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たかこ先生のレッスン徒然日記vol.39『譜読み』

ブログを継続して書く大変さをしみじみ感じています。久しぶりの投稿です。

中学生時代、暗黒時代の始まりの時間をどう過ごしたか書きたいことは山のようにあるのですが、一先ず書き始めた指導者の視点からの『譜読み』について、もう少し書いてみたいと思います。

読書が好きな人、嫌いな人がいるように、楽譜を「見る」のが好きな人、嫌いな人がいます。

面白いのは読書が嫌いな人でも字は読めるんですね。(学習環境が劣悪でない限り)
でも、楽譜を「見る」のが嫌いな人は、「ドレミファソラシド」は知ってても、五線で読もうとはしない。
文字ではないので「見た」だけではチンプンカンプンになるのは理解できます。
楽譜はいわゆる「暗号」のようなもので、特定のルールに従って図形化されたもの、しかも、音楽的なストーリーは小節を増やすことによってどれだけでも長大にできるし、短くもできる。
ポイントはこの「暗号」の解き方におけるプロセスを間違えると、もれなく譜読みが嫌いな人たちが増えるということです。

生徒さんの中でよく見られる傾向は
ピアノはとてもよく弾けるのに、ソルフェージュ力はほぼ皆無。
どうやって練習してるのだろうと不思議になるのですが、小さな子供の場合はご家庭での保護者との関わり方も影響があります。

「教えすぎる」

一生懸命取り組んでいる結果なので、この表現には語弊があるかもしれません。
問題は何を教えているかです。
「答え」を始めから教えてしまう取り組み方、その答えを何百回と繰り返してしまう取り組み方は、楽譜から遠ざかる原因になると感じています。

楽譜は作曲家から渡された暗号です。
その暗号をどう解いていくか、解く順番や、解き方によって導かれるものが少しずつ変わってくる。
これ一つという答えではなく、
どうやら、この辺りから、このくらいまで答えらしいぞという「ゾーン」に辿り着けるかだと思います。

歳を重ねてくるとどんな音楽家も何回も同じ曲をリピートして演奏していくケースが見られます。「前に弾いたことがあるから楽」なのではなく、暗号の解き方の可能性が広がるからこそ、新しい気持ちで取り組めるのだと思います。

子供たちへの指導も、ここがポイントになります。
(一つではない)答えを導いていくための「方法(解き方)」を面白く学んでいかなければ、楽譜はなんの意味もない面倒くさいものになっていくと思います。

今、生徒さんの中にも数名闇夜に迷い混んだ子達がいます。ビックリするんですね。え?!ピアノ、こんなに上手なのに?!初見させると、固まって一音も弾けなくなる。それで指導者として大反省するわけです。

あぁ、表面的なことしか見てなかった、後回しにしてしまった。

そういう時、たとえ遠回りと分かっていても、一旦立ち止まって、どこから分からなくなっているのか確認します。中にはト音記号、ヘ音記号、大譜表の見方すら?になってる場合もあるのです。長く放置しておくと取り返しがつかないほど、「読む」ことが出来なくなってる場合もあります。弾ける(小さな)子ほど要注意です。

今の時代、音楽において「答え」は簡単に「検索」できます。小さな子供たちでも素養があれば、簡単にプロ顔負けの解釈をもっているかのように演奏できます。
コンクール繁栄(繁盛)期の現代、指導者も保護者も「なんにおいてもまず正解!」を求めてしまいがちになりますし、その方がコンクールは結果は出やすい。

音楽は探りながら音にしていくからこそ面白いと思えるようになるのと
いつも答えが目の前にあってそこを目指す
のと
どちらも必要なのですが、たかこ先生の経験上、後者でさーっと結果が出せても遅かれ早かれ前者の壁にぶち当たります。

求めているのは音楽の本質なのか
「今やってることの」結果なのか
コンクールをやってもやらなくても、この問題は存在しています。

「譜読み」の指導は、私たちが考える以上に音楽家としての本質を問われている部分でもあるわけです。
分かっていても週一回のレッスンでは見抜きにくいことも多い。

答えを教えるのか
答えを導きだせる方法を教えるのか

中学生のたかこ先生が感じていた「暗黒時代の始まり」は、決して楽なものではありませんでしたが、今思い返すと、この本質に向かうためのスタートラインだったのだと感じます。
次回からは中学生時代に戻って書いていきたいと思います。

いつもお読みくださってありがとうございます。
マイペースで更新していきます。
気長にお待ちくださいませ。


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