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たかこ先生のレッスン徒然日記vol.43

町田市でピアノを教えています田中貴子です。ずいぶんこちらのブログ、ご無沙汰してしまいました。
理由はいくつかありまして(笑)
少々やらなければならないことに追われていたこと。
もう一つは現在このブログ、ちょうど中学生の頃に差し掛かってるのですが、前にも書いた通り「暗黒時代」で、あまり楽しい話題がない。それはそれで様々な教訓を皆様にお伝えすることはできるのですが、それを楽しくお伝えする手段がなく。
ここまで三本ほど書いて没っておりました。

あまりカッコ付けても仕方ないので、出来る限りその当時のたかこ先生の心情や体験をお話していこうと思います。
今、ちょうどコンクール繁忙期(最近年がら年中コンクールがありますが、、、)です。
たかこ先生も小学4年生からずっと年に1回コンクールを受けていました。
有名なコンクールで、その上位の方々は今でもご活躍の方々が多いです。高校3年生までそのコンクールにチャレンジし続けていましたが、結局一度も予選を通ることはありませんでした。

これまでのブログにも書いてきましたが、基本的な技術力も覚束ないレベルでしたので、今のたかこ先生には結果の意味がすごくよくわかるのですが、当時は年に1回銀座YAMAHAの掲示板を遠巻きに眺めてトボトボ帰る行事を淡々と繰り返していました。
中学生の時、課題曲の1曲がたまたまやったことのある曲でした。
課題曲が数曲ありましたので、1曲でも譜読みしなくて済むという単純な理由で「ラッキー!」思わず言ってしまいました。
先生は「ふぅん、、、そうは思わないけど」とボソッと仰って、別の曲をやるように勧めました。結論としては先生の勧める課題曲にしました。その当時の気持ちとしてはあまり納得はしていませんでした。

何年も経って、大学生の頃、あるコンクールを受けたいと先生に相談をしたら、別のものを勧められました。
どうしても弾きたい曲があるからとお願いしたら「受けるのは良いけど、それはやめた方が良い」と仰いました。
大学生のたかこ先生、ここで生まれて初めて先生の言い付けに背きました。勝手にエントリーして、勝手にプログラムを提出。先生は黙ってレッスンしてくださいましたが、結果は予選落ちてしまいました。

今月出張で行った宮崎、宮崎空港。夕方の爽やかな風が心地よかった!

このコンクール時期は様々なことを相談されることも多いですが、その一つに選曲があります。生徒に合ってる選曲が出来る場合、出来なかった場合、様々出てきます。
技術力が不足する場合、向き不向きによる場合様々ありますが、指導者の経験値に優るものはないと今になると感じますし、浅はかな自分の取り組み方に未だに反省したりもします。

その年のその1回はその時にしかないことなので、1回1回のコンクールにかけたい気持ちはよくわかります。
本当の意味でのその「1回」の貴重さは歳を重ねるほど大きくなります。
どの時期でも大事なことは、そのコンクールに対してどんな勉強をしようとしてるのか、その準備を十分にできるかどうかです。
普段の練習をあまりしないのに、いきなりコンクールでは技術的に追い付かないことも多いかもしれません。曲のレパートリー(曲の経験値)が少なければ、課題曲すべてに共感できるかどうかがわかりませんし、たとえ自由に組めるプログラム型のコンクールでも、レパートリーがなければ自分の良さがどう発揮できるかも分からないままプログラミングしなければなりません。
そういう時、自分の思いだけで、闇雲にやりたい曲だけやってしまうと、その思いが強い分だけ、コンクールにかけた分だけ跳ね返りが倍増してしまうことがあります。
「こんなに頑張ったのに」「好きな曲だったのに」ついつい悔しい思いだけが先行しがちになります。
客観的にみてくださってる(はずの)先生の言葉は、たとえ自分の思いとは逆だとしても、一度は胸に受け入れてピアノに向かいながらゆっくり考えられると良いなと思います。

できたら、どんな結果でも取り組んだ曲が自分の大切なレパートリーになるように、音楽を楽しめたらと思います。

お読み下さってありがとうございます。
ぼちぼち更新していきます。
気長にお待ちくださいませ。


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