
たかこ先生のレッスン徒然日記Vol.47
町田市でピアノを教えています田中貴子です。恩師の傘寿の会を無事に終えて、備忘録としてVol.46を書いたら、急に受験の頃が甦ってきました。
100%受からないと言われ続けた中学時代三年間は、全く五里霧中、希望の光は見えませんでした。
でも、どこかで変な余裕があって、もしダメでも都立に行って勉強頑張って、学校の先生か、法律の勉強したいなぁと漠然と考えていました。
音楽もピアノも好きでしたし、もっともっと上手になりたいという欲はありましたが、「100%受からない」と呪文のように言われ続けると、まぁ才能はないんだろうなと漠然と思うわけです。
さらに追い討ちをかけるようなことが起こります。
年が明けていよいよ受験、お正月、願掛けするべくお詣りに行きました。
たっぷりとお願い事をして、おみくじを引きました。
人生史上、たった1回引いた「大凶」
親もそれをみて無言。
受験はおよそ1ヶ月半後。
それはそれは暗い年明けになりました(笑)
そして、受験日がやってきます。
桐朋の受験はおよそ1週間弱、中日に都立の試験日を空けてくれるので併願ができます。なのでこの期間は受験一色。
しかし、この年は雪が降ってまぁ寒いのなんの。
鞄からいちいちお財布を出して電車の切符を買うのが嫌で、コートのポケットに小銭をいれていました。(今みたいにピッで改札は通れない。全員切符を券売機で買って駅員さんにパチッとハサミをいれてもらいます)
雪で滑って転ばないように慎重に学校まで行って、教室で番号を呼ばれるのを待っていました。
受験番号は今でも忘れない77番。
良すぎて逆に悪い予感しかしない(笑)
番号を呼ばれて立ち上がった瞬間
チャリチャリチャッリ~~ン
コロコロコロコロ…
コートのポケットに入っていた小銭が大脱走。「こ、こ、こんなところで・・・」
あたふたと小銭を拾う中学三年生。
まさに「大凶」
ところが、その日の402での試験はそれでリラックスしたのか、バッハもモシュコフスキーもすらっと弾いてしまった。
しかもモシュコフスキーは弾きたかった方が当たった。
そうなると、人間は「大凶」の意味をさらに考えるわけです。
翌日のベートーベンでなにか起こるのか。。。
試験会場は333。
3階の奥の方に位置しているこの教室は広くて、ドア入って、先生方の座っている席を横目に舞台まで歩かなければなりません。図参照

妙な緊張感でガチガチになっていた私は、ドアを開けて、教室に入り、ピアノに向かって歩いたのです。
間違ってはいません。
ピアノを弾くのですからピアノに向かって歩くことは決して間違ってはいないのです。
私の目の前にピアノがあり、足をあげて舞台に上がろうとしました。
その時、背後の先生方がクスクス笑っているのに気付きました。
そうです・・・舞台脇にある階段ではなく、私は舞台の中央に向かって歩いていたのです。
持ち上げた足を下ろして、舞台脇に回れ左、舞台にあがり、弾いたベートーベンがどうだったかなどと考える余裕はなく、間違えずに最後まで弾いたということは確かなだけ。
「終わった」と大凶の意味をしみじみと噛み締め。トボトボと家まで帰りました。
これで受かると思うほど能天気ではないので、ひとまず都立の受験を頑張り、肩の力が抜けたのか予定通りな感じで楽典、聴音の試験も受け、さらに小論文の試験ももう最後だと思って書きたい放題書きました。
最終日の面接はなぜか人より長い面接時間になってしまって、それも先生方と話せるのもこれで最後だしと好き放題喋ったような。。。
学校の入り口のところに合格者の受験番号が貼り出されるのですが、77番が見えた時、
え、え!?ひゃ~~~
と出したこともない声で小さく叫び、さらに小さな声で「どうしよう、どうしよう」と呟いていました。

「100%受からない」からは解放されましたが、代わって「よく受かったよね」はその後しばらく言われ続けることになります。
この合格発表からまもなくして、恩師との本格的なレッスンが始まったわけです。
今でも思います。
よく受かった。。。(苦笑い)
お読みくださってありがとうございます。
今回の話は脚色いっさいございません。
少し控えめに書いております。
マイペースで更新します。
気長にお待ちくださいませ。