たかこ先生のレッスン徒然日記vol.22
町田市でピアノを教えています田中ピアノクラスの田中貴子です。
2022年も残すところ1ヶ月をきりました。
早すぎる時間の進み方に苦笑い。
ブログを始めた時は週一いけるかなぁと思っていたのですが、気が付けば1ヶ月に1度も出来ずにいる!?
気長にお付き合いいただけると有難いです。
『たかこ先生のレッスン徒然日記 vol.22』
思わぬ大病をした後、たかこ先生の心持ちに若干の変化が現れたところまで書きました。
それは日常生活、勉強や物事の取り組み方にも大きく影響をもたらしました。
あれだけ外で遊ぶのが好きだったのが、日がな一日読書したり、音楽を聴いてピアノを弾く、もしくは分厚い参考書や専門書(主に歴史関係、百科事典)を読みふけったり、そんなことに大方の時間を使うようになりました。
読書と専門書を読むというのは同じなのでは?と思われるかもしれませんが、私としては全然別物で、読書は小説など娯楽性のあるもの、専門書を読むというのは文字通り専門書なので同じ読書でもちょっと違う。私の中では確実な線引きがありました。
この習慣は高校・大学の頃にピークがあったように思います。とにかく読書量は半端なく、暇さえあれば学校や地域の図書館に通い続けていました。
字を識別できなかった幼稚園児の頃からは考えられない(笑)
ピアノにおいてもちょっとした変化が現れ始めます。
小学校を卒業するあたりまで、楽譜からピアノを弾いた感覚がほとんどなく、そのほとんどが「耳から」、いわゆる「耳コピ」のような感じでした。
ドレミを知らないわけではないし、五線紙の仕組みを知らないわけでもない。
でも音を読むことに楽譜を使った試しはなく、ある程度の手助け程度でした。
そもそも音を読むってなに?でした。
本を貪るように読むようになって「音を読む」ことに目覚めたわけではなかったのですが、物事をよく思考するようになって、目の前にある楽譜の風景が違って見え始めたのは確かです。
この形のものはこうやって変化する
この形とこの形が対応してて、別の場面になるとこうなっていく、
同じ形を使っていても音の変化で様子が変わるなど、
楽譜がどのような姿形をしているのかをじっくり見るようになっていました。
そこからなにか「発見」するのが楽しく、一人で音にして、何度もその箇所を弾きながら嬉しくなっていました。
ただしピアノを弾く上でとても大きな弱点がありました。
発見できたこと、思い付いたことを音にするまでに若干の時間が必要だったのです。
動作にかける時間が少し必要で、慣れてしまえば問題ないのですが、慣れるまでに時間がかかってしまう。不器用と言ってしまえばそれまでなのですが、頭で思ったこと、イメージしたことと実際の運動性との連結が極端に遅い。
これは専門に勉強していく上では大きな足枷となっていきます。
それに初めて気が付いたのはバッハのインヴェンションを弾き始めた頃です。頭に理想はあるのに、指が言うことをきかない。何度試しても思った通りに指は動かないし、理想通りの流れにならない。
生まれて初めて楽譜に八つ当たりしました。
初代のインヴェンションの楽譜はそれにより廃棄処分となりました。
2冊目のインヴェンションも同じ憂き目にあいそうになりましたが、先生から厳しくご指導されました。
「楽譜を大切にできないのなら、お稽古しなくて良いです」
その時、おそらくピアノのレッスン自分史上最も最悪な仏頂面をしていたと思います。その夜、布団のなかでワンワン泣いたのを今でもよく覚えています。
そこから数日は同じように弾けない怒りでイライラして最悪の日々を過ごしました。
先生はなんとおっしゃっていた
どう練習するようにおっしゃっていたか
それを「おまじない」のように何度も反芻し、ピアノに向かっていました。
初代インヴェンションの楽譜が廃棄処分になった原因の曲は、今ではインヴェンションの中で最も好きな曲の1つです。
あの時諦めたり、ピアノのお稽古を本当にやめていたら、今の自分は間違いなく存在していません。大事な経験だったと思います。
大阪での日々は小学4年の冬で終わりました。家族の転勤で横浜に引っ越すことになりました。関西から関東への環境の変化。
カルチャーショックとはまさに。。(笑)
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回以降は、関西から関東への環境変化に伴う、たかこ先生の苦悩と苦闘について書いていきたいと思います。
マイペースの投稿となりますが、気長にお待ちください😊