たかこ先生のレッスン徒然日記vol.42『レッスンの思い出~中学生編③』
町田市でピアノを教えています田中ピアノクラスの田中貴子です。
お読みいただきましてありがとうございます。
前回レッスン料の渡し方(特に封筒類)に関して、あちこちからお声がけいただきました。
前回も書いたのですが、お金の価値はどんな形でも変わりはないので私自身はいろんなケースに驚きはしても、どんな形でも有り難く頂くようにしています。
もし渡す側になった時には、受け取る側の気持ちを考えたいかなぁとは思います。
私の子供の頃の「ピアノの先生」と現代の「ピアノの先生」の価値観は変わっています。
ピアノや楽器の習得というのは、おそらくお稽古事の中で最も時間が必要で、尚且つ継続性を要します。
先生との時間はレベルが上がれば上がるほど深く長くなっていきます。
私自身の性格形成はどこで培われたのかと母とよく話すことがあります。
親の代わりは勿論いないのですが、でも第二の親とも言えるくらい先生方との関わり方は深く、どこまでも頭が上がらない存在です。
親とは喧嘩しますが、先生とは喧嘩できません。もしするとしても、それはよほどのことです。
ここには一つ大事なことが含まれます。
どんなに親しくなってたとしても、やはり踏み入れてはいけない領域があるということです。
指導者になって感じることは、そこの境が相手によってはとても難しいと感じることです。
失敗やマイナスの経験も経ながら、自分のしてきたことも振り返られるようにはなってきています。
さて、中学生の頃の話に戻しましょう。
毎週日曜日に2時間近くかけて都心までレッスンに通う。
今のように携帯電話もない時代、時刻表をノートに写して、自分で乗車時間を割り出して乗り継ぎに無駄がないように動く。
背が高く、歳より上に見られていましたが、一人で人波をかき分けながら移動するのは慣れることはあっても緊張感がなくなることはありませんでした。
成長盛りですぐお腹が空く。
お小遣いはギリギリしかもらえないので、少しずつ貯めながら、自動販売機でジュース買うのも財布の中を見ながら。
時々レッスン前に菓子パンを買うのが楽しみでした。
当たり前なのですが食べれば自然現象が生じます。
なるべくレッスン前に済ますようにするのですが当時の駅のトイレはあまり綺麗ではなく、先生宅の最寄駅のトイレは入るのも少し勇気がいるような雰囲気でした。
ですので、その前の品川駅での乗り換え時に済ますことがほとんどでした。
大概それで大丈夫だったのですが、一度多分レッスン前に食べた菓子パンとジュースの組み合わせがお腹にはあまりお宜しくなかったのでしょう。
先生宅に入って前の生徒さんのレッスンを聞いてる時からお腹が痛くなってきてしまいました。
レッスンも脂汗をかきながら、おそらく真っ青だったと思います。
なんとかレッスン終わるまで我慢できて(よく出来たと思います。。)、駅までなんとかもつかなぁ、と自分の身体に問いかけていたのですが、ダメだと判断、恐る恐る先生に「トイレを貸していただけますか?」とお願いしました。
あっさりと貸してくださったのですが、もうトイレから出る時にどうしようかとグルグルと考えていたのを覚えています。
なんで我慢するの?
と不思議に思われる方もいるかもしれません。
決して全てにおいて厳しい先生ではなく、普段の会話は私が知らないような面白い外国の話をしてくださったり、日本の芸術についてお話してくださる素敵の先生でしたので、我慢するようなこともなかったと思うのです。
でも、当時の私は先生のお宅でトイレを借りることの壁は物凄く高かったし、なんでしょうね、、、ちょっと恥ずかしい思いもあったと思います。
それ以降、私はレッスン前になにか口にすることはほとんどなくなりました。
食べるならレッスン後。
その習慣が変わることはありませんでした。
今、指導者になって生徒さんたちが私宅トイレを使うことに関しては「我慢せずに使う」ように促してます。
私自身も図々しくなったのか、普通に借りています!
思春期特有の気持ちの持ちようだったのだと思いますが、だからこそ、生徒さんたちの顔色はなるべく見るようにしています。
我慢はしない。
のんびりといきましょう。
いつもお読みくださってありがとうございます。
マイペースで投稿してます。
気長にお待ちください。