、非常に重い内容だった。突然何の前触れもなく受けた性被害が、どのように長期に人の心を蝕むのか、影響を与えるか、を描いた作品であり、性被害にあったことがない多数派の人が撒き散らす「抵抗できたんじゃないか」などの言葉を一瞬で封じ込める生理的怖さを描いていた。
デジャブ感で言うと、「寄生獣」を初めて読んだ時の生物としての怖さに類似した。「本能的にやばい奴」だから生き物として狙われ、言葉のごとく息の根を止められ、襲撃されるんだ、と思った。
結論から言うと、この原作を読んだら、男性であれ女性であれ、撮影に対して不安を抱いて当然だと思った。
しかも作品のテーマが性被害の重さを描いた作品でもあるのに、前述した、仕組み的に強固な上下関係が発生しやすい映画の撮影現場で、入れない理由が謎すぎた。
幸か不幸か、監督自ら「要望されていたにもかかわらず断った」という事実が明らかになったことで、大炎上し、後に続く俳優さんたちのためにも映画業界のためにも、この醜聞が表になったことは、感謝したい。
そしてそのおかげで原作とも出会えたことにも感謝したい。
が、私は、映画鑑賞は保留するかもな…。つらそうだ、というのもあるけど。
もし性被害がどれだけ人の心に影響を及ぼすのか、ということを伝えたくて映画化したのならば、何はなくとも、まずは現場で働く人の心理的安全性を最優優先にしたと思うからだ。(被害者を演じる人だけでなく、加害者を演じる人にも必要だろうと思う。)
ということは、製作陣の思惑が透けて見えすぎたから…。「扇情的な話題作を作ろう」という目的ではなかったかと思ってしまった。高校生、真面目そうな先生の隠された側面、、などなど。その思惑に、ひっかかるのは、嫌だな、と思ってしまった。
(まぁ、原作でも主人公の二人には幸せになってほしいとは思ったが、冷静なことをいうと、ファンタジーは入ってるな、とも思う。加害者のその後、被害者のその後、リアルなら、主人公たちの苦難はむしろこれからの気もした。)
「すべての人が自分自身を自分で守れる、そして誰かが悲しんでいたら手を差し伸べられる、そういうよどみのない、きれいな川を、私は心からあきらめずに目指したい」女優さんが舞台挨拶で話したという言葉は、信じたい。
追伸
ふと「遠いところ」ではインテマシー・コーディネーターつけたのかなってことも気になった。
自分は、あの映画の買春シーンがつらかった。だから、演じる側はもっと辛かったのでは、と思う。映画祭で上映された際に制作秘話を聞いて(プロダクションノートがどこ探してもみあらたないので本当に秘話なんだろう)「あ、この人ら沖縄の貧困問題を取り扱いながら、沖縄をとことん利用するんだな」って思い違和感わいた。(他の方も指摘してるけど本当に沖縄と向き合ってるなら俳優も沖縄の人使うよね)正直、クラファンには、それが気になって参加しなかった。しなくてよかったと思った。一番嫌だったのは、後半はリアリティとかけ離れたただの悲惨なバイオレンス映画だったこと。(アオイ役は感情移入したので主演女優賞とってよかったとは思うけどさ。)ただ、私が「リアリティがない」と本作を指していってるのは10代の女の子たちの過酷な現状がない、といいたいわけじゃもちろんない。(私は相当能天気に生きてるように見られてるらしくそう思う人もいるっぽい・悲)。上間陽子氏が言ったように、沖縄を利用せずに、自分とこ地元で作ってよ、って言葉に共感しました。