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たかこ先生のレッスン徒然日記vol.46

なんと3ヶ月もご無沙汰をしてしまいました。暑すぎる夏の後は「秋」がくるはずなのに、しつこい残暑と寒い空気が交互にきて衣替えも中途半端。
世界中で異常気象に見舞われている一年、地球はどこに向かっているのでしょうか。

たかこ先生は変わらずレッスンの毎日です。
この秋からは学校で教える仕事も加わり、こうした環境に感謝する毎日です。

たかこ先生の幼い頃の話は中学生の時で止まっています。が、今回は少し先に進みまして、桐朋での高校・大学・研究科で師事していた先生のお話をします。

中学生時代の日記の中でお話ししてきていますが、希望校は桐朋女子高等学校音楽科でした。しかし、受験準備は決して楽なものではなく、100%落ちますと言われ続けた中学3年間でした。
それでもなんの運命か、桐朋に合格してしまいした。
縁故のない受験でしたので、桐朋の夏期講習で偶然担当していただいた先生のところにお願いするしかありませんでした。
こうした申し出がどんなにイレギュラーなものか今ではよくわかりますが、当時は右も左もわからないまま受験し、とにかく師事する先生を決めたい一心でのお願いでした。

そこからなんと9年間お世話になろうとはその時は想像もできず、落ちこぼれないようにしないとと、とにかく必死の毎日でした。
(詳細はまた追々書いていこうと思います)

恩師との出会いから50年(笑)
もうそんなに経ったのか⁉
レッスンはとにかく厳しくて、1音にこだわるレッスンは時に出口が無さすぎて泣くしかない時もありましたが、先生のレッスンが嫌になることは全くありませんでした。

その当時はとにかく喋れなくて、「はい」「いいえ」くらいしか言えない。
暖簾に腕押しな反応に先生も困ったと思います。
学校でのレッスンが始まって2ヶ月くらい経った頃、レッスンの途中でいきなり先生が「あなた、名前はたかこだったわね」と声をかけました。
「はい」と答えたか、頷いただけだったか(笑)
それ以降先生は私のことをずっと「たかこちゃん」と呼んでくれるようになりました。
それまで桐朋に入ったことも、自分が現実に学校で勉強していることも、ベールに包まれたような、現実感がなく、先生とのレッスンもどこか距離があるような感じだったのが、ふと、急に周辺がクリアに見えるようになってきたのを今でも鮮明に覚えています。

すっごく手のかかる生徒ではなかったはずですが、なにか問題を起こす時の規模が半端なく、偉そうなことは言えないのですが、
私の中では先生との出会いは、私の人格やものの考え方、感じ方の指針になっています。

その恩師が今年傘寿を迎えられました。
偶然の巡り合わせで私が幹事になって、御祝いの会をこの11月に開催しました。
多くの素晴らしい先輩、後輩の皆さんにご協力いただいて、良い会を開くことができました。皆さんの笑顔と、先生の笑顔を見ながら、本当に幸せだなぁと感じました。

御祝いの会二次会での一コマ。大好きな先輩と恩師とのスリーショット、宝物になる写真💕

今でも、先生は笑顔で「たかこちゃん」と呼んでくださいます。

思うんですね…

恩師の笑顔を曇らせることはしないように、これからも精進をしよう、また笑顔で先生とお話ができるように、これからもしっかりと生きていこうと。

お読みくださいましてありがとうございます。マイペースで更新します。
気長にお待ちいくださいませ。


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