![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/117055538/rectangle_large_type_2_2abcb61c0f9cb4ba01aaa38b703eef5e.jpeg?width=1200)
たかこ先生のレッスン徒然日記vol.34『楽譜の洗礼』
町田市でピアノを教えています田中ピアノクラスの田中貴子です。
いつもお読みくださいましてありがとうございます。
楽しかった小学校時代でしたが、人生の進路を決めた6年生終わりのから徐々に「専門」に勉強することへの壁が立ちはだかるようになります。
そのあたりのお話を少しずつしていきたいと思います。
これまでの日記をお読みいただいてる皆様の中には、どういったメソードで育ってきたか察してらっしゃる方はいると思います。
私自身人生において「指導の受け方」について何度か転換期があり、それぞれのメリット・デメリットを考えることが多々あったこと、また、どのメソードについても「悪くしよう」と思って存在してるものは何一つないことを実感したので、どういうメソードだったかは明言しないようにしています。
小学校卒業するまで、ほぼ耳で音楽をとらえる指導を受けてきました。
楽譜がまともに読めない。
ここは本当に痛いことでした。正確に言えば、「ドレミ」はもちろん分かりますが、それを頼って楽譜は見ないので、感覚的に言えば移動ドに近かったと思います。
始点の音が分かれば、あとは音型で弾く場所を探りながら、レコードの音を再現する。
大雑把な説明ですが、こんな感じでした。
楽譜についてはなんとなく分かってても、確信的に理解はしてない。
それでもある程度(かなりレベルの高い曲も含め)弾けていた(と思い込んだ)ので問題ないと感じていました。
しかし、、、
楽譜について、また耳で覚えてしまったことは本来、そこが問題ではありませんでした。
小学6年生、まだ中学には上がってなかった頃と記憶してます。
ピアニスト井上直幸先生の公開レッスンを受ける機会がありました。
レッスンしていただいたのはベートーベンのソナタでした。
「よろしくお願いします」と楽譜を渡した瞬間に、井上先生は楽譜をピアノの上に置かれて、「このお子さんの指導者はいますか?」と会場に問いかけました。
師匠がすぐに挙手しました。
「まず、こいうった楽譜で勉強しようとするところからやめた方がいい」
とかなり厳しく仰って、会場中が凍り付いてしまいました。
「原典版」でない楽譜を使っていたのです。
当然、師匠はすぐに謝られたわけなのですが、本当のところ、謝らなければならなかったのは私と母でした。師匠はちゃんと原典版を薦めておられたのです。これは実は大阪時代(小2~小4)の先生からずっと楽譜については薦められていました。
でも、私が手にしていたのはいつも国内版の廉価な楽譜でした。
原典版は輸入版で、当時は値段が下手したら5~10倍くらい違う。
しかも町の楽器屋さんの楽譜売場にはなく、注文しなければなりませんでした。
同じ「音」が並んでいるのに、高い楽譜を使わなければならない理由が、私も母も、何度先生にお話をされても理解しにくいことでした。
楽譜というのが、原典版か校訂版か、またその校訂者が違えば中身が変わることも、
理解出来るようで、出来ないことでした。
音楽(演奏)は(楽譜とは関係なく)その演奏者の「気持ち」で弾き方が変わるもの
そう思っていました。
音(楽譜)は付属的に考えてたわけですね。。
ここが一番問題だったわけです。
今でもよく覚えてるのですが、公開レッスンの時に井上先生が
「気持ちは分かるが、なんの根拠もない演奏になってはいけない。まずは楽譜について勉強しなさい。」
と、とても真剣に仰って下さったこと、その時は人前で言われるショックで頭が真っ白になってましたが、今ではとても感謝しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1695529911535-c7v7ehVyoQ.jpg?width=1200)
レッスンを受けたその足で師匠と銀座の楽譜屋さんまで行き、ベートーベンの楽譜を買い直しました。
ものすごく高くて(笑)母の顔が固まってたのを今でも思い出します。
母にしてみても、我が子を「音楽の道に進ませる」ことへの踏み絵のような出来事だったように思います。
その後、楽譜については黙って資金を出してくれました。
それでも、ある楽譜は何十ページかあって5000円、ある楽譜は数ページで3000円というのもあって、母にはなかなか輸入版の事情を理解するのが難しかったようです。
高校に入ってからは図書館を大活用できるようになりましたが、本当に楽譜は高かった(笑)
それでも、、、
そこから楽譜本来の読み方や、本当の大切さを「理解」するまでには何年も何年もかかりました。
勉強の仕方、音楽の理解の仕方
それらが根本的に違っていたために、頭の中身から、ピアノの弾き方も全部フルモデルチェンジしなければならなかった。
少なくとも、音高に向けて勉強するためについた先生は私にそれらを求めることになったわけです。
それがどれほど辛く大変なことだったか、どうやって乗り越えたか、
これからのエピソードを
たかこ先生なりに(事実は曲げずに)面白く書ければと思います。
お読みいただいてありがとうございます。
マイペースで更新していきます。
気長にお待ちくださいませ😊