たかこ先生のレッスン徒然日記vol.40 『レッスンの思い出・中学生編①』
新年度が始まりました。ピアノを教えていると春のこの時期は生徒さんの出入りが頻繁になります。気持ちが改まりますね!
しばらく、たかこ先生の話から少し外れましたので、そろそろ軌道を戻そうと思います。
高校受験まで師事した先生は、素晴らしいピアノを弾かれるピアニストでした。
先生のお宅は都心だったので、横浜に住んでいた時は片道2時間弱かけて毎週一人で通い、東京に引っ越した後は45分ほどに移動時間は減りましたが電車で通い続けました。
レッスンそのものはとても厳しく、言われてることも難しく、泣く暇もない(笑)
正直な話、3年間やった曲の全ては覚えてません。時々楽譜を整理する時に「え?!この曲習っていた!」と驚いてしまうこともしばしです。
元々人見知りするタイプだったので、先生のオーラに気圧されまくりのレッスン。
ただでさえ弾けないのに、先生宅のピアノの鍵盤や音になかなか慣れず、習っていた3年間最初の一音目を出す瞬間のなんとも言えない違和感のような感覚がなくなることはありませんでした。
先生のお部屋はそれほど広くはなかったのですが、戸棚や小さなテーブルに海外のものとおぼしき可愛らしいオブジェが飾られていて、模様の凹凸が珍しい、ドイツやヨーロッパのお土産によく見られるコーヒカップよりはやや大きめのマグカップに何十色もの色鉛筆が入っていました。
前の生徒さんが終わるまで(当時のレッスンは時間通りに終わるレッスンは少なかったように思います)、それらを眺めるのがとても楽しかった。
ある時、その色鉛筆をどうしても触ってみたくなったのです。
手にとってどんな色があるのか確かめたいという衝動に駈られてしまいました。
ガチャ。。。
今でもよく覚えてるのですが、音をたててしまった瞬間、レッスン室がフリーズ状態になりました。
そして
「うるさい」
一言でした。
前の方のレッスンが終わり、自分のレッスンになった時に「すみませんでした」と謝りますと「人のものに無断で触るのもやめてほしいのだけど、あなたが人のレッスンを聞こうと思わず待っていたことがよく分かりました」
と仰ったのです。
「あなたが言うことやること、そういうのは全部普段の生活習慣、あなたのご両親やこれまでの先生とあなたとの関係性で表れてることです」
「あなたがこういう注意を受けるということは、あなたのご両親や先生のやってきたことへの注意でもあるのです。そういうご両親や先生なのですか?」
「あなたはあなた自身の責任がよくわかってないようですが、もしここに来てる理由がちゃんと分かっていないようなら、桐朋受験する以前の話なので受験する学校を変えるか、ここを辞めなさい」
これだけ言うと、その後は普段通りのレッスンでした。
帰る時に玄関で靴を履く前に
「あなたはちゃんと靴を揃えて人の家に入れるし、レッスン料もきちんと渡せるのだから、今日の私の話はよく理解できるはずです」
中学一年の秋くらいのことでした。
ピアノのこと以外のことで泣いて家に帰ったのは、後にも先にもこの一回です。
前の先生のところにレッスンのご報告電話をかけてこの話をしました。
「良いことを教えていただけたわね。その先生のところで必死にちゃんと勉強しなさいね」と仰ってくださいました。
母に言うと。。
「中学生にもなって人のものを勝手に触るってなにしてるの!!!」
「あなた、今の先生に見捨てられたら受験出来ないの分かってるの?!真剣に勉強しないなら、自分で働いてレッスン行きなさいっ!」
とまぁ、烈火のごとく叱られました。
今の時代にそぐわない話かもしれません。
でも、この経験で私のレッスンへの意識は確実に変化していきました。
「人に教えを乞う」ということには、最低限の礼節は大事で、言葉にしなくても生徒さんのレッスンへの姿勢はよく見えてくるものだなぁ、と指導者になってから気が付きました。
自分を無理に変えてまでやることではないかもしれませんが、おそらく、真剣になにかに取り組むということは、「こうありたい」と自分自身にまず自分が願うところから始まるものなのだなと思うのです。
この事をきっかけに、流されるまま進めてきたたかこ先生は、まだまだ弱くても確実に「意志」をもってレッスンに行くようになったように思います。
いつもお読みくださってありがとうございます。なかなか更新できませんが、マイペースで書いていきたいと思います。
気長にお待ちくださいませ😊