たかこ先生のレッスン徒然日記 vol.38『譜読みって。。。』③
2024年になり早くも1ヶ月過ぎてしまいました!
元旦には生まれて初めて初日の出を見に江ノ島まで行きました。朝4時起きして身支度し、日の出前の6時半前には江ノ島に着いて余裕と思ったのですが、駅から見たこともない人の波。世の中の皆様、こうして初日の出を見に来るのか!?と驚きました。
でも、とても素晴らしい朝陽に染まる空と海、そして富士山を眺めながら心新たにした次第です。
譜読みについて①、②と書き進めてきました。およそなんの希望も見えない内容で、自分でも読み返してなかなか重々しい気分になってます(笑)
今回は現在のたかこ先生の視点で譜読みと指導について書きたいと思います。
ちょうど今書き進めている時代(中学生になった頃)から10年くらい、ちょうど生徒をもって教え始めた頃くらいまで
教え初めてから、自分の演奏についても少しずつ考え方が変わり始めたそこから10年くらい、さらにその変化に順応するための10年と、
音楽について、ピアノについて、楽譜について考え方の変革期がありました。
「ドレミを読むことと、楽譜を読むことは違う」
混乱しそうなこの考えがずっとたかこ先生の大きな課題でした。
言葉は読み書きと話すことが大事です。
話すことには耳で聞いて、発音するという過程が必要ですが、読み書きとは別に身に付けることが可能です。では日常生活においてそれだけで事足りるか、ある程度の読み書きもあった方が良いですよね。勉強して、さらに専門的なことを身に付けようと思ったら読み書きのレベルももちろん高くなる。使う語彙も増えてきます。
楽器の習得も良く似ています。
演奏する、楽譜を読む書くということは大事です。
子供時代のたかこ先生がそうだったように、耳で覚えて、今ならYouTubeなどの動画を見ながら見よう見まねで楽器を弾くことも可能でしょう。
さらに音楽をより理解したり、一音一音をより正確に捉えようとすれば、楽譜の確認が必要になります。その時に楽譜が読めるかどうかは大きく影響してきます。
さあ、では、ドレミが早く読めたらそれで楽譜を読んだことになるかどうか。。。
そもそも楽譜を読むとはどういうことなのか。
楽器の指導において難しいと思う点は
ドレミは読めないと先にも進みづらいのだけど、ドレミを読むことだけに集中してしまっては、本当に大事な楽譜を読むというポイントから離れてしまいやすくなるということです。
また楽器の奏法についても、ピアノの場合は鍵盤を動かすことに終始してしまうと、音の響きや音色になかなか耳が働きづらくなってしまう。
どんなに細心していても、すべての生徒たちに同じように教えることは難しい。
それでも、「大事なポイント」を先生が生徒と共有できるかどうかはどんなレベルでもやはり諦めずに伝えたいとも思います。
そういった指導者の思いとは裏腹に、生徒たちは混乱と、迷いと、様々な壁にぶつかるのが常です。
きっとそういう大事なことに少しずつ「気がついていく」という過程こそこういった音楽や芸術などの勉強なのかなと感じます。
今、話を進めいている時代のたかこ先生はまさに迷路に迷い混んだ状態。楽譜を読む=ドレミを読む(に多少毛が生えた程度)の状態です。
日常会話やある程度の会話には全く困らないけど、読み書きが全く出来ないと一人で電車にも乗れないし、買い物も出来ない、外出するのにドキドキしながら看板の字も読めずに「ここは何処だろう、この建物はなんだろう」と思いながらビクビクしながら歩いている、そんな状態です。
全く文字の分からない国に行くとよく分かるのですが、勘を働かすにしても限界なケースもあるわけです。
ドレミが早く読めること
ドレミが読めないこと
どちらかと言えば読めた方が良いのだけど、それだけでは「楽譜を読む」という意味にはならない。
これもまた、気が付くまでに長い長い時間が必要になってきます。
当時の自分を振り返りながら、
当時の自分に「こうできたら、こう考えられたら」という指導者の目線で思い出すことも多くなってきました。
いつもお読みくださってありがとうございます。なかなか更新できていませんが、マイペースで投稿していきたいと思います。
2024年もよろしくお願いいたします😊
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