たかこ先生のレッスン徒然日記vol.48
町田市でピアノを教えています田中貴子です。
『登校拒否事件』
念願の高校に無事に合格し、晴れて桐朋生になった15の春。でも、たかこ先生の心は不安しかありませんでした。
親元を離れて寮生活をしなければならなかったからです。
桐朋の寮は今の調布校の場所にあり、高校1年生から大学4年生まで100人を越える大所帯の寮でした。
入寮時は4人相部屋と練習室が与えられ、狭い練習室にギリギリ、グランドピアノを置く。
数年したら個室が回ってくるのですが、グランドピアノを楽に置ける個室は限られていて16部屋。ほかはグランドピアノを入れると下にベッドが重なる部屋になります。
入寮時に個室の希望を聞かれて、当然グランドピアノの部屋はほとんどの人が希望するのですが、優先権(グランド個室が空いたら即入室できる権利)をまず決めます。その年の初めに「大凶」を引いていたので、あまり期待もせずにくじ引きしたらなんと1番。
でも、その時、ふっとここにこれから何年も住むのか。。と不安がさらに増大。
入学式を終え、いよいよ寮生活が始まった日。まだ荷解き出来てない段ボールからお箸を見つけることが出来なかった私は、食堂でお箸(割り箸)を借りました。
その日のメニューはハンバーグ。
食堂のざわめき、どこのテーブルについたら良いのかも分からず、一先ず同期の子達のいるテーブルに相席。
ハンバーグを食べようとお箸を入れた瞬間、
ポキッ
割り箸が折れてしまいました。
とても惨めな気持ちになりました。
ほかの子達のように笑うことも、話すことも出来ず、折れたお箸で急いでご飯を食べ、その日はすぐにベッドに入りました。
翌日、オリエンテーションが終わって、私が帰った先は寮ではなく、まだ東京に住んでいた両親の家でした(転勤が決まっていたので入寮していました)。
共働きの家でしたので帰宅した時には誰もおらず、私は炊飯器に余っていたご飯をよそい、お茶漬けにして食べました。
前の日に食べた寮の食事より数倍美味しく、ポロポロ涙が出てきました。
母が帰ってきてお茶漬けを泣きながらすすっている私の姿にビックリ!
「もう学校には行かない、やめる、寮には戻らない」ずっと泣いて訴えていました。
後にも先にもこんな風に親になにかを訴えることはなく、なんでこんなにも泣けてくるのか私自身にもさっぱり分かりませんでした。
その様子にこれはただ事ではないと母も思ったのでしょう。
翌日本当に学校に行こうとしない私を見て、母は学校に連絡していたようでした。
その日の夕方、担任の先生(数学の先生でした)から自宅に電話がかかってきました。
授業はまだ始まっていないから、とにかく明日学校にいらっしゃい、ちゃんとお話しましょうと先生は仰って下さって、翌日渋々学校に行きました。
特別に時間を作ってくださって話してくださいました。
まず、黙って寮を外泊したこと。
届けがあれば外泊できるけど、無断ではいけないこと。母が寮に連絡してなかったら問題になってたかしれなかったこと。
学校をやめたい理由はハンバーグなのか。
ハンバーグのために学校をやめるのか。
笑わないでくださいね。
真剣に先生はこの質問をされたのです。
私はこの質問で自分を取り戻しました。
よく考えたらこの理由は多分、学校の歴史上最もくだらない中退の理由になるだろうと冷静に思ったのです。まだ授業もレッスンも始まっていなかったので、それで退学したら歴史上最も最短で退学した高校生になったはずです。
そして、その日ちゃんと寮に戻りました。
帰り、調布駅前の西友に寄り、お箸を2膳買いました。
折れても良いように。。
そんな具合に私の桐朋での生活が始まりました。
お読みくださってありがとうございます。
マイペースに投稿しています。
気長にお待ちください。
追伸・前回同様、脚色いっさいありません。
むしろ控え目に書いております(笑)